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INTERVIEW

THE STARBEMS

2013.06.05UPDATE

2013年06月号掲載

THE STARBEMS

Member:日高 央(Vo) 越川 和磨(Gt)

Interviewer:荒金良介

-なるほど。それと、日高さんがピン・ヴォーカルで歌ってる姿を初めて観たときは衝撃的だったんですよ。本当に楽器忘れて、ステージに飛び出してきたんじゃないかと思ったほどで。

日高:はははは。自分がリスナーとして「元BEAT CRUSADERSの人が次何をやるのが面白いのか」って漠然と考えたときに、また匿名的なプロジェクトをやっても面白くないなと。だから、テイストが違う面白いことをやりたくて、あえてピン・ヴォーカルにしたんですよ。

-すべてにおいて、極端に振り切ってますよね。

日高:はい、振り切りたいんです。そうじゃないと、自分がやる意味がないから。BEAT CRUSADERSの面影が強ければ強くなるほど、BEAT CRUSADERSを聴いてもらう方がいいですからね。全く同じものをやるのは意味がないし、それは西(越川)君も一緒で、毛皮のマリーズでやりそうな事を、ここでやってもしょうがない。かといって、毛皮のマリーズで培った良い部分を損ったら、西(越川)君である必要がないしね。

-ただ、日高さん=ポップ職人という見方をしているリスナーも多いと思うんですよ。いちばんの必殺技であるポップをあえて封印する必要性に関しては、どうですか?

日高:最初の頃は震災前だったから、作る曲はただのメロコアだったんですよ。で、震災が起きて、音楽どころじゃない状況になったり、バンド界隈が揺れ動いたときに、最初に動いたのがSLANGのKOちゃんやBRAHMANのTOSHI-LOWだったり、ラウド界隈の人たちが真っ先に動いたんですよね。それを見たときにBEAT CRUSADERSがあればもっと手伝えたのにとか、西(越川)君も毛皮のマリーズが震災前に終わっていたから、2人ともそこに対するジレンマがすごくあって。俺がBEAT CRUSADERS解散前にイメージしていた音像と、そこが合致しちゃったというか、そこと一緒に活動するためにはサウンドも強くないといけないなって。でも勘違いしてほしくないのは、SLANGやBRAHMANに音を寄せたいわけじゃなくて、俺にしかできない強い音がこれなんですよね。THE STARBEMSを名乗る前は、被災地でもBEAT CRUSADERSの曲も聴きたいという声が高かったし、あと、うるさめのメロコアっぽいオリジナル曲もやってましたからね。でも自分の中で全然うるさく聴こえなくて......それはメンタルもでかかったんでしょうけどね。関東にいるときと、現地に行って見たもののギャップがあまりにも激しくて。その衝撃を音で伝えたり、説明するためには、今作ってるオリジナルではダメだなと。そうして葛藤しながらできたのが、1stシングルに入ってる「The Crackin'」だったんですよ。ハードコア・スタイルを入れるのが自分の中でいちばんしっくり来たし、その曲が契機になりましたね。ただ単にミュージシャン生命を繋ぎたくて新しいバンドを始めたわけじゃなくて、震災復興の役に立ちたいだけなんですよ。だから完全に復興したら、THE STARBEMSは解散するかもしれないし、極論それでも良くて。まあ、震災だけに特化せず、ネガティヴな状況にある人を元気づけたい。ざっくり言えば、それがこのバンドの1個のテーマなので、そういう意味での音の強さとメンタルの強さを求めた結果ですね。

-ああ、なるほど。

日高:ポップ職人的な部分は、震災が落ち着いたら、またやりたいモードになるかもしれないけど、今はそのモードじゃないという。良かったのは西(越川)君がスタジオに入ったときに"これじゃ、ただのBEAT CRUSADERSの焼き直しじゃないか!"って、メンバーのケツを叩いてくれたことなんですよ。

