INTERVIEW
陰陽座
2025.08.06UPDATE
2025年08月号掲載
Member:瞬火(Ba/Vo)
Interviewer:杉江 由紀
-3曲目の「鬼神に横道なきものを」は、コールの入り方等から言っても、ライヴ映えしそうな躍動感に溢れた仕上がりになっておりますが、これはどのような生い立ちを持っている楽曲なのでしょうか。
コールの部分はぜひライヴで一緒に叫んでほしいと思います。タイトルと詞に関しては、酒呑童子という鬼がお酒に一服盛られて謀殺される前に遺したとされる捨て台詞を題材にしたもので、鬼ですら卑怯なことはしないのに人間というのはこざかしく卑怯なものだな、という旨の恨み言葉を歌にしています。つまり、これは酒呑童子が討伐される場面をそのまま描いた曲なんです。
-ということは、5曲目の「星熊童子」も鬼繋がりの曲ということになりますか。
その通りです。酒呑童子の配下には、腹心である茨木童子の下にさらに四天王と呼ばれる鬼たちがいて、その中に入っているのが星熊童子なんです。ちなみに他には熊童子、虎熊童子、金童子、または金熊童子というのがいます。要するにみんな"熊"の字が付いているんですよ。
-熊の獰猛さとも通ずるのか、この「星熊童子」はサウンド的に今作の中でも随一のアグレッシヴさを持っておりますね。
この子がそこを担っている感じはあります。酒呑童子を騙して首を斬ったのは源頼光で、想像するに、山伏に化けて珍しい酒を持って行った彼を招き入れたのは茨木童子だったんですが、四天王たちはみんな"そんなやつは怪しい。食ってしまえ"と言っていたんですね。きっと四天王たちは茨木童子が人間と内通していたのでは? と疑っていたのではないかと思うんです。そうなると、星熊童子たちの中では裏切り者=茨木童子に対する憤怒がどんどん湧いていったんじゃないかな? という想像から、憤怒があの音像に投影されていきました。怒りまくってるわけです(笑)。
-かと思うと、6曲目の「毛倡妓」は三味線を交えた音が印象的な楽曲となっております。黒猫さんの歌にも、どこか民謡に近いようなニュアンスが漂っておりますね。
妖しげで艶やかで、とてもシンボリックな楽曲になっているのではないかと思います。毛倡妓というのは妖怪の名前なんですが、馴染みの娼妓を町で見かけたとある男が後ろから声を掛けた後、前に回って覗き込んだら顔も毛だらけだったという伝承がもとになって、生まれた存在なんですよ。でも、これは前も後ろも毛が生えた妖怪が本当にいたということではなくて、風かなんかで娼妓の髪がバサバサに乱れていたときに、無遠慮な馴染みの客が覗き込んで勝手に驚いたというのがもとなんじゃないかと僕は思ったんです。
-仕事と関係のないプライベートのときに、店外で顧客が女性の源氏名を呼んだり、馴れ馴れしく声を掛けるのは現代でもどの時代でも芳しいことではないはずですよね。それに、昨今は仕事とプライベートの線引きを見誤ってのいたましい加害事件も起きていますので、これは妖怪の話でありながら現実に対する警鐘でもあるのではないでしょうか。
お金を払って楽しく遊んでる分にはいいですけど、それで心が通じたつもりになってしまうのは不合理な話ですし、勝手にルールを破る、ましてや加害するなんてもっての外です。毛倡妓さんはこの曲の中で、そういう失礼な男に対して優しい感じでちょっと艶っぽく怒ってあげているんですよ。
-エンターテイメント作品としてのウィットも入れ込みながら、しっかりと風刺もしているわけですね。
曲によっては完全に古の妖怪のことだけを歌っているときもありますけど、そうだとしても妖怪自体が人間の心の機微であったり、実際の人間模様をもとに描かれて今に伝えられている面もあるので、陰陽座が表現する妖怪もほとんどの場合、何か特別な生きものというよりは、人が感じたことや思ったことに姿を与えたものになっています。
