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INTERVIEW

mitsu

2025.10.08UPDATE

2025年10月号掲載

mitsu

Interviewer:山口 哲生

-たしかに今の世の中的には、どうしても奪う方向に進んでしまってはいますよね。

だからたぶん自分的にはしんどいんですよね。奪われていると思わせたくないし、自分もそういうつもりで言ってるわけじゃなくて。10周年ワンマンは、チケットの売れ行きを伸ばしたいと思って宣伝しまくっていたんですけど、"来てくれ"とは言わないようにしていたんです。もちろん来てほしい気持ちはあるんですけど、"絶対来てよ"とか"来てくれなきゃ困る"みたいなことは言わないようにしていました。置いておくというか、欲しい人に来てもらいたかったので。 そうやって奪うという姿勢がなくなったのが伝わったからなのか、ファンの方が増えたんですよ。結局そういうところってみんな分かるというか、バレると思うんです。今は本当にそういう感覚でやってるんで、来てくれてる人への感謝がもうめちゃくちゃデカくて。この言葉もこんな時代だと嘘くさく感じるかもしれないけど、"誰が言うか"だよなと思うから、やっぱり自分自身がカッコ良くないと、誠実じゃないと同じ言葉でも同じ行動でも嘘になってしまう。それをなくしたいんですよね。

-大切なことです。ソロを始めた当初は街スタの押さえ方も分からなかったとのことでしたが、歌詞の一件があって、それでも事務所には所属せずに1人でやろうと思ったんですね。

当時は全然分からなかったけど、今振り返ってみると、メジャーでバンドをやっていた頃って、それこそ奪っていたんですよね。

-あぁ。なるほど。

自分も奪われているし、ファンの方からも奪っているし。やっぱり関わっている人、自分がやる側じゃない人からすると、音楽ってビジネスじゃないですか。それで飯を食っている人たちがいて、その人たちの生計を成り立てるために自分たちが音楽を作って、それを(ファンの方に)買っていただく。これが自分の中でめちゃくちゃ嫌だったんです。ただ、そういう状況で自分もやるってことは、そこに加担することになるわけじゃないですか。とはいえ、それで成り立っている人、そうすることで誰かを生かしている人もいらっしゃるわけだから、自分としては、その中に入るべきではないと思ったんです。

-それで1人でやろうと。

自分がやりたくないことをやりたくないと言っていいのは、自分で責任を持てるやつだけ、自分で舵を握ってるやつだけだと思っていて。昔一緒にやってたドラムが言ってた言葉で、"俺は誰の上にも下にも付きたくない"っていうのがあるんです。"あぁ、これだな"と思って。たぶん、自分も今でも上にも下にも人を付けたくないんです。じゃあ1人がいいのかと言ったら、そうじゃなくてみんなといたい。だから、みんなとは横の繋がりでいたいんだってことに10年やって気付いたんです。

-うんうん。

当時は街スタも押さえられないのが恥ずかしかったし、"デビューしてました"っていう昔の肩書きで食おうとしているのが嫌だったから、自分自身で歩けるようになりたかったんですよね。事務所の方には"絶対うちでやったほうがいい。そのほうが損失も少ないし、上手くいくよ"みたいに言われて、たぶんそのほうが正しいんですよ。でも、"これは上手くいくためじゃなくて、俺自身が経験として、人として学んでいくための機会にしたい。自分のお金で、自分の人生でやれることをやりたいので、申し訳ないです"って言って断らせてもらったんですけど、たぶん、そこは怖かったんだと思います。

-というと?

人の責任を負いたくなかったんだと思います。今はこんなふうにカッコつけて言ってますけど、当時は弱かったし怖かったから、1人だったら自分がやりたくないときにやらなくて済むし、それに、生きていける保証もなかったので。それは食っていけるとかお金の話じゃなくて、命の話。自殺未遂とかもしてたので。だから責任を負いたくなかったのかなと。そう思うと、やっぱり逃げから始まったと思うんですよね。

-始まりはそこだったけれども、10年続けてきたことで全然違う景色になっていて。

根本は変わらないと思うんですけど......変わっていったというよりは、知っていったのほうが感覚的には近いかな。こうだから自分はあのとき嫌だと思ったんだなとか、こうだからこんなふうに思ったんだろうなとか。バンドはずっとやりかったんですけど、今はソロがめちゃくちゃ充実しているから、今バンドをやりたいか? と言ったら、別にそこまでっていう感じではあるんです。というのも、俺はただバンドがやりたいんじゃなくて、好きなやつと一緒にいたいだけで、ソロでそれができるんですよ。

-むしろソロのほうができますよね。

そうそう。好きなやつらしか呼ばないし、好きなやつらと好きなことをしていたいっていう。で、自分が好きなやつらには好きなやつを紹介できるんで、こいつ絶対に合うと思うよって言えるし。そういう環境を作りたい。だから寂しがり屋なのかなと思います。1人になった怖さはやっぱりあったので、みんなといたいんだな、安心したいんだなって気持ちがあることを知ったというか。だから、やっていることはたぶん同じだったんですけど、そこに気付けなかった、言葉にできなかったのが10年前かなと思います。