越川:リハーサルに初めて行ったときに、結局BEAT CRUSADERSに寄せた感じになっていたから。話をする内に、もっとキックの数を多くして、もっとエッジな音にしたいということだったので、そこからだんだんTHE STARBEMSの音になっていきましたね。

日高:西(越川)君は逆に、ほとんど曲も覚えてこなかったからね(笑)。

越川:そうですね。ディテールを無視して......。

日高:アドリブでどんどん弾いてたもんね。それが俺的には良くて、そういうワイルドさが欲しかったんですよ。それからバンドとして一気に転がった感じはありますね。震災復興へのいらだちと、自分の中の音楽的な焦燥感を照らし合わせた結果がこれです。だから、今回はポップ職人的な戦略性はほぼないです。

-ですよね。そうじゃなければ、ギターを3本も入れませんよね。

日高:そうですね。最初は鍵盤もいたけど、それもいいかって。鍵盤があると、どうしてもBEAT CRUSADERSみたいになっちゃうから。どうせなら、それとはかけ離れたところに行きたくて。そういう意味で西(越川)君も毛皮のマリーズからは離れているけど、自分節は出すみたいな。メンバー全員、かつていたバンドのいい部分は残しつつという。

-で、今作の前に1stシングル「FUTURE PRIMITIVE e.p.」をリリースしてますよね?

日高:それは曲ができた順番ですね。3曲目「Talkin''bout Lifetime」はBEAT CRUSADERS時代からネタはあったので、ちょっと名残はあるんですけど。ほかの2曲は確実に震災以降の曲ですね。やっぱり震災があってから、優しい歌が信用できなくなって。被災地の人が優しい曲で癒されるのは全然構わないんですけど、東京にいて優しい曲を聴く理由や、優しい曲を自分が奏でる理由が全然なくて。ザラザラゴツゴツした音楽の方が、怒ってるんだぞ! とちゃんと伝えられるというか。やっぱり震災復興を客観的に見たときに、怒りの方がでかいんですよね。被災地への怒りじゃなくて、そこで苦しんでる人に何もできない自分にも腹が立つし、行政にも腹が立つし......象徴的だったのが、宮古のCOUNTER ACTIONに行ったときに、対バンしたUNDERLINGというバンドが岩手の山田町に住んでて、その山田町のNPO法人の代表が詐欺をしてたんですよ。寄付金を集めて、私腹を肥やして、高い物を買い漁ってたという。結局そのNPO法人は破産宣告しちゃって、借金が8億円あったのかな......それは寄付金で賄っていたものだから、その穴埋めを県や市の税金で補うことになって。それを被災地の人達の税金補填するという、まさに本末転倒の火事場泥棒みたいな事件があって......それと似たような話は現地に行って聞いてみると、各地であるんですよ。そういう怒りをミュージシャンとして表現するには、こういう音にしか俺は行き着かなかったんですよね。

-そこが大きいんでしょうね。アジカンの曲で勇気をもらう人もいると思うんですよ。ただ、日高さんの場合はこういう音を出せないと、もう自分の心の折り合いとして決着が付かないという。

日高:その通りです。今も決着が付いてないから、ちゃんとパーマネントのバンドをやろうと。

-話を戻しますが、「Talkin~」以外だと、「The Crackin'」が最初にできた曲になるんですか?

日高:THE STARBEMSはこれだな! と思えたのは、この曲ができてからですね。

-ハードコアとポップなコーラスの対比が映えてて、まさにバンドの軸になるような曲調ですよね。

日高:普段からハードコアを聴いてる人には物足りなく感じるかもしれないし、ポップ寄りなものを聴いてる人にはうるさく感じるかもしれない。けど、そのどれにも聴こえない感じが自分的には良くて。いわゆる「日高さんのポップだね」という感じでもなく、完全にハードコアに振り切ったうるさいものでもない。その意味でうまくできたから。このアルバムのレコーディングに入る前は5、6曲しかなかったけど、頑張って作りました!