INTERVIEW
mitsu
2025.10.08UPDATE
2025年10月号掲載
Interviewer:山口 哲生
今年でソロ活動10周年を迎えたmitsu。かつて所属していたバンド、ν[NEU]の解散後、たった1人で動き始めた彼の歩みは、絶望から幕を開けたとmitsuは語る。激ロック初登場となる今回は、絶望から始まった物語が希望に辿り着くまでの10年間の軌跡と、その歩みの中で彼が自分自身に問い掛け続けて生まれた哲学や価値観、ν[NEU]の復活から完全完結で芽生えた感情、そしてここから先に見据えているものについて、じっくりと赤裸々すぎる程赤裸々に語ってくれた。
-今日はmitsuさんがこれまで活動してきた軌跡についてお聞きしていこうと思っています。まず、今年7月に10周年を記念したワンマン・ライヴ("A New Hope")を終えられたわけですが、そちらの感想と、今の心境をお聞きできればと。
今はソロで活動させてもらっているんですけど、もともと自分はバンドに憧れて音楽を始めたんですよね。バンド1本でいこうと決めていたので、昔は自分がソロをやるなんて思ってもいなくて。ただ、解散してもう11年くらい経つんですけど、それ以降新しいバンドは組んでないんです。バンドを組みたいという気持ちは今も変わらず持ってはいるんですけど。
-その気持ちがあることにはあるんですね。
はい。それがネガティヴからなのか、ポジティヴからなのかは時期によって違うんですけど。バンドには憧れを持って始めたけど、ソロは生きるためというか......今はその感覚を自分の中で分解できたんですけど、当時は歌わないと、ライヴをしないと息が上手くできない感覚に陥ってしまっていて。そこからある方の助けがあって、強制的にライヴの日程が決まってソロが始動したんです。なので、ソロを始めたときは鬱の闘病中だったのもあって、ソロは絶望から始まった話だと自分はずっと思っているんですね。
-なるほど。絶望から。
自分がやっていたν[NEU]というバンドは、"希望"がコンセプトだったんですよ。希望を歌うことでデビューをして、希望を歌いながら活動をしてきたので、音楽ではポジティヴなメッセージ以外を発してはいけないと、自分の中で決め込んでいたんです。自分がどんな状況であろうが、人様に何かを届ける立場にいるならネガティヴなことを口にすべきではない。作品もそれを透過するべきではないってソロの5周年~6周年近くまで思っていて。自分が鬱になるときって、理想と現実に乖離があるんですよ。こうなりたいのに、今はこうなっている。そこで嘘をついて理想の自分を演じることで、自分の心がどんどん死んでいくというか、歌えなくなっていったんですね。でも、このネガティヴな気持ちをそのまま出してみようかなと思ったのが、6周年のワンマンだったんです。
-6周年ということは、2021年ですね。
配信ライヴだったんですけど、"DEEP LAYER(mitsu 6th anniversary online live「DEEP LAYER」)"というタイトルで、自分はその日で全てを終えようと思っていたんです。コロナ禍でもあったし、歌うことを楽しめなくなっていた時期だったので。だからもう自分の今の状況も全部出してしまおうと思ってやってみたら、音楽ってこっちでもいいんだ、もっと素直でいいんだっていうことを知って。そこから徐々に自分が変わっていく感覚があり、この前の10周年のときに初めて、希望をコンセプトにしたワンマンをしたんです。
-"A New Hope"というタイトルでしたね。
9周年のときにLIQUIDROOMでやったワンマンのタイトルが"HOPE to LIVE"で、これも希望ではあるんだけど、それは自分がそこまで生きるための希望だったんです。というのも、4周年のときにLIQUIDROOMでワンマン("4周年記念ワンマン「THE NEVER ENDING STORY」")をしたんですけど、自分はそこからチャレンジすることを諦めたんです。いろいろな角度から見たときに、自分にとってここから先は厳しいだろうと。そこからどうにか息をするように続けてきたなかで、9周年のときにもう一度LIQUIDROOMにチャレンジして、リベンジすることができた。いわゆるポジティヴなことですよね。 それを終えて、初めて自分に向けてではなく、聴いてくれる人に向けて希望を掲げることができたのが、10周年のワンマンだったんです。なので、あの日を終えた感想としてはとにかく感謝以外ないというか。あと、めちゃくちゃ楽しかったんです。
-いいですね。素敵です。
ソロで、サポート陣とかスタッフ陣とかファンの皆さんに対しての責任は自分しか背負えないので、それを背負った上で"楽しい"とはなかなか言えなかったんです。僕は音楽のことを仕事だと一切思っていないんですけど、いろんな人が関わっているわけで、人によってはそれが仕事の方もいらっしゃるじゃないですか。その方たちのことも踏まえた上で楽しむというのは結構難しかったんですけど、10年間で初めて、楽しいという感情以外がない、全く濁りのない気持ちでライヴができて。なので、個人的には解放されたというか。自分はもう過去の縛りとか呪いみたいなものから脱却できたんだな、幸せだな、これは続けさせてくれた結果だから感謝しかないなっていう。それだけが残ったライヴでしたね。
-この10年間、本当にいろいろなことをくぐり抜けて、ようやく楽しいという感覚に辿り着けたというのは、本当に尊いことですね。
まさか自分がそう思えるようになるとは思ってなかったですからね。10年やっていると知っていることも増えて、100パーセント楽しいだけでやるのは許されないっていう感覚をずっと培ってきたので。なので、純粋に楽しいと思えたときに、そういえば俺は音楽を楽しくてやってたんだよなっていう気持ちに戻してもらえた。終わった当初はそう思いましたね。でも、人間やっぱり悩みはするので(笑)、波があるというか。そこまで必死に走ってきて、今後に向けて今までではない自分になろうと変わる途中なのもあって、最近はちょっと沈んでいることも多いんですけど。まぁでもこれに関しては付き合っていくものというか、これまでの経験もあるので、嫌だなぁというよりはまぁこんな時期だなってのが今の正直なところではありますね。
-お話を聞いていて思ったんですが、mitsuさんって歌詞にそのときのリアルな心境を書くタイプですか?
