INTERVIEW
ALI PROJECT
2023.02.17UPDATE
2023年02月号掲載
Member:宝野 アリカ(Vo) 片倉 三起也(Key)
Interviewer:杉江 由紀
愛と平和を護り抜くための闘いは、人間にとっての尊厳に直結するものであると言えはしまいか。多彩な表現力を持つ希代のヴォーカリスト、宝野アリカと鬼才クリエイター、片倉三起也によるALI PROJECTが、2022年に30周年を迎えたうえでこのたび発表するアルバムのタイトルは、"天気晴朗ナレドモ波高シ"。これは日露戦争時にロシア大艦隊を目前にした作戦担当参謀中佐、秋山真之が大本営へ向けた電文の一節であるという。表題曲の中で歌われる"戦争知らぬ ぼくらも/生きることは 戦い"、"守るものは 気高い/平和という 生きもの"といった歌詞たちや、いつにも増してロック度の高いドラマチックな音像から感じられるものは実に多い。
このテーマ、このタイトルで作品を生み出すならまさに"今しかないな"って思いました
-ALI PROJECTとしての30周年記念アルバムであった前作『Belle Époque』(2021年リリース)から早14ヶ月が経ちまして、このたびは新たに『天気晴朗ナレドモ波高シ』という作品が世に出ることとなりました。『Belle Époque』が美意識の塊のような音世界であったのに対し、今作ではこのアルバム・タイトルからして、日露戦争時の日本海海戦においてロシア大艦隊を目前に作戦担当参謀中佐、秋山真之が東京の大本営へ向けた電文の一節が冠されているようですし、聴き進めていくと、音や歌詞からそこかしこに"戦争"のイメージが感じられる点も非常に印象的です。これはもしや、単に日露戦争をモチーフとしたものではなく、昨今の時代性を踏まえたうえで作られたものになるのでしょうか。
片倉:この1年くらいの状況を見ていると、やっぱりねぇ......結構ヤバかったりしますから。たしかに、このアルバムに関してのミーニングという点では、"そこ"もかなり含んでいるところがあります。僕は昔、司馬遼太郎さんの日露戦争を描いた作品("坂の上の雲")を読んだことがありますけど、殺戮も戦争も決していいことではないという前提があるとはいえ、まだあの当時は日本人は日本人で武士道を重んじていたところがあったと思うし、ロシアにしても彼らなりの魂は持っていたと思うんですね。
-歴史的な経緯から言っても、侵略してくるタタール人と闘った気高きコサック魂というのは、きっと彼らなりにあったはずですよね。
片倉:そうそう。当時は当時で日本もロシアもお互いに闘うことになってしまった状況はあったにせよ、どこかではそれぞれに平和を希求していたところもあったんじゃないかとも思うわけでね。一方で、今はウクライナの状況とかがたくさん映像として伝わってくるじゃないですか。ああいうのを観ていると本当に悲しくなってくるし、個人的にはいろいろと思うところもあり、今回のアルバムに向けたテーマやこのタイトルがだんだんと生まれていきました。
宝野:片倉さんから今回の話を聞いたとき、私もこのテーマ、このタイトルで作品を生み出すならまさに"今しかないな"って思いましたね。
-ALI PROJECTの描く"戦争と平和"は実に奥深く、音楽作品としての完成度も今まで以上に極まっている感がありますが、今作の中で最初に作られたのはどちらの楽曲だったのでしょうか。
宝野:1曲目の「絶途、新世界ヘ」です。実は、この曲ができた段階ではまだ今回のコンセプトは決まっていなくて、もうひとつの候補として妖怪をテーマにしていくという案もあった状態だったんですね。それもあって、この曲は少しおどろおどろしい雰囲気から始まっていくかたちに仕上がっているんです。
-そういえば、前作『Belle Époque』の取材時(※2021年12月号掲載)にアリカ様は将来的なヴィジョンとして、"私はアリプロ(ALI PROJECT)でまだ妖怪シリーズをやってないし。もっと人ではないいろんなものになって歌いたい!!"ということを発言されていらっしゃいましたっけ。
宝野:もともと片倉さんも"ウォーキング・デッド"が好きな人だから(笑)、一時は完全にホラーっぽい作品で行こうかっていう話もあったんですよね。それで、雰囲気としては"ゾンビが行進しているみたいな曲を作ってよ"って言って、最初にできてきたのがこれだったんです。でも、歌詞を書く段階では"ゾンビはいつでもできるよね"となったのもあり、アルバム・タイトルを"天気晴朗ナレドモ波高シ"にすることが決まっていたから、多少のゾンビっぽさも残しつつこういうかたちになったんです。
-この「絶途、新世界ヘ」に、"カタカタと骨を鳴らし/歓喜の歌を吠えよ"という歌詞表現が出てくるのは、そうした経緯があったためだったのですね。
片倉:イントロの音の響きもちょっと怖いでしょ(笑)。
宝野:ゾンビですからね。そりゃ"生きるか死ぬかなど/くだらない問題"ってなるわけです(笑)。だけど、そこから俺たちで新しい世界を作っていこう! という内容でもあるので、ポジティヴな歌にもなっているんですよ。
-なるほど。では、逆に『天気晴朗ナレドモ波高シ』の中で最後にできた曲というのは、どちらの楽曲だったのでしょうか。
片倉:4曲目の「密林ヨリ応答セヨ」でしたね。
-「密林ヨリ応答セヨ」は今作の中で最もアグレッシヴなサウンドに仕上がっている曲ですし、歪んだギターの音もかなりフィーチャーされているように感じますので、ここは激ロック読者の方々にも特におすすめしたいところではあります。
宝野:今回のアルバムは、この曲もそうだしギターの音が結構多いでしょ?
