INTERVIEW
陰陽座
2025.08.06UPDATE
2025年08月号掲載
Member:瞬火(Ba/Vo)
Interviewer:杉江 由紀
瞬火はかく語りき。陰陽座が始動から25年の時を経て発表する最新作『吟澪御前』は、歌や音楽を吟ずること自体を己の澪(航跡)として生き様とする、という意味を持っているのだと。鬼手仏心かのごとく、鬼気迫るような冴え渡る音楽的手腕と、深い知識や見識と悟りの境地さえ感じさせる歌詞世界をもって、陰陽座はよりいっそう唯一無二な存在となって今作を編み出したと言えるはず。四半世紀にわたり、ヘヴィ・メタルを独自の姿勢で究め続けてきた陰陽座の真理に迫る音を聴くがいい。
陰と陽の両方があるというのも陰陽座らしさの1つ
-前作『龍凰童子』(2023年リリースの15thアルバム)からは約2年半ぶりの、陰陽座の新しいアルバム『吟澪御前』がいよいよ完成へと至りました。なんでも、アルバム・タイトルの面で前作と今作には繋がりがあるそうですね。
アルバムの内容が繋がっているわけではなく、ストーリーの面で関連性があるわけでもなく、ただ言葉として関連しているということですね。"童子"が強力な男性の鬼に付けられる語句であり、"御前"は強力な女性の鬼に付けられる語句であるということを踏まえると、"龍凰童子"と来て"吟澪御前"と来れば、何かしらの流れがそこにあるかのように感じられるのでは、と。そして、"龍凰童子"のときは龍と鳳凰を守護獣として纏った鬼、という意味でしたが、今回の"吟澪御前"については、歌や音楽を吟ずること自体を己の澪として自分の生き様とする、という意味でこのアルバム・タイトルを付けているんです。"澪"というのは船が通った航跡を表す言葉なんですね。つまり、"龍凰童子"も"吟澪御前"も、それぞれに陰陽座のことを表したタイトルになっているわけです。
-なるほど。両作のタイトルはその点での繋がりを持っていたのですね。
もっとも、今回の『吟澪御前』は、前作よりもさらに一歩踏み込んだものになったとも言えるのですが、このタイトルは、黒猫というヴォーカリストを吟澪御前という存在に見立てた上で付けたものでもあるんですよ。もちろん黒猫が吟澪御前であるとなれば、ひいては陰陽座もそれであるということですから、このアルバムに収めてある音楽が自分たちそのものなのだと宣言をしている点からいくと、やはり"龍凰童子"と"吟澪御前"は、同じ意志を持ったタイトルになっているのは間違いありません。
-そんな今作には全12曲が収録されておりますが、曲作りをされていくなかで瞬火さんが何か意識されていたことや、意図して目指した方向性等は何かありましたか。
この『吟澪御前』を作っていく上で欲しい要素は、かなり明確でしたね。前作『龍凰童子』のときは諸事情もありつつで制作期間がずいぶんと長くなったため、その分マテリアルも数多く用意してその中から収録曲を選んでいったんですが、今回は、"吟澪御前"というタイトルのもとで"陰陽座とは"を改めて伝えていくための曲たちを作っていく、という目的が当初からはっきりしていたんです。
-なお、タイミング的な面からいきますと、今作『吟澪御前』は陰陽座にとって始動から25周年を経て初めて発表されるアルバムでもあります。そのような点を、作曲や制作の過程において踏まえていらしたところはありましたか。
そこは全く意識していなかったです。もちろん、陰陽座が25年以上もの長い間にわたって活動することを許されてきたのは、ファンの方々の存在があってのことで心から感謝をしているのですけれど、25周年だからこんな曲を作ったというようなことはないですね。
-承知いたしました。では、ここからは各曲についてのお話も伺ってまいりましょう。『吟澪御前』の中で最初にできあがったのはどちらの楽曲でしたか。
4曲目の「誰がために釜は鳴る」です。これはアルバムの制作に入る遥か前からすでにアイディアとしてはあったもので、自分としてはすごく気に入っていたんです。ただ、なぜかここまでの作品には収録する機会がないままになっていて、別に他のマテリアルと比べてクオリティ的に劣っているわけでもなかったんですが、たまたまバリエーション的なバランス面で音源化する機会を逃してきていた曲に、ここでようやく日の目を浴びさせることができました。
-「誰がために釜は鳴る」は、今作中でも特にメロディ・ラインの個性やサビの抜け感が際立っている印象ですね。
他がわりとシリアスといいますか、深刻な雰囲気の曲も多く入っているアルバムですし、これはわりと"あっけらかん"としたことを歌った曲になっている分、より目立つところがあるかもしれません。そうした陰と陽の両方があるというのも、陰陽座らしさの1つだと思います。
-では逆に『吟澪御前』の中で最後にできあがったのはどちらの楽曲でしたか。
流れをまず説明すると、先程の「誰がために釜は鳴る」は以前からあったマテリアルでしたが、『吟澪御前』のために作った曲としては、1曲目に入っている「吟澪に死す」が最初でした。そこからは「吟澪に死す」をアルバムの顔役として据えながら、そこを軸にしていろいろと曲を作っていきまして、最後にできたのは2曲目に入れた「深紅の天穹」だったと思います。
-最初にできた「吟澪に死す」と、最後にできた「深紅の天穹」がアルバムの冒頭で2曲並んでいるというのは、なんとも興味深いです。
「吟澪に死す」はほぼタイトル・トラックに近いものですし、曲としても、これこそ陰陽座だと感じていただけるような直球ど真ん中なものになっていると思います。詞の面でも、まさにこのアルバムのコンセプトをそのまま歌った曲になっているんですよ。それを最初に置くことにより、そこから「深紅の天穹」も含めた様々な曲たちが、それぞれの持ち場で機能できている面もありますね。