だと思います。全部ではないんですけど、やっぱり創作すぎると歌っていて気持ちが乗らないことが多くて。なので、なるべく自分が思っていることを書くようにはしてます。
-先程までのお話って、mitsuさんが歌っている内容そのままだったような感じがあったので。
はははは(笑)。自分はソロってカッコいいものだとあんまり思ってなかったんですよ。バンドに憧れたのもそこからだし、バンドの後ソロになった方に対しても、バンド時代に輝きを感じていて。今はソロをやっていて楽しいし、ソロの方もむしろカッコいいと感じるんですけど、それはなぜかと考えたら、たぶんソロって360°裸になるからだと思うんです。 自分ももともとバンドをやっていたし、最近も復活してやっていたから分かるんですけど、バンドっていい意味でも隠せるんですよね。メンバーが5人いたとしたら、自分のいいところを20出して、お互いがそれを持ち寄って100になるから、自分の全てが露わになることがない。だからカッコつけられると思っていて。 でもソロは、カッコつけたとしても背中まで全部見えている感覚で、自分自身がカッコいい生き方とか歩き方をしてないと、ダサいものがそのまま出てしまうと自分は考えているんです。しかもそこを取り繕っていけばいく程ダサくなっていくんですよね。だからソロでカッコ良く見せるためには、自分自身がカッコ良くないといけない。それはアーティストとしてだけでなく、男としてとか、人としてとか、それも年齢で変わっていくだろうし、常にアップデートしないといけないんです。そうじゃないと続けられない。
-そうですね。たしかに。
ただ、自分にしか責任がないので、逆を言うと人のためにやらなくてもいいんですよ。誰かがいるからやらなきゃいけないということがないので、やりたくなかったらやらなくてもいい。もう本当に自分の意思が全て透過されるので、嘘をついていると自分が感動できなくなっちゃうんですよね。そうなったら自分はもう音楽に興味はないし、歌詞もそうですけど、自分がノれるかどうかだけで判断してます。
-改めて振り返りながらお聞きしたいのですが、ソロを始めたときは鬱の闘病中だったと。実際にソロとして初めて発表された「For Myself」(2015年会場限定リリースの1stシングル『For Myself / It's So Easy』収録)には、まさにそのときの苦しみが滲み出ているというか。
そうですね。(曲を書いたのは)バンドを解散して、3~4ヶ月後とかだったかな。自分は10代からずっと夢を追って生きてきたんです。それは時に音楽じゃないこともあったんですけど、夢がなくなったときに、立ち方が分からなくなったんですよね。特にバンドを解散した後。自分はバンドのために音楽をやっていたので。解散後にバンドを組もうとした時期も少しあったんですけど、どうも一度デビューしたのもあって、次のバンドは一緒に墓に入れる人間としか組みたくなかったんですよ。まぁ結婚したことないんであれですけど(笑)、バンドを組むことって結婚みたいな感覚だと思うんです。相手の人生も背負わなきゃいけないし。 そういう気持ちでいたらなかなか組めない時期が続いて、自分から動けなくなっていって。そのまま外に出られなくなり、部屋に閉じこもってしまって、飯も2週間くらい食わなくなったんです。もうこの部屋で死のうと思ったんですけど、そのときにこれが自分にとっての遺書だと思って書いたのが、「For Myself」だったんですよ。
-それであんなにも生々しい曲になったんですね。
ソロを始めることになったのは、助けてくれた方がライヴを組んでくれたのがきっかけで。その当時って、そもそもライヴの組み方を知らなかったんですよ。なんなら街スタ(街のスタジオ)の押さえ方も知らなくて。
-もうそこまで知らない状態だったんですね。
自分は15~16歳で軽音部から音楽を始めて、17歳で学校をやめてバンドを組んで、事務所にすぐ拾われたから、ステージのやり方は分かるんですけど、自分でバンドを動かしたことがなかったんです。なので、そうやって助けていただいた方の事務所に囲われるような感じで、始めようという流れがあったんですけど、事務所の方には(「For Myself」の)歌詞を変えたほうがいいと言われたんですね。ストレートすぎて聴くほうがしんどくなるからって。当時はそれが正しいのか正しくないのか分からなかったんですけど、自分とってこれは遺書だったので、変えるぐらいなら歌わないっていう気持ちがあって、それで結局事務所には入らないことになって、ソロが始まったんですね。 で、10周年ワンマンの最後の曲が「For Myself」だったんですけど、この2年ぐらいは最後の曲以外にやってないんじゃないかな。ライヴでバーッ! と上がっていったり、楽しいって思ったりしても、自分はここから始まったんだっていうことを忘れないようにしたくて。なので、あの曲は今でも歌ってますね。
-極限状態で生まれた曲を改めて歌っていて、また苦しくなったりすることはないんですか?