-たしかに。6曲目の「STILL ALIVE」しかり、アルバムを締めくくるインストゥルメンタル「夜半曇天晴レテ月蒼シ[instrumental]」しかり、今作においてはこれまでと比べてギターの音の存在感を感じる場面が増えているように感じます。だとすると、今回サウンドメイクの在り方がそのようになった理由はなんだったのでしょうか。
片倉:ALI PROJECTではこれまでオーケストラや弦の音をよく使ってきているんですけど、今回はそれに飽きたからですかね(笑)。とはいっても、そこはALI PROJECTの音楽なので、別に全曲の全編でギターがガンガン鳴っているわけではないんですけれど、このアルバムでは改めてギターという楽器の持つ表現力の高さ、説得力の強さを、表立った部分はもちろん、そうではない影の部分も含めて生かしてみたいなと思ったんです。
-片倉さんは"飽きた"という言葉を使われていましたけれど、ALI PROJECTは考えてみれば昨年30周年を迎えたことにもなるわけで、その節目を経ての第1作目となる『天気晴朗ナレドモ波高シ』で、これまでとは異なるサウンド・アプローチを意図して取られることになったのは、なんとも象徴的な出来事ではありませんか。
宝野:そうね。やっぱり、そういう意識はかなりあったと思います。
片倉:ありましたありました。「密林ヨリ応答セヨ」に限らず、今回はALI PROJECTとしての新しい1歩をここで踏み出した感がとてもありますね。
宝野:ALI PROJECTの30周年はまだ今年の7月7日まで続いていくことになるし、この『天気晴朗ナレドモ波高シ』も、30周年記念第2弾アルバムという位置づけではあるんですけど、まず大前提として前作とは全然違うものが作りたいとは思っていたんですよ。
-ギターの音が効果的に使われているという点では、3曲目の「80秒間世界一周」で聴けるイントロのフレーズに驚きましたね。いい意味で、あんなにもオールドスクールでブルージーな音を、ALI PROJECTの楽曲で聴けるとは意外でした。
宝野:間奏は間奏で、変拍子みたいになって"プログレ!?"ってなるしね(笑)。
片倉:アウトロのギターも、イントロと繋がってるような構成にしました。僕もコドモの頃にはバンドをやってギターを弾いてましたから、根本的にギターの音は好きなんですよ。その気持ちがここしばらく再燃してきてる感じもあるかもしれません。
-はたまた、和テイストとALI PROJECTならではのポップ・センスが映える「万花繚乱姥桜」も、エンディングはエモくロックなギター・ソロで鮮やかに飾られておりますものね。
片倉:激ロックしてるでしょ(笑)。というか、この間Yahoo!を見てたら30代以下が選ぶ日本一のロック・バンド/ユニットのランキングで、アリプロは10位に入ってたし、女性が選ぶ日本一のロック・バンド/ユニットのランキングでも、16位に入ってましたからね。
宝野:そう、アリプロはロックなんですよ。今回のアルバムではそこをより感じてもらいたいですね。
-かくして、今作『天気晴朗ナレドモ波高シ』は、ここから映画や小説にも匹敵する壮大な物語として進んでいくことになります。特に、中盤にあたる「NON-HUMAN」、「STILL ALIVE」、「瓦礫ノ子守歌」、「美シ国ノ四季ハ夢ム」にかけての流れは秀逸で、各曲の持つ個性もさることながら、この曲順の妙にも唸らされることになりました。
宝野:最初から物語の流れを決めていたわけではなかったんですけど、曲たちができあがって並べていくときにはすんなりとこの曲順に決まったんですよ。いつもは何日もかけてああだこうだしていることも多かったのに、今回はさっと片倉さんが決めてくれました。
片倉:そうだね。こうやって改めて見てみると、我ながらこのアルバムの流れはすごくいいんじゃないかと思います。
宝野:歌詞の面でも、実は「NON-HUMAN」と「STILL ALIVE」なんかは、内容的にちょっと繋がってたりしますしね。前者は人間として生まれたけど自分は人間じゃない、人間ではいたくないっていう視点からのもので、後者も人間のままで"まだ生きてる"存在の視点から書いたものになってます。