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INTERVIEW

Paul Gilbert

2021.06.01UPDATE

2021年06月号掲載

Paul Gilbert

Interviewer:米沢 彰 Interview interpreted and translated by 川原 真理子

-Paulのギター・ワークのベースには、ファンクやブルースの影響が濃く感じられますね。そういった意味でも、ポートランドを名前に入れたのはものすごく意味があったことのように思います。

ブルースは、ロックの大きな部分を占めている。ロックはもうちょっと音がデカくてマイナー・キー寄りのブルースだよ。僕は、ギタリストでないブルース・プレイヤーを聴き始めたんだ。ギタリストだと、みんな同じような感じでブルースを弾いている。ブルースをやるときはみんな、同じ音楽表現をしているんだ。僕は、他の楽器だったらどうなるか聴きたかったから、サックスをよく聴くようになった。Duke EllingtonのところでやっていたJohnny Hodgesという人を聴くようになったんだ。彼はすごくメロディックなんだよ。速弾きは全然しないけどすべてがブルースのメロディで、ものすごくストレートだけど最高で、彼から学ぶのがうってつけだったんだ。速弾きは一切なしで、メロディを美しく奏でられるんだからね。だから僕は耳を傾けた。単純に楽しかったからで、そのときは大変なことという感じではなかったよ。単にプレイの仕方が好きだったんで彼をよく聴いたんだ。するとそれが僕の曲作りやプレイに影響を及ぼすようになった。もちろん、B.B. KING やAlbert Kingといったブルース・ギタリストだって聴いたけど、Johnny Hodgesを一番よく聴いたね。彼はちょっと違うんだ。それをロック・ギター風にやってみるんだけど、スウィング感がある。以前の僕は、もっとマイナーでやっていた。でも彼は、もっとメジャーを使うんだ。THE BEATLESの曲にだって、ブルースが入っている。『Let It Be』収録の「For You Blue」っていう曲だったと思う。ああいうフレージングは以前の僕だったら思いつきもしなかった。僕が音楽を習ったときは、スケールを上下させていたんだもの。だから、そういうモードで考えるようになるんだけど、ヴォーカルやサックス奏者から学ぶと、彼らのブルース・メロディの弾き方は独特なんだ。変わっていたり奇妙だったりといったことではなくて、僕からするとこっちのほうが本物に近い。ブルースの心に近いんだ。一方、ギターでブルースを弾くとこれはこれでクールだけど、もうすでにやったことだからね! 僕は、新しいことをやりたいんだ。

-アルバムの幕開けとなる「Hello! North Dakota!」はクラシック調のテーマから入り、爽やかな展開からのワウを多用したフレーズへと幅広く展開していき、最後はテーマで締めるという流れで、すごくテーマが頭にこびりつく楽曲です。この曲はどういったプロセスでできたのでしょうか?

イントロはQUEENみたいな壮大なハーモニーだ。Brian May(Gt)のスタイルだね。アメリカには各州に州歌というものがあるんだけど、おかしなことに誰も知らないんだ。僕はペンシルベニアに住んでいたけど、ペンシルベニアの州歌なんて知らない。カリフォルニアの州歌だって知らない。あるにはあるんだけど、誰も知らないんだ。でも、これはノースダコタについての曲なんだから、ノースダコタの州歌はなんだろうと思ってYouTubeで調べてみたら、気に入ったんだよ。メロディは300年くらい前のクラシックの曲から取ったもので、そこにノースダコタの歌詞をつけたんだって。だから、すごくクラシックっぽいんだ。ハーモニーをすべて調べてやったんだけど、そこからロック・ソングになる。THE WHOみたいな感じかな。というわけで、このアルバムの曲はほぼふたつのものからできている。ひとつは、歌詞を歌ったメロディをもとに構築していくということ。もうひとつは、さっき言ったオンライン・スクールで教えている、自分で考えたちょっとしたフレーズを使っているということ。生徒を見ていて"この子は手首の動きをもっと良くしないといけないな"と思ったら、手首をたくさん動かすようなフレーズを考える。「Hello! North Dakota!」にもそういうリフが入っているよ。このリフは、僕のオンライン・スクールのギター・レッスンから生まれたものなんだ。手首の動きを上下させないといけないからだよ。これはテクニックのレッスン用のものだったけど、レッスンが終わると"これってクールなリフじゃないか。取っておこう!"と思ったんだ(笑)。レッスンをするたびに、そのリフを気に入ったら、どのみち生徒のためにビデオを録画しないといけないんで、それをファイルに入れておく。そういったリフが何百とあって、メロディを繋げるためにそれらを使っている。というわけで、歌詞につけたメロディに何かギターでつけ加えて曲を築き上げる必要が出てくると、リフの入ったファイルに行って、そこから何かを引き出すんだ。

-では、この曲のメロディはノースダコタの州歌から取ったものなのですか。州歌を知っている人なら、すぐにわかるメロディなんですね。

もちろん! 歌詞を使うとなると使用料を払わないといけないけど、曲は300年前のクラシック音楽で公有財産だから大丈夫なんだ。でも、それはイントロとアウトロだけで、中身の音楽はすべて僕のだよ。

-先ほどジミヘンの話をしましたが、Paulは以前ジミヘンのトリビュート音源(『Tribute To Jimi Hendrix』)もリリースされていますよね?

