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INTERVIEW

JAWEYE

2012.08.06UPDATE

2012年08月号掲載

JAWEYE

Member:上田 浩平 (Vo/Gt) 師崎 洋平 (Gt)

Interviewer:ムラオカ

-初めてのインタビューですので基本的なことから教えてください。
結成からわずか1年で契約し、さらにはミニ・アルバムをリリースしていますね。ここまで早く音楽性が固まり且つ高水準な作品を作り上げられたのはなぜでしょうか?

上田:単純明快に言ってしまうと、コツが掴めているってことだと思うんですよね。どういう風に制作をするべきなのか、どういう風にバンドのスケジュールを組み立てていくべきなのか。あとは結成した時からなのですが、このバンドはコンセプトや概念的なところ......つまりどういう音を誰に向けて鳴らすのかということを明確に話し合って行く先を初めに決めているんですね。それでみんなの意志が1つになると、そこに向かっていくスピードは速くなっていくんです。

-以前はメンバーみなさん異なったバンドで活動していたんですよね?

上田:そうですね。

-ちなみにどういったバンドで活動していたのでしょうか?

師崎:僕はパワー・ポップっぽい日本語詞のバンドをやっていましたね。CDもリリースして結構ガッツリと活動してました。

-上田さんはどういったバンドで活動されていたのですか?

上田:僕はエモーショナルな西海岸系メロコアをやっていて、その後音楽性を切り替えて日本語ギター・ロックのバンドをやっていました。

-そういったパワー・ポップをやっていた師崎さんと、日本語ギター・ロックをやっていた上田さんという2人が行き着いた先がJAWEYEというバンドの音楽性というのは少々意外に感じたのですが。

上田:僕としてはそこまでJAWEYEの音楽性と今までやってきたことが大きく離れているとは思わないんです。前のバンドでもメロディ・ラインの良さっていう点を一番大事にしていて、JAWEYEを始めた時にも一番得意なところを残しておきたいなって話をずっとしていて、必然的にメロディの良さを大事にしたものにしようと決めていたんですね。そこにプラスアルファ今までやっていなかったことをやろうってことで、デジタルの音色を導入してるだけであって、根幹にあるものはそんなに変わっていないのかなって思っています。

-エレクトロなどの装飾を取っていくと......。

上田:そうですね。アコギ1本でやっても不足のないようなメロディ・ラインなのかなと思っています。

-結成当初、まずはTwitterを中心に話題となったそうですが、11年結成という最近のバンドならではの話題の上り方ですね?

上田:そうですね。前のバンドではレーベルの方にそういうことを全部任せて活動してきてしまっていたんですが、JAWEYEではそういった新しいツールが出てきたらどんどん使いたいなって思って。その当時はまだ契約が決まっていなかったので、どういうプロモーションをしようかと考えた時にWEBを使わない手はないなって思って、Twitterで興味ありそうな人にアプローチしたり、逆に興味を持ってくれた人がコンタクトしてきてくれたり、双方向の情報発信ができていましたね。それは今もやっていることではあるのですが、当時はすごく新鮮でしたね。フライヤーを配ったりとかは昔からやっていたんですけど、もっと効率がいいやり方ってないかなと思っていて。PVっていうほどのものではなかったのですが、YouTubeに動画をアップしたりもしてましたね。

-JAWEYEというバンド名の持つ意味を教えてください。

上田:僕はもともと8年ぐらいバンドをやってきたのですが、バンドっていうよりも1人の相棒と一緒に活動してきたんだなってことを、そのバンドを解散する時に気付いたんです。ですので、新しくバンドを組む時にはバンド名をより人間らしくというか相棒だと思えるような人の名前っぽいものにしようと思ったんですね。最初は"JOE"って名前にしようと思ったのですが、男性的になってしまうんで、もう少し中性的にしたいなってことで"EYE"を付けて"ジョアイ"という響きを作って、それから綴りをどうしようかなと考えた時に、より人間的で、パーソナリティを強調したものにしたくて、"JAW"というアゴという意味を持つ単語と"EYE"(目)を繋げて"JAWEYE"にしました。

-まず上田さんがバンド名を決めてメンバーを集めたのでしょうか?

上田:最初は師崎の方からやろうと誘ってきてくれたんです。

-発起人というか最初に結成しようと動いたのは師崎さんということでしょうか?

師崎:そうですね。彼とはずっとやりたいと思っていたんです。2人でバンドを作ったら負けないだろうなって......そのことは彼が20歳で俺が21歳くらいの時からずっと思ってたんです。俺は、彼の歌が好きで、歌詞の世界観も好きで、曲も好きで。お互いがお互いのバンドで曲を書いていたので、2人で一緒に曲を書くようになったらすごいものができると思ってずっと誘い続けていたんです。それから彼がバンドを辞めることになって、俺もバンドを辞めるタイミングになった時に、一緒にやろうってことになりました。