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INTERVIEW

Runny Noize

2018.08.01UPDATE

2018年08月号掲載

Runny Noize

Member:洲崎 貴郁(Vo/Gt) 山田 健人(Vo/Gt) フクシマテツヤ(Vo/Ba) 児玉とみー優也(Dr)

Interviewer:加藤 智裕

吉本興業所属のお笑いコンビ"ラニーノーズ"の洲崎貴郁、山田健人を擁するメロコア・バンド"Runny Noize"が、2ndアルバム『Runny Noize is better than medicine』を完成させた。TOTALFATのKubotyがサウンド・プロデュースを手掛けた楽曲や、初の日本詞楽曲を収録し、さらにリード曲の「e」は、品川ヒロシ(品川 祐)がMVの監督を務めるなど、お笑い芸人とバンドの二刀流をこなす彼らならではの作品となっている。今回、激ロックではメンバー全員にインタビューを敢行。バンドの成り立ちから今作に至るまで話を訊いた。

-激ロック初登場となりますので、バンドの成り立ちからうかがっていけたらと思います。2008年に洲崎さんを中心に結成ということですが、どういった経緯で?

洲崎:もともと僕と山田が違うバンドをやっていたんですけど、メンバーが抜けたりして活動ができんくなってもうて。

山田:須崎は"一方通行"っていうバンドをしてて。

洲崎:バンド名は言わんでええ。それで、ライヴできひんなっていうときに一緒にやろうとなって組んだのがRunny Noizeです。

-おふたりのバンドは対バンをする機会などあったのですか?

洲崎:対バンはなかったんですけど、同じ大学で"バンド好きなんや、バンドやってるんや"ってので仲良くなって。

山田:初めて会ったときにふたりとも"PUNKSPRING"の柄違いのTシャツを着てたんですよ。それでパンク好きなんやって、とりあえず握手をして。喋りはしなかったんですけど。

-結成1年後の2009年にはカナダへ拠点を移されて活動をされていたそうですが、なぜいきなりカナダへ?

山田:海外で生活をしてみたいという願望が強くて。音楽もしてみたかったので、ほんまはカリフォルニアに行きたかったんですけど、ビザが簡単に取れないっていうので、"ワーキングホリデー"っていう1年間働くことのできるビザを取ってカナダのトロントに行きました。それこそSUM 41、SIMPLE PLANとか、トロント出身のパンク・バンドが好きだったのもありまして。

-じゃあ現地でもライヴをされたりはしていたんですか?

洲崎:全然なんですよ、それが。

山田:そのときのベースとドラムがほんまに2週間ぐらいで日本に帰っちゃって。

洲崎:ふたりで残ってどうしようって。

山田:"つらいつらい、寒い寒い"言うてたよな(笑)。12月十何日かに(トロントに)行って、12月22日が僕の誕生日なんですよ。その日みんなで飯食うてたときに、急にドラムが"帰りたい"って言い出して。それから何言うても机見て喋らへんっていう(笑)。

洲崎:僕(時間を)計ってましたよ。40分沈黙でした(笑)。

山田:僕らからしたら、日本で一緒にやってた同世代のパンク・バンドとかお世話になってたライヴハウスの人とかの反対を押し切って行ったんですよ。それでもお金を貯めて、同級生や親を説得して、それなのに着いて"すぐ帰りたい"って――

洲崎:全部フリやったんかなって、すごいボケかましてきたなと(笑)。

山田:ほんまに我慢できへんかったんやろな。ここまで細かく言ったことはなかったですけど、まず(住む)場所を決めずに行ったんですよ。それで2:2に分かれてゲストハウスに行くことになって、僕と洲崎が一緒だったんです。

洲崎:4人で住ませてくれるところがなくて。

山田:とりあえず分かれて4人で住めるところを探そうと。

洲崎:携帯なんて当時持ってなかったですし、分かれる前に"何日の何時にここに集合しよう"という話をしてて。

山田:それが僕の誕生日だったんです(笑)。異国で友達が3人しかいない状況で2:2に分けられて俺らだってすごく心細いわけですよ。それでやっと4人で会えたって思ったら"帰りたい"って。そしたら"殴ってくれ、俺が悪いねん"みたいな(笑)。

洲崎:言うてたな(笑)! "殴られてもいい、俺は帰る!"って。

山田:それでドラムとベースは日本に帰っちゃったんですよ。そっからバンド・メンバーを探しながら友達を作るために語学学校に入って、結局最後の方にメンバーは見つかって1回だけライヴはできました。そのときに暇やったから遊びでコメディ映画も撮ってて、そのライヴのときに映画も流してくれたんですよ。それがお客さんに結構ウケて、僕の子供のころの夢がお笑い芸人だったんですけど、"あ、やっぱ笑いとるの楽しいな"って思って、日本に帰ってきて(洲崎を)誘ってお笑いの世界に入ったって感じです。

-おふたりにとってバンドとお笑いの線引きはどうされているのですか?

山田:どっちも楽しいんですけど、個人的にはお笑いはふたりでやっててスベるときはスベってまうので、そういうつらさはありますね。バンドはまず4人で音を出しているのが楽しいから、お客さんをどう盛り上げるのかって言うのは自分たちにかかってますし、それはそれで大変なんですけど。お笑いで言う"ふたりでめっちゃスベっている"状況がバンドではないので、僕としてはライヴは楽しくてめっちゃ発散できる、はっちゃけられる場所という考えですかね。

洲崎:昔、お笑いをやる前にバンドをやってたときは、そこまで深く考えずに演奏をするってことを考えてたんですけど、お笑いを始めてからそのノウハウを学んで、バンドの方も起承転結じゃないですけど、ライヴの流れとかは学びましたね。だから僕の中ですごく似ているというところはあるかなと。

-バンドとお笑いの二刀流をやっていて良かったなというエピソードはありますか?

山田:今この状況が"やっていて良かったな"って思います。バンドだけやってたらこういう形にはなってへんやろなって。カナダ行ったときに一緒にやっていた同世代のバンドはレーベルに入ってCDデビューして。片や僕らは異国でふたりだけ残されて帰ってきて"芸人になってるやん、あいつら"みたいな(笑)。でも今はあんま他のバンドはできない形というか、今日もMVの撮影やったんですけど、品川庄司の品川(祐)さんが撮影してくれはって。他のバンドができてへんことをできてるっていうのがどっちもやってて一番良かったことかなと。あと、バンドでネタの単独ライヴをするというのをやったんですよ。1時間単独ライヴをしたんですけど、ゲストでザ・ぼんちのぼんちおさむ師匠に出ていただくとか、普通にバンドをしていたら絶対に無理やと思うんで。普通やったらできんことがいっぱいありますね。