あれは興味深いレコードだった。1991年に出たんだったかな。偶然だったんだ。当初の予定では、ドイツで行われたジャズ・フェスティバル("At the Frankfurt Jazz Festival")にAlbert Collinsと一緒に、僕がゲスト参加するというものだった。Albert Collinsがヘッドライナーで、彼がメインだったんだ。僕はただちょこっと出て、最後にソロの掛け合いをやるだけのはずだった。全然メインじゃなかったんだ。ところがAlbert Collinsが体調を崩してしまったんで、出演をキャンセルしたんだよ。最後の最後になって決まったことだったんで、関係者は困っていた。"彼が来ない。どうしよう?"って。すると"Paul、君が弾くんだ!"って言われたんだ。僕はひとりだけで、自分のバンドも引き連れていなかったんで、どうすればいいかわからなかった。でも、そこにはリズム・セクションがいた。実は彼らは、あの"Woodstock(Woodstock Music and Art Festival)"の伝説のバンド、TEN YEARS AFTERのメンバーで、そのドラマー(Rick Lee)とベーシスト(Leo Lyons)だったんだ。Albert Leeがフェスティバルに出演していたからで、"バンドが必要だったら、そこのベーシストとドラマーを使っていいよ"と言われたんだよ。ライヴ本番は5時間後に迫っていたのに、僕たちはなんの準備もできていなかった! それで僕が"ジミヘンの曲、知ってる?"と聞くと、知っていると彼らが言ったんで、"じゃあ、ジミヘンの簡単な曲を5曲選んでくれ"と僕は言った。それでセットを乗り切らないといけなかったんで、"じゃあこうしよう。僕がすごく長いソロを弾く。ラウドでファストなソロから始めて、それから静かにやって、またファストにする。それを長くやる。ラウドでファストなのを2~3分やって、静かなのをもう2~3分やって、それから最後にまたラウドにする。そうすれば、各曲が9分くらいになる。それを5曲やれば、セットをこなせるよ"と言ったんだ。そして実際そうした。それが録音されていて、みんながそれを気に入ったんで、"じゃあアルバムとしてリリースしよう!"ということになった。でも、『Tribute To Jimi Hendrix』をリリースするということで、僕にはすごいプレッシャーがかかった。普通だったら、Jimiのために最高のものを作るのには3年はかかるからね! ところが、あれはなんの準備もなく1時間のリハーサルと45分間のステージでやっただけだった。ただただそのとき自分にできるベストを尽くしただけだ。興味深かったけど、あれはむしろFrank Marino(MAHOGANY RUSH/Gt/Vo)へのトリビュートだな。僕がやっているギター・プレイのスタイルは、Frankがやったことのほうに近いからね。子供の頃、僕はFrank Marinoが大好きだった。そして当時の僕はファストな速弾きにハマっていたんで、ジミヘンがやっていたようなブルースはやっていなかったんだ。それはそれで良かったけどね。あの時期が記録されて良かったよ。

-「Problem-Solving People」はハード・ロック然としたイントロがMR.BIG時代のPaulっぽさを感じさせますが、ワウを使ったプレイやそのあとの展開やフレーズは、ファンク色が色濃くなっているのも印象的です。この曲はどのようにしてできたのでしょうか?

修理のことを考えてみてほしいんだ。家の水道管が壊れて水が溢れ出てきたとする。そうすると配管工を呼んで直してもらうよね。直るとすごく感謝して"解決してくれてありがとう!"となる。でも、そのためには専門の技術を持った人が必要なんだ。そういう人がやってきて問題を解決してくれる。僕はそういう人が大好きなんだ。この曲は"ものを直せる"人たちへのトリビュートなんだよ。

-今作は、必要に駆られて、すべてのパートをPaul自身がプレイしてレコーディングしたとのことですが、そのプロセスは楽しかったですか?