-もはやこの冒頭2曲を聴いただけでも、音や歌詞から、陰陽座が四半世紀にわたって極め続けてきた"道"を感じることができるのはさすがです。陰陽座にとっての"歌や音楽を吟ずること"は、単にやりたいことをやっているという以上に、きっと皆さんにとっては宿命であり使命となっているのかもしれません。
もともと陰陽座は、ただただ自分たちが聴きたいと思う音楽を、すなわち自分たちが心から好きだと思えるヘヴィ・メタルをやるために始めたバンドで、結成した1999年当時だとヘヴィ・メタルは時代遅れという扱いをされていて、メジャー・デビューしようとか、したいと考える余地もないくらいの状況でした。実際、デビューしようという気もありませんでしたし。ところが、幸いにも2001年にデビューさせていただくことになり、結果として25年も続いて来たわけですから、実際問題こうなってくると、もう"後戻りはできない"という心境になっているところはあります。いつ終わるかは分かりませんけど、そのときまでやれるだけのことをやり続けていくしかないと思っていますね。
-強い覚悟と矜持が感じられるお言葉です。
でも、どうなんでしょうね。バンドの作っている音楽というものは、ファンの方々からは人生の支えだとか、生きる希望だとか言っていただけることもありますし、皆さんが陰陽座の音楽を心から楽しんで聴いてくださっていることも、分かってはいるのですが、もっと広い視点で見たときに世の中でどのくらい役に立っているのか? と言えば、基本的に"絶対に必要なもの"には入らないものだと思うんですよ。
-少なくとも第一次産業にはカテゴライズされませんよね。コロナ禍でも非エッセンシャルな産業として扱われましたし。
いやまさに。第一次産業以上に大事なものはないのですよ。こんなふうに好きなことをやって口に糊することができているのは、本来ならば罰当たりなことですから。そのくらい我々が置かれている状況というのはとてもありがたいものなので、そこに対する感謝は常に忘れずにいようと心掛けているんですよ。とにかく、皆さんから"もういらない"と言われないように、我々は良い作品を生み出し続けていきたいと考えています。もしもそれが陰陽座の宿命なのだとしたら、そんなありがたい宿命があるのかと思いますね。
-ところで、話はやや前後しますが、先程も少し触れさせていただいた「深紅の天穹」については、陰陽座の特徴の1つである黒猫さんと瞬火さんによるツイン・ヴォーカルが、相当にフィーチャーリングされているところが、ポイントではありませんか。
2人で歌っている曲は今までにもいろいろありましたが、ここまではっきりと2人でリード・パートを分け合って歌う曲はそんなに多くないかもしれませんし、ちょっと久しぶりという感じもあるかもしれません。
-黒猫さんという圧倒的なヴォーカリストと対峙する際、瞬火さんはどのようなスタンスで臨まれることが多いのでしょうか。
僕の率直な主観を言葉にするなら......例えるとしたら"ONE PIECE"と"ドラゴンボール"、どちらが分かりやすいですか?
-では、ぜひ"ドラゴンボール"でお願いします(笑)。
分かりました。僕もそっちの世代です(笑)。僕は孫悟空と共に闘うヤムチャの心境で歌っています。ヤムチャは気を抜くと死んじゃいますから。死なないように、孫悟空の足手まといにならないように、必死でやっている、という感じです(笑)。
-少し意外です。「深紅の天穹」での歌も大変に頼もしくいらっしゃいますのに。
ヤムチャもね、やるときはやるんですよ(笑)。狼牙風風拳がちゃんと的確なところに刺さったら、せめてあれくらいの威力にはなるというか。いずれにしても、僕にとっての黒猫が孫悟空であり、ナンバーワンであることに間違いはありません。
-「深紅の天穹」の詞は、そもそもお2人で歌うことを前提に書かれたのですか?
そうですね。曲を作った時点でどのパートをどちらが歌うかは決めていたので、後になって詞を書いていくときにも、誰が歌うかということは踏まえながら書いていきました。内容的には、わりとリアルに現在の世の中を憂いている詞になっています。
-かねてより"妖怪ヘヴィメタル"の肩書きを持つ陰陽座は、現実と乖離した世界を描くことが多いバンドですけれど、時にはここまで世相に斬り込まれることもあるのですね。
今の世の中、この国もそうですし世界もそうですけど、ある方向に偏った意味ではなくて、全方向的にマズい方向に進んでいる感じがしてならないんですよ。どこか一面だけを切り取ったり、特定の方向だけから見たりして憂いているわけではなく、もう漠然とあらゆることに危うさを感じるというか。
-ここ数年で戦争や紛争はいっそう増えましたし、ネット社会も見事に炎上案件だらけです。異常気象によって山火事等も世界規模で頻繁に起こり、あちこちからいろいろな形で火の手が上がる現実を目の当たりにする日々ですものね。
どの方向から、どの意味で見ても、なんだか危ないことばかりだなと僕も思うんです。だから、この詞では比喩的に青いはずの空が真っ赤に燃えているという表現を使いました。何かイデオロギー的に一方から一方を責めるようなものではなく、みんなが肌で感じているような危機感をここでは歌として叫んでいるんですよ。と言っても、別にこの歌で世界を変えたいみたいなことを思っているわけではありません。僕としては、純粋に1つの題材として今これを叫ばずにはいられなかったというだけですし、もともと妖怪を題材にしているのも、ひいてはそれを見る人間の心を歌うのが目的ですので、普段の題材とこの曲の題材に、それ程の乖離は感じていません。