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INTERVIEW

KAMIJO

2017.05.01UPDATE

2017年05月号掲載

KAMIJO

インタビュアー:杉江 由紀

禁断の方法論を経て、究極の美声を手にしたというカストラート。彼らは音楽史の中において、特異な存在だったと言えるだろう。このたび、VersaillesのフロントマンでもあるKAMIJOが、ソロ・アーティストとして発表するシングルのタイトルは、その名も"カストラート"。彼の描いてきた壮大な物語の新章にあたるという今作は、映画音楽にも似たスケール感とドラマ性を孕んだ鮮烈な仕上がりとなっている。7月19日には、この作品を実演する場としての"Epic Rock Orchestra"追加公演がZepp DiverCity Tokyoにて行われるというが、ロックやメタルに対してのこだわりを持ちながらも、その枠を軽々と超えていく彼の姿勢はいつにも増して美しい。

-KAMIJOさんはVersaillesのヴォーカリストとしてもご活躍中ですが、このたびはソロとしてシングル『カストラート』を発表されることになりました。つきましては、ここで改めてバンド活動とソロ・ワークスのそれぞれに対し、KAMIJOさんがどのような概念や棲み分けの意識をお持ちなのかを教えてください。

まず、大前提としてはバンドでもソロでも常に僕がその中心となって引っ張っていく立場にある、ということは両方において通じているところですね。音楽的な面に関して言えば、ソロの場合は何でも自由にできるというのが大きな特徴になってくるわけなんですが、今回は4月に行ったソロ・ライヴや7月の追加公演のライヴ・タイトルとして掲げている"Epic Rock Orchestra"という言葉が、重要なキーワードになっています。これは、自分自身で"改めてソロとはいかなるものなのか"ということを見つめ直したときに生まれ出てきた言葉なんですよ。

-"Epic Rock Orchestra"とは、ずいぶんと壮大なイメージを持つ言葉ですね。

僕はコンポーザーとして歌謡曲的な楽曲も作りますし、もちろんシンフォニック・メタル的な要素を持った楽曲も非常に大切なものとして考えていますが、現状Versaillesとしての活動もしているなかで、ソロとして最も今やりたかったのは、まさにこの"Epic Rock Orchestra"という言葉からイメージできるような、スケール感のある音楽だったんです。もっと言えば......突き詰めると、僕は"映画を作りたい"んでしょうね。

-つまり、音楽と映像を統合した総合芸術としての映画を作りたいということですか。

昔から、その想いをずっと持ってきているのは確かです。例えるなら、僕は映画のサウンドトラックのような音楽をかたちにすることを常に目指してきているわけで、もちろんそこはバンドでもソロでも意識は変わりません。そして、より著しくその点を追求しながら自分の中で大きく盛り上がっちゃったのが今作『カストラート』だったんです(笑)。

-だとすると、この『カストラート』は曲作りとプロット作りのどちらから始めていくことになったのでしょう。

ここはソロとバンドでの最も大きな違いになりますが、ソロの曲はすべて"原作"から生まれます。そもそも、僕のソロではルイ17世という悲しい王様を主人公とする物語をずっと描いてきていて、今回の『カストラート』はその新章にあたる物語を音楽として表現したものなんです。

-なるほど、そういうことでしたか。このたびはKAMIJOさんのソロ作品に初めて触れることになる方たちもきっといらっしゃると思うので、一応これまでのあらすじについても簡潔にご説明をいただけますと嬉しいです。

すごくかいつまんだお話をしますと、僕はフランス革命の時代が大好きなんですよ。その中でも、僕が特に着目しているのはルイ17世にあたるルイ・シャルルという人物でして、彼は父がルイ16世で母がマリー・アントワネットなんですね。そして、一般には彼は10歳のときに亡くなってしまったことになっているんですが、僕の描いているストーリーの中では亡くなってしまったのはニセモノで、本物のルイ・シャルルは幽閉されていたタンプル塔というところから、音楽家であるベートーヴェンによって連れ出されて、そのあとも生き続けていたんじゃないか、という前提をもとに進んでいっているんです。今作はそのフランス革命から約200年後の現代が舞台です。

-では、その脈絡の中における『カストラート』とはどんな局面を描いた作品になるのでしょうか。

カストラートというのは、かつて近代以前のヨーロッパで普及していた男性歌手の総称なんですね(※かつてオペラの世界には高音域を出すことを目的に、去勢した男性歌手が存在していた。現在は人道的な理由から禁止されている)。ただ、ここではカストラートの生み出す歌声そのものに焦点を当てているわけではなくて、カストラートのように何かを失うことにより、何かを得ることの意味といいますか。美の代償というものを、この作品の中ではテーマにしているんです。僕の中にある耽美論が、カストラートの存在とある面でとても重なり合うところがあったんですよ。

-美の代償とはなかなかに重い言葉ですね。

とはいえ、僕は別に道徳や倫理を批判するつもりはないんですよ。でも、もしそれらを犠牲にしてでも手に入れたい美や守りたい愛があるのだとしたら、そこはまた別の話になってくるのかもしれないなと思うんです。こうして活字になってしまうと、どうしても"クサいことを言っているなぁ"と受け取られがちでしょうけどね(苦笑)。だけど、よく考えてみてほしいんです。仮に、自分の親や大切な人の命が危ないですとなったとしますよね。そういうときに、"ここに道端で踏みつけられている汚れた花があります。しかし、これをその人の口に入れれば命は助かりますよ"となったら、どうしますか?

-いろいろ考えた末に、食べさせてしまうと思います。

結局、人間には誰しも手段を選ばずに何かを達成したいと思う場面が時に出てくると思うんですよ。そういう意味で、僕はこの『カストラート』を通じて受け手の方たちにストーリーという部分を抜きにしても、"人は未来のための選択をして生きていくべきだ"ということをお伝えしたいんです。なぜなら、どうしても人間というのは遠い未来のことよりも目の前の欲に惑わされてしまったり、溺れてしまったりしがちですからね。あるいは、自分で"ここが限界だ"と決めつけてしまっているために、そこから先に進めないという事態が起きてくるのかもしれない。未来のための選択をすることによって、自分の望む現在を自分の元に引き寄せることはできるはずなんですよ。