-「Live Your Life」(2017年リリースの3rdシングル『MIDNIGHT LOVER/Live Your Life』収録曲)に"世の中を見て 少しわかって"という歌詞がありますけど、本当にそんな感じだったんですね。

もう本当にそうで。「Live Your Life」を作曲してくれたKOUICHI君とは今でも仲が良くて、彼はもともとラウドというかそっち界隈のバンドマンで、今は作詞/作曲家をしていて、「For Myself」も彼が作ってくれたんですけど。お互いベストの曲ってどれかなって話していたときに、「Live Your Life」という話をしたことがあって。

-おぉ。そうなんですね。

曲の良し悪しっていう意味じゃなくて、自分の経験がちょっと脂が乗ってきた上で詰め込めたというか、単純に素直な気持ちを書けたというか。自分の中では「For Myself」に続く、自分の生き様を歌っている曲なんですよね。あの曲は、今の自分が若い頃の自分に対して歌っているので、今おっしゃってもらったところは、まさにそのままです。

-絶望から始まったソロ活動だったわけですが、その後、ν[NEU]が復活してソロ活動と並走する時期があり、今年1月に"完全完結"されました。1人で歩き始めると決めた後に一度解散したバンドで再び活動する、そのときの心境はどんな感じでしたか?

(ソロの)4周年のときにLIQUIDROOMでやって、なんとか形になったんですけど、外の人間とのいざこざで疲れ果ててしまったところがあったんです。"結局音楽って利権かよ。そんなもんやりたくねぇよ"って。今だったらそうやって強く言えるんですけど、当時は逃げたんですよ。俺はもうこれ以上行けないと思って、夢から逃げたんです。夢から逃げたのは2回目で、1回目はそれこそバンドを解散した後。で、夢から逃げるとやっぱり病むんですよ(笑)。それで、自分1人じゃ無理だなって思ったんでしょうね。そのときにちょうど偶然なんですけど、ドラムのやつ(ЯeI)に誘われて飲むことになったんです。 で、飲んでいたら"リーダー(ヒィロ)呼んでいい?"って言い出して。うちはベースがリーダーでコンポーザーだったんですけど、俺、当時リーダーと絶縁してたんです。解散してから会ってなくて。だから"いや、俺あれから会ってないし"って言ったら"いいじゃん、もう別に"って言われて、そいつが呼び出したんですけど。呼んだにもかかわらず呼び出した本人が寝たんですよ(笑)。

-ははははは(笑)。

で、久しぶりだねって2人きりで話していたんですけど、そのとき単純に楽しかったんですよ。お互い外でいろんな経験をしてきて、やっぱりこいつおもろいなと思って、その日は普通に話したんです。その後に"みんなで1回会おう"っていう話になって、後日会うことになったんですけど、そのときに"やっぱり音楽をやりたい"って言う人たちがいたんですよね。解散後は俺以外のメンバーはみんな音楽をほぼやっていなくて、俺はソロでやってはいたけど逃げたところがあったから、何かしらの風が欲しいと思って。そこから満場一致でもう一度やることを決めたんですけど、コロナ禍で1回全部流れたんですよ。

-そうでしたよね。

でも、今思うと、あのときやらなくて良かったなと思っていて。自分としては逃げたところから始める、つまりネガティヴからのスタートになっていたから、希望がコンセプトのバンドをまたネガティヴから始めるのかっていう。だからコロナ禍には感謝しているところもあるにはあって。ただ、今回は自分たちだけの責任で終えることにしようと思っていたので、自分たちで会社を作って銀行から融資を受けたりしていたんですけど、全部流れてしまったことで借金を背負うことになったんですよね。で、実際に活動できるようになったのが、1年半後とかだったかな。そのときはただ借金を返すためだけに始めたんです。

-ものすごく生々しい話ですね。

あと、メンバーが1人参加できなくなったんです。コロナ禍で生活が変わって、東京に来られなくなった。でも借金は残ってる。ただ、このままやめてしまうと、メンバーが嫌いになってしまうだろうし、自分たちとしてもやらなきゃ良かったって思ってしまうだろうから、とにかくこれを一旦返そうと。これは借りているものだから、今はやる/やらないじゃなくて、とにかく借金を返す。それを返し終わってから、やるかやらないかを改めて決めようということになって、半年かけて4人で1,000万ぐらい返し終えて。