-そうした妖怪モノとはまた別に、陰陽座と言えば長らく続いてきた"忍法帖シリーズ"もつとに有名です。ただ、前作『龍凰童子』に収録されていた「月華忍法帖」について、瞬火さんは当時(※2023年1月号掲載)"物語としては、この「月華忍法帖」から過去に発表した別の忍法帖の曲に繋がるんですよ。さらに言うと、そこから戻ってきた場面が、このアルバムの14曲目に入っている「静心なく花の散るらむ」になるんですね。で、その後はまた別の過去の忍法帖の曲に飛んで、一連のストーリーは完結することになります。(中略)できるときにきっちり物語を終わらせておきたい、という気持ちがあったんです"と発言されておりましたよね。だとすると、今作での「紫苑忍法帖」が、どのような立ち位置の楽曲であると解釈すれば良いのかが知りたいです。
ややこしい話にはなりますが、そもそも"忍法帖シリーズ"のベースになっているのは、山田風太郎先生の"忍法帖"シリーズ小説で、陰陽座ではそれに対するオマージュとしてこれまで何曲も"忍法帖"を作ってきました。もともとは連続したストーリーはなく、毎回別々のとある忍者たちの姿を切り取る形だったんですが、ある時点から1人のキャラクターの存在が大きくなって、シリーズ内シリーズ的な感じでの女忍者"カミナリ"シリーズが始まったんですよ。
-スピン・オフが発生したわけですか。
というか、女忍者"カミナリ"シリーズのほうが本編みたいになっちゃってた時期がしばらく続いてたんですね(笑)。それが前作収録の「月華忍法帖」と「静心なく花の散るらむ」を経て完結したということなんです。だから、今回の「紫苑忍法帖」はシリーズ本編の中の1曲ということになります。
-そういうことでしたか。
なので「紫苑忍法帖」に女忍者"カミナリ"は出てきません。が、その一連の"忍法帖"のイメージが強い人にとっては、"これってあのシリーズじゃないの?"となるような雰囲気の曲になっているのも事実です。
-それから、今作の中でバラードとしての存在感を強く放っているのが、"地獄"と題された曲となります。ヘヴィな楽曲、ドラマチックな曲等もあるなか、瞬火さんがバラードを作る際に大事にされていることはなんですか。
仮にもヘヴィ・メタル・バンドである以上、陰陽座には激しい曲がたくさんあるわけですが、バラードは決してその合間を埋める箸休め的なちょっと静かな曲、という感じではないですね。中には力強いバラードというのもありますし、この曲のようにアコースティックで悲しく静かなバラードもありますが、どれも必然性を持ったものとして作っています。
-そして、「地獄」の歌詞には"鰾膠も無い 鬼たちが"という1節がありますね。
ここでの鬼は○○童子のようなキャラクターとは違います。この詞はとある近年の出来事をモチーフに書いたもので、なおかつそれはいろいろ言うのもはばかられるくらい陰惨な内容なため、ここでの詳しい説明はあえて避けますが、要するにこれは本当に起こったことであると同時に、今もって毎日のように起きていることなんですよ。そして、聴いてくださる方がどのことを想起されてもそれは間違いではありません。この世の地獄、生き地獄に落とされた人の魂が救われていない現実に対して、せめてこういうかたちで及ばずながら祈りを捧げたかったんです。
-「地獄」は心して聴きたい1曲です。また、今作では後半において「鈴鹿御前 -鬼式」、「大嶽丸」、「鈴鹿御前 -神式」という3曲が並べられておりますけれど、この気になる展開についても瞬火さんからの解説をいただけますでしょうか。
その3曲は、当初3部作の組曲として作ろうとしていたものなんですよ。そして、伝承の上で鬼女とも神女とも呼ばれている鈴鹿御前について描いていくには、彼女に絡んでくる強力な鬼、大嶽丸についても触れる必要がありました。でも、大嶽丸は組曲の一部として片付けるには忍びない存在であるため、別途タイトルを付けて独立させました。そして、「鈴鹿御前 -鬼式」と「鈴鹿御前 -神式」では鈴鹿御前という人物の、鬼女としての立場、神女としての立場をそれぞれ描き分けています。二面性を明確にしたかったんです。