すごく楽しかったよ。ペース的にも良かったしね。優秀なエンジニアがいたんで、彼は僕のやりたかったことを理解してくれていた。それで早く曲を仕上げることができたんだ。それっていつだって楽しいよ。デモは一切作らなかった。ただ頭の中にアイディアがあって、短い歌詞があったんで、それを曲にしたんだ。いつだってエキサイティングさ。ちょっとしたアイディアが最後にものになるんだから。ドラムは肉体的にチャレンジだったね。身体を動かさないといけないから。そして、精神面での一番のチャレンジはベースだった。典型的なヘヴィ・メタルのベースは、ひとつの音を素晴らしく聴かせられればそれでいい。JUDAS PRIESTの曲だったら、ひとつの音だけ弾いていればそれでいいんだ。それはそれで音楽的直感がないとだめで、うまくないとできない。でも、あまり考える必要はないんだ。フィーリングの問題だから。一方、僕の曲はQUEENやTHE BEATLESみたいで、コード展開も多くて、単にひとつの音だけを刻んでいればいいわけじゃない。「Argument About Pie」みたいな曲のベース・パートはほとんどソロだ。ベース・パートをインプロヴァイズしたんだ。Paul McCartneyが『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』(THE BEATLES)でやったようにね。忙しいパートもあって、すごく動き回っている。あれは僕にはすごくチャレンジングだったよ。僕はロック畑の人間なんで、ただ座ってひとつの音を刻み続けるベースに慣れている。今作はポップではあるけど、展開に合わせて弾いているからジャズの要素もあるんだ。ドラムだと間違った音を叩くってことはないけど、ベース・パートには間違った音を弾いてしまう場所が至るところにある! 間違った音が待ち構えているんだ。幸い僕は大丈夫だったけど、プレッシャーはずっと高かったね。

-でも、PaulはBilly Sheehanという忙しく弾くベーシストと長年一緒にやってきましたよね?

彼は忙しいけど、忙しさが違うんだ。ハーモニー的に筋が通っていて、彼は曲のために正しいことをやっている。でも、MR.BIGの曲には"Eで何かすごいことをやってやろう!"ってあまりいろいろと変えずにやるものが多いんだ。一方、僕の曲はコード展開が激しくて"間違いを犯す確率"が高いんだよ(笑)。

-いずれの楽曲もひとりですべてのパートを担当したとは思えない完成度ですが、個人的に特に気に入っている楽曲やパートをうかがってもよいでしょうか?

さっきも言ったけど、インストゥルメンタル曲のリリック・ビデオを作れて本当に嬉しいよ。「Argument About Pie」が大好きなんだ。僕のお気に入りのメロディだからね。他に何があったかな? 「Meaningful」の中で、音を7拍分延ばして弾いているところがある。すごく長い音を弾いているんだ。おそらく、僕がこれまでに弾いた音の中で一番長いと思うな。しかも単に弾いただけじゃなくて、それがメロディの一部なんだ。単にインプロヴァイズして、サステインを掛けたわけじゃない。7拍分の音を作曲したんだ。ソロ・キャリアの中でこれまでに作ってきたメロディを見てみると、あんまりサステインが掛かったものはない。だから「Meaningful」のミックスを聴いたとき、僕は泣いていた。ああいう長い音を入れることが素晴らしかったからだ。僕は速弾きで有名だから、ああいうことをやれて達成感がある。いつもだったら短い音でピロピロ弾いてしまうところを、ちゃんと作って弾いた音が長かったんだからね。僕の説明だとうまく伝わらなかったかもしれないな。あの曲を聴いてもらわないといけない。「Meaningful」を聴いて、長い音を探してみてくれ。"これ、長いなぁ"って思うから(笑)。

-「Professorship At The Leningrad Conservatory」、「A Thunderous Ovation Shook The Columns」の2曲は旧ソ連の作曲家、ドミートリイ・ショスタコーヴィチにまつわる楽曲と伺っています。日本のロック・リスナーには馴染みがあまりない作曲家ですが、どういった経緯でテーマとしてこの作曲家を選んだのでしょうか?

僕の時代では、満足させないといけないのはレコード会社だ。彼らが権力を握っているから、彼らと仲良くしないといけない。でも、ショスタコーヴィチの時代では、ロシアの独裁者、ヨシフ・スターリンと仲良くしないといけなかった。僕が作ったレコードをレコード会社が気に入らなくても、僕はハッピーじゃないかもしれないけど、それでおしまいというわけじゃない。それで強制労働収容所に送られて死ぬわけでもない。でも、ショスタコーヴィチにとってはそれが心配の種だった。彼は脅されていたんだ。スターリンは、"お前の最新作は気に入らなかった。次はいいものを作ってくれよ。でなければ大変なことになるぞ"とか言われていたんだから。僕にとってはそれ自体がすごい話で、ミュージシャンがどうやって生き延びてきたんだろうって思ったんだ。そして彼が作った次の交響曲は素晴らしいものだった。だから、僕から最高の音楽を引き出すには独裁者が必要なのかもしれないな! まぁ、それは避けたいけどね。

-最後に、日本の読者へのメッセージをお願いいたします。

みんな、元気でいることを願っているよ。ギターを習いたかったら、僕のオンライン・スクールをチェックしてみてくれ。そして、僕のアルバムを楽しんで、ギターとドラミングをチェックしてくれよ! 超楽しかったからね! どうもありがとう!