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INTERVIEW

GUS G.

2015.08.10UPDATE

2015年08月号掲載

GUS G.

Member:GUS G.

Interviewer:荒金 良介

-Ozzyと一緒に来たときは空き時間も一緒だったんでしょうか。来日時のエピソードがあれば教えてください。

うん、結構一緒に行動するよ。特にあのときはまだバンドが新しかったから、彼は一緒につるんで俺たちのことをよく知ろうとしてくれていたんだ。憶えているのが、大阪に到着して......(思い出し笑い)......ホテルに着いたとき、彼はカレーを食べたがったんだ。

-カレーですか?

そう。"5分後にロビーに集まって、みんなでカレーを食べよう"と言われた。"Ozzy、せっかく日本に来たのに、何でカレーを食べたいなんて言うんだ?"って言ったら"だって食べたいから"って。それで、全員分のカレーを注文してくれたんだけど、いざ食べ始めたら"うっ......クソみたいな味がする"って(笑)。

-(爆笑)

"他のものを頼めばよかった"なんて言うから"そりゃそうだよ! ここは日本だよ。日本食にすればよかったんだよ!"って言ってやったよ(笑)。

-カレーってインド料理店のカレーだったんですか? それとも日本風のカレー?

たしかホテルのメニューから選んだんじゃなかったかな。

-あぁ、じゃあ日本風のカレーかも知れませんね。

......かもね。俺は普段カレーは食べないからわからないけど(笑)。俺は麺類かなんかを食べに行くんだと思ってたのにさ。

-お寿司とか、ねぇ(笑)。......話を戻しますが、あなたもクラシック・ギターを勉強していた過去もあり、その点ではRandy Rhoadsとも共通点が見出せます。Randy Rhoadsのギター・プレイに関して、どんな感想を持っていますか?

うーん、俺はたしかにクラシック・ギターから始めたけど、クラシック音楽の教育を受けていたわけじゃないんだ。クラシック・ギターを使って基本的なコードを覚えたってだけでね。クラシック音楽の知識もないし。クラシック系の音楽は、Randy RhoadsやYngwie Malmsteenの音楽を通して覚えたんだ。そこからクラシックの曲に興味を持って、ヴァイオリンのコンチェルトを採譜して、ギターでやったらどうなるかっていうように研究していったよ。だからRandy Rhoadsの影響は明らかに大きいね。ギタリストだったら、自分が気づいていてもいなくても、彼の影響は受けているものなんだ。彼は現代のメタル・ギタリストの原型みたいなものだったからね。彼のあとに続いた人たちはみんな彼のプレイが土台になっていた。彼のモチーフの作り方とか、小節の使い方とか。

-彼が、クラシック音楽だけでなく、他のメタル音楽への扉も開いたんですね。

そうだね。ああいう音楽をやったのは彼が最初みたいなところもあるし。ヨーロッパ的なサウンドを商業的なハードロックと融合させた人だしね。とてもメロディックな、クラシックの対位法を駆使した音作りをヘヴィ・メタルに取り入れたんだ。もちろん、Yngwie Malmsteenもネオ・クラシック・スタイルで知られているし、とてもオリジナルだよね。でもRandyは現代のメタル・ギタリストがついていきたくなるような音を作った人なんだ。クラシックの影響とヘヴィな要素、それからブルージーな要素......あらゆる要素を少しずつ網羅していたね。すごく作り込んだソロをやる人で、いろんなテーマやメロディがあってソロの部分自体が1つの曲みたいな感じだった。

-Ozzyのバンドに入った時点であなたもギタリストとしての地位を確立していたわけですが、そういう意味ではソロ作品を出したことを喜ぶ人も多かったと思います。前作『I Am The Fire』はあなたにとって初のソロ作でした。ソロを作りたいというアイディアはいつごろから温めていたんですか?

考え始めたのが2012年の暮れか、2013年の初めだったんじゃないかな。OzzyがBLACK SABBATHを再結成することになって、しばらく時間ができるなと思ってさ。彼とはあまり仕事しなくなるだろうし。同時に、FIREWINDも10年間走りっぱなしだったから、そろそろひと息入れたいという話になったんだ。何しろ10年間で7枚もアルバムを作ったし、そのころヴォーカルが脱退したから、休みを取ろうと思ってね。そうして、FIREWINDでやっている音楽とはちょっと違ったタイプの曲を書き始めたんだ。いろんな人と曲作りを始めて、そろそろソロ・アルバムを作ってみるのもいいんじゃないかと思ったんだ。

-それ以前にソロ作を待望する声はあったのでしょうか?

そうだね。何年も前に、レコード会社のスタッフやファンからリクエストされたことはあったけど、どんなことになるかは見当もつかなかったんだ。もしかしたらインストゥルメンタル・アルバムを期待されていたかもしれないけど、俺はそれをやらなかった。むしろいろんなシンガーとのコラボみたいな感じになったね。インストゥルメンタル曲もあるけど、あまり多く入ってないんだ。新作なんて1曲しかないしね。そんな感じで、新作はちょっといつもとは違うアルバムになった。もちろんハードロックであること、ヘヴィであることは変わらないけど、それまでに作ったものとは全然違うものになったんだ。

-前作を発表して、周りの反響や感想はどんなものがありましたか? 答えにくい質問かもしれませんが、もし前作の反省点があれば教えてください。

うーん、特に反響とか感想とか考えていなかったんだよね。気に入った音楽ができたから出したいと思っただけで、それ以上のものはあまり期待していなかったんだ。でもとても評判が良かったね。日本では前作をプレイしたことがないから正直どうだったかわからないけど、ヨーロッパではたくさん演奏したし、アメリカでも少しやって、特にヨーロッパではとてもいい反応があったんだ。それで、あのアルバムを出したあとも曲を書き続けていたから、ツアーが終わったときにもう1度最初から作ってみようという気になった。そうして録音した曲たちが『Brand New Revolution』になったんだ。

-1度に2枚分録音したんじゃなくて、2回制作過程があったんですね。

そう。というか、『I Am The Fire』を作り終わっても曲を書き続けていたんだ。ミキシングとかが終わっても、Jacob Buntonたちと書き続けていた。タイトル曲の「Brand New Revolution」(Track.2)は『I Am The Fire』を作り終わったときにはすでにできてたね。『I Am The Fire』に入れようかとも思ったけど、レコード会社に"いい曲はもう十分あるから今回はいいよ"って言われたんだ(笑)。"わかった。じゃあ次回のためにとっておくよ"って言った。最初のアルバムを出して、ツアーの合間の休みのときには形になっていなかったものに取り組んでいた。素材はまだいろいろあったから、そういうときに曲を書き終えていたんだ。

-なるほど。「Brand New Revolution」があったからこそ、短いインターバルで2枚目のアルバムを作ることができたのかも知れませんね。

たしかにそうだね。まぁ、偶然の産物ではあるけど。1枚目は興味を持ってもらえるかどうかも考えたけど、自分がいいと感じたものなら出そうと思った。気に入ってもらえなかったらもう1枚作ればいいやと思って(笑)。結局はすごくいい反応をもらって、ソロでのショーもとても楽しめたからこの勢いでいこうと思った。今はレギュラー・バンドがないから、フットワークが軽いんだ。