INTERVIEW
WANIMA
2014.10.16UPDATE
2014年10月号掲載
Member:松本 健太 (Vo/Ba) 西田 光真 (Gt/Cho) 藤原 弘樹 (Dr/Cho)
Interviewer:吉羽 さおり
-WANIMAでは英語詞で歌うっていうのはなかったんですか。
松本:まあ、なんか憧れはあるよね。帰国子女でとか。
藤原:そしたらもう、無理やな(笑)。
松本:英語を歌いたいとかはあるんですよ。これから先、例えば彼女が外人になったり、ハーフになったりして、英語教わったりしたなら(笑)――。
藤原:急に歌詞が英語になるんだ(笑)。
松本:まあでもそんなこだわりはないんですよ。英語詞で歌って、カバーとかしたいし。もともとレゲエやったら海外のものばかり聴いていたので。でもやっぱ、日本語しか話せないので、日本語で。あとは、言葉遊びも好きなんですよね。韻を踏んだり、言葉を詰め込んだりするのも好きで。
-メロディを聴いている感じでは、短いタイプの曲では洋楽的なメロディ感もあって、それでいて日本語がうまくのったスピード感がある。もう一方では、日本語だからこそ生まれるメロディもある。これはこのバンドの魅力のひとつですね。
松本:それは嬉しいです。
-自分で曲作りをし出したのっていつくらいからなんですか。
松本:曲は小さいときから、変な、面白い単語を集めて歌ったりしてましたね。でも昔はわりと、歌詞が若かったね。今振り返ると、自然について歌っていたりして。自然が多いところだったので。東京に来てから「BIG UP」みたいな、男女間のことが歌になったりとか。
-「BIG UP」はだいぶ際どい歌ですよね。
松本:そういうのも東京に来て、より深く知るようになっちゃったので(笑)。
-バンドやろうと思って熊本から上京したんですよね。そのときは、目指す形っていうのはあったんですか。
松本:バンドがやりたくて来たんですけど、光真は2年遅れて東京に来たんですよね。それまで自衛隊にいて、それを辞めて2年後に出て来たんですけど。そこからまたバンドができない期間が長かったんですよね。思うようにいかなかった。今やっと、フジ君が入ってバンドをやれてるのが、すごくよかった。ずっとできなかったので。
-その思うようにバンド活動ができない時期には、音楽的な模索もあったんですか。
松本:ありましたね。ギターの光真とふたりでフェスに行ったり、ライヴを観に行ったりして、いろんなことを感じました。最近、"WANIMAってどこから出て来たの?"って言われるんですけど。でも俺はあなたたちをずっと見てたからね!っていう感じなんですよ(笑)。ずっと陰で観とったし、CDも持っとるからねって。
-自分がバンドをできない時期にライヴを観るのは悔しいですしね。
松本:ほんとそうですよ。バンドやりたくて来たのにバンドできないわけですからね。
藤原:それで急に現われたって言われても、と(笑)。
松本:いやいやずっとおったからって(笑)。
-バンドができない時期も、ふたりでこれからどうするのか、どんなバンドにするかってという話もしていたんですか。
松本:でもどうなっていくのかもわからなかったし、知り合いもおらんやったんで。大変やったよね。
-そこからこうしてPIZZA OF DEATHへというのはどんな経緯だったんですか。
藤原:きっかけは、3人になって初めてデモを作ってツアーを回ってる途中に、ピザのスタッフの人がライヴを観に来てくれたんですよね。そのあとも何回か観に来てくれたのちに、話をもらって。
-ようやくチャンスが来た!と。
藤原:最初は嘘だと思いましたけどね(笑)。
松本:チャンス来たっていうよりは、やっと気づいてくれたか、俺らの曲にっていう。