それに関しては、9周年のちょっと前だったかな。ソロって孤独だなとずっと思っていたんですけど、いろいろな友達というか仲間ができていって、だんだんと自分の中で、ソロは孤独とは限らないって気持ちがめちゃくちゃ芽生えてきたんです。"For Myself"って"自分のために"という本当にそのままの意味なんですけど、自分のためにしか歌ってこられなかった曲が、誰かのための歌になっていたんですよ。そこにあるものは同じなんだけど、違う表し方、違う伝え方ができることに気付いたというか。たぶん自分が満たされたとか、しんどさから脱却できたからこそ、当時の自分みたいに生きている人に対してっていう気持ちで歌えるようになったんです。人のためというのはちょっと大袈裟だけど、自分以外のために歌えるようになったって感覚ですね。 なので、しんどかったことを思い出すというよりは、しんどかった自分が、今はこんなふうに人の前で歌えるって感覚のほうに感激するというか。
-歌っているときはそこに込められた苦しさを歌っているんだけど、歌い終えた後にめっちゃ笑顔になるというか。
そうですね。むしろ救っていきたいなと思うようになって。正直今日もそうですけど、揺れ動いているところがあるんです。音楽ってやっぱり広げていかないと細くなっていって、最後には火が消えるじゃないですか。なので、自分としては音楽を続けていきたい。でも、それってエゴなんですよね。続けていきたいという気持ちは嘘じゃないけど、続けることが大事なんじゃなくて、自分と出会った人の人生が少し変わるとか、ほんの1センチだけ横が広く見えるとか、自分は今まで音楽からそういう感覚を得てきたんです。生きやすさを感じるようになったとか、ダメかと思っていたけどこれでいいんだとか、教えてもらったことが多くて。 自分もそれをするために歌っているし、チケットを買って来てくれてる人がいて成り立ってるから。その人たちに対してこういうものがあるよとか、こんな生き方もあるし今の悩みってこういう角度でも見れるよとか、何かしらをあげられないと、自分が奪う側になってしまうんです。
-あぁ。こっちが貰っているだけになるから。
はい。それって奪う行為に近いと思っていて。ただ、例えば奪うんじゃなくて分けてもらえるとか、自分が分けてあげられたら成立する。続けるためにはその形がたぶん一番正しいと今は思っていて。今はそう思いながら歌えているからなんとかやれているんだけど、それが上手くいかなかった、奪ってしまっていたのがやっぱり5周年、6周年とかのコロナの時期ですね。それは僕だけじゃなくてみんなそうだったけど、とにかく余裕がなかったから、あの時期は取り合う形だったと思うんですよ。だから自分は苦しかったんじゃないかなって、今になってみて考えるんですけど。
-なるほどなぁ。続けることは奪うことか......。
お金って分かりやすくその構図になると思うんですけど、分けるのは別にお金じゃなくてもいいと思っていて。昔で言ったら隣の家の人に晩御飯を持っていくとか、捨て猫や捨て犬がいたら、今はいいとは言われていないけど、ご飯を置いておくとか。そうやって分け合っていたから成り立っていたものもあったと考えているんです。でも、それを取り合うとなると、死んでいくってことですよね。それが自分の中で楽しくなかったというか。それに乗れなかったし、そこに関して目を逸らしてやっていくのが奪うってことだと思うんです。だから、なるべく自分は続けたいっていうエゴはあります。ただ、奪いたいっていう気持ちはないんですよね。