-日本には古くから鬼神という言葉があるくらいですし、鬼と神を表裏一体なものとして同一視する文化は根付いているのでしょうけれど、そこを切り分けて表現されたことで、鈴鹿御前というキャラクターの解像度が高精細になっている印象です。
鈴鹿御前に関しては伝承や伝説のバリエーションが無数にあるので、結局どんな人だったのかは調べれば調べる程分からなくなっていくんですよ。この曲では一番シンプルに、鬼の娘として生まれて、坂上田村丸という侍と恋をして結婚し、そこからは人間側について逆に鬼を倒すようになり、田村丸に力を貸して大嶽丸も退治し、最後は夫と添い遂げて死ぬ物語を描いていますが、ここでは他ではあまり語られていない"なぜそうしたのか"というところまでを、自分なりに想像して踏み込みました。
-「鈴鹿御前 -鬼式」と「鈴鹿御前 -神式」は物語が物語だけに、サウンドも非常に劇的ですね。
鬼としての葛藤もあったでしょうし、田村丸を助けるためとは言っても多少の呵責はあったでしょうから、そうした心の揺れを音で表してこうなりました。鈴鹿御前は、田村丸と出会ってからは意趣返しのような感じで、運命に抗いながら自分の人生を取り戻していくことになったのではないかな、と僕は捉えているんです。
-「大嶽丸」がハードな音になっているのも、物語性を反映しているからなのですね。
大嶽丸は田村丸と鈴鹿御前に倒される鬼の中でも、最も強力な鬼ですからね。でも、大嶽丸もただそれだけの存在ではないんですよ。鈴鹿御前は大嶽丸が自分に気があるのを知っていて、その気持ちを利用して大嶽丸の武器を言葉巧みに奪い、弱体化させ田村丸に打ち取らせるんです。そうなっても、大嶽丸は惚れた弱みで鈴鹿御前のことを憎み切ることはできなかったという場面を、この曲では、ハードな音だけではなくセンチメンタルな展開を入れることで表現しているんですね。
-聴いていて「鈴鹿御前 -鬼式」、「大嶽丸」、「鈴鹿御前 -神式」の3曲が今作最大の佳境部分だと感じます。そのせいもあり、最後の「三千世界の鴉を殺し」には、どこかボーナス・トラック的な響きも感じるのですけれど......
陰陽座のアルバムの最後に入る曲は、伝統的に、ライヴで言えばアンコールのような存在になっていますからね。「三千世界の鴉を殺し」も、そうした曲の1つとして作りました。題材となっているのは高杉晋作が詠んだとされる"都々逸"です。
-"三千世界の烏を殺し 主と朝寝がしてみたい"というあれですね。
あまりにも有名すぎて、この"都々逸"にもいろんな解釈がありますが、ここでは"様々な厄介事をなくしたら、お前とのんびりできるのにな"という基本的な意味合いで捉えた詞を書きました。高杉晋作が若くして亡くなっていることもあり、彼の言っていることからは、映画とかでたまにある"この世界に平和が戻ったら、俺は結婚するんだ"的な匂いを僕は感じてしまうんですよ。
-映画"フォレスト・ガンプ"の登場人物、バッバ(・ブルー)に代表される死亡フラグですか。
そう、絶対に言っちゃダメなやつです(苦笑)。まぁ、高杉晋作は倒幕を志す革命家としてこれを詠ったんだと思いますけども、そこまでじゃないにしても、今の世の中だって気が休まらないことはたくさんあって、もうちょっと楽にならないものかなと感じている人はきっと少なくないと思うんですよ。ニュアンス的にこの歌詞には「深紅の天穹」に近いところも少しあって、ある種の願望を歌ったものになっているんです。
-つくづく、全12曲の『吟澪御前』は濃密でクオリティの高いアルバムへと仕上がりましたね。9月の"陰陽座ツアー2025『吟澪』"にも期待が掛かります。
今までもずっとやってきたことではありますが、アルバムを引っ提げてのツアーとなれば、バンド側としては、アルバムの世界にどっぷり浸かっていただくことを最大の目的としていますからね。ここからは招鬼(Gt/Cho)、狩姦(Gt/Cho)、黒猫と共に歌や音楽を吟ずることで、『吟澪御前』で宣言したことをライヴという形で昇華していきたいと思います。