-おぉー。

じゃあここからどうする? となったときに、全員がやりたいって言ったんですよね。じゃあ期限をどうするかを改めて話し合ったんですけど、それが自分の10周年の半年前に終わる予定だったんですよ。復活の話が最初に出たときは、1人じゃ無理かもしれないって逃げていた時期だったけど、そのときはさっきの6周年を超えて、自分の中でもう吹っ切れていた時期だったんです。だから、改めて4人でもう1回話したときに、ν[NEU]にすがるのだけはやめようと。 メンバーみんなそれぞれ考えていることがあって、やっぱり音楽に未練があったやつもいただろうし、リーダーはファンの子への贖罪だったらしいんですけど、自分は今の音楽チームに還元できると思ったし自分たちの舵で終わらせられる、この船をゴールさせられると思ったのでやりたかった。だからメンバーと約束したのは、このバンドが自分の人生ですがるものになるなら、即やめよう。今の自分たちを大事にして、そのことを知ってもらうためだったらやろうっていうのが、借金を返し終えた後に決めたことでしたね。

-なんていうか、"借金"という言葉がリアルな感じでこういう場で出てくることってあんまりないので、ちょっと驚いてます。

ははははは(笑)。こういうところってあんまり見せないと思うんですけど、でも、そこを隠すのは、ファンの子からいただいているお金を隠してるのと同じだなと考えてて。だって、お金をいただいているから活動できて、それで飯を食ったりしてるわけじゃないですか。なのに現実的なところだけは言えないっていうのはちょっとおかしくない? ってことで、メンバーのあらゆること、年齢とか今の状況とかも全員当時インタビューで話したんです。俺らは隠さないでいこうと。これまでいっぱい隠してきたんだから、今回は隠さずに終わることがファンの子への礼儀だと思ったので。

-今年の1月に"完全完結"させたときに、改めてどんなことを思いましたか?

恵まれてるなと思いました。ほとんどのことって途中で終わってしまうものだと考えていて。寿命もそうじゃないですか。だから物語を完結できること、それも自分たちでやれることってめちゃくちゃ幸せなことだと思うんです。終わりってネガティヴなものだと思いがちなんですけど、美しいものとか、温かいものになる可能性があることをすごく学びました。自分が死ぬときの悔いが1個なくなったなっていう気持ちになれたから、めちゃくちゃ力になりましたし、あとは終わりを意識するようになりましたね。

-終わりというのはソロ活動の話?

というよりは、人としての終わりですね。自分としては"解散"のほうが楽だったんですよ。解散って、ある意味中止というか、続行不可能を"解散"と言っていたわけであって。やりたいかやりたくないかは置いといて、できないっていう判断だと思うんです。もう無理だっていう。でも"完結"は、できるのに終わらせなきゃいけない。そのためには、自分にとっての終わりとは何かを追求しなきゃいけないと思って、終わりとすごく向き合っていたんです。 自分は死ぬときになんて言うかなとか、もう二度と会えない人たちにどんな言葉を残すかなっていうことに、ずっと向き合いながら歌っていたので、やっぱりその期間は精神的にごっちゃごちゃだったんですけど、とにかく1月4日でν[NEU]のmitsuは死ぬんだと。そのためにどんな棺桶を作るのか、それをみんなにどう見せるのかって感じだったので、やっぱり死は意識しましたね。

-完全復活させてすっきりした部分もありつつ、今はまた別の課題が頭の中に出てきたみたいな感じでしょうか。

ラッキーなことに、自分はコロナ禍以降、5年間新曲を出していなかったんです。それで久しぶりに出したのが「水深」という曲で。その曲は、ν[NEU]で求められていた自分と、今の本当の自分との乖離を書いたんです。理想と現実の狭間というか。それを6周年で経験した、ネガティヴなものを作品で昇華するってやり方で初めてできたんですよね。このやり方で自分のソロはまた動き出すんだっていう喜びがあった。で、今度新しいMVを出すんですけど、それは「水深」の続きで、過去の自分の精神性を昇華するというのがテーマなんです。それこそ棺を燃やしているんですけど。

-おぉ。なるほど。

バンドを完結したときに思ったんですけど、それが温かいものに変わったんですよね。これって、終わりたなくないとか言って泣いていたら、たぶんそうはならなかったと思うんです。終わらせよう、お別れをしようと決めて、でもそれをなかったことにするんじゃなくて、背負っていこう、繋いでいこうと。だから終わってすっきりしたというよりはずっと付いてくれている存在というか、守護霊みたいな感じになったんですよね。この思い出たちは、この足跡は、振り返ろうと思えばいつでも見られるし掴める感覚に今はなってます。

-「水深」のMVを観たときに、声の雰囲気も歌っている内容も映像のトーンも、あからさまにこれまでとテンションが違うと思いましたし、それこそタイトルの通り、深く潜っていくような感じがありますね。

自分が制作しているときの感覚って、"潜る"に近いんです。歌詞を書くことって超苦しくて。息を止めて、海の奥深くまで潜っていって、底に転がっている石を拾って持って帰ってくる感覚があるから、途中で諦めたときはすごく浅い言葉しか書けなかったりするし、本当に深くまで潜ることって、それはそれでやっぱり怖いんです。取り込まれてしまったり、戻って来られなかったりする感覚があるから。ただ、海の一番深いところって超静かで、その静かな場所に落ちている言葉たちを紡ぐのが、創作とかアートに近いと思っているんです。