INTERVIEW
sever black paranoia
2012.07.11UPDATE
2012年07月号掲載
Member:Daisuke (Vo&Synth) Kotaro (Gt) Jun (Ba) Yousuke (Dr)
Interviewer:MAY-E
-1stミニ・アルバム『Metasentiment』のリリースおめでとうございます。トランス・ミュージックとメタルコアが同等のバランスでミックスされていて、“サイバーコア”という表現がしっくりとくる作品ですが、具体的にどのようなサウンドを目指して制作されたのでしょうか。
一同:ありがとうございます!
Daisuke(以下D):目指していたサウンドというのが、明確にこのバンドにはなかったんです。いろんなバンドに影響を受けてきたので、そこから良い部分、例えばアンサンブルとかそういうものを探っていこうと実験的に作ったというのはありますね。ただ、バンド名を挙げるとしたら、メンバーみんな共通してENTER SHIKARIには影響を受けていまして、そういうニュアンスはインスパイアされているのかなと思いますね。
-作品が完成した今の心境はいかがですか?
D:こういうものを作りたいと思って予測して作品を作るんですけど、予測した通り頭の中で思っていた通りに作品というのは出来ないんです。リスナーにとっては初めてCDを聴いて“ああ、こういう感じなんだ”っていうのはあると思うんですけど、作り手側の人間にとっては“こうしたい”ってものと出てきたもののギャップに驚くこととか、頭の中ではこうだったのにというようなズレが生じますね。でも逆にそのズレが面白いのかなと思います。今作は激しいサウンドでとにかくトランシーで、後ろでずっとトランスの音が鳴っていたり、クラシックの音が鳴っていたりして、隅々まで聴くといろいろな音色が入っているので前の作品より音の厚みが増していますね。
-sever black paranoiaの活動は09年にスタートしているそうですが、当時から現在のような音楽性だったのですか?バンド結成までの経緯も合わせて教えてください。
D:09年5月に結成したのですが、その段階では今とは少しニュアンスの違う音を出すバンドだったんです。言葉でしっかり当てはまるかはわからないんですけど、インダストリアル・メタルとか、ああいうノイジーでミクスチャーというかBPMも100前後とかでゆっくりとしたテンポでした。元々そういう音楽スタイルだったんですけど、やっていく中でどんどん“こういうアレンジを入れたい”とかそういう風に重ねて出来た作品が前作の2nd EPでした。常に音楽性は動いていますね。
-なるほど。結成までの経緯も教えて頂けますか?
D:結成までの経緯は長いですよ(笑)?元々この4人で別のバンドをやっていたんですよ。sever black paranoiaとは別の名義で活動していたんです。それが一度解散しまして、その後に僕がまだバンドをやりたいと思っていて、ちょうどその時にヨーロッパのクラブ・ミュージック、例えばトランスとかガバとかをすごく聴いていて、これをバンドで体現したいということで、09年にもう一度声を掛けて4人が集まりました。
Kotaro(以下K):その前に地元でやっていたバンドがDaisuke、Junとは一緒だったんですけど、Yousukeは自分のバンドをまた別でやっていて静岡県で活動をしていて、高校生ぐらいのときには対バンをしたりしていたんです。THE TWISTED HARBOR TOWNのギター2人は同じ地方でしたね。
D:元を辿れば腐れ縁ですね(笑)。地元が本当に近所でJunとYousukeは小学校ぐらいからの地元の連れなんです。
-これまでにGARIやNEW BREED、FEAR FROM THE HATE、BLOOD STAIN CHILDらと共演を果たしていますが、どんなバンドと親交が深いのでしょうか?
K:元々今やっているような楽曲にサウンドが近いようなバンドとの縁はなかったんですよ。元々は渋谷近辺のミクスチャー・ロック・シーン、SHIBUYA CYCLONEを中心に活動していたバンドとのは親交があったんです。
-具体的に名前を挙げていただけますか?
K:code;playork、ROCA JAHLIEとかあの辺りと最初は親交があったんです。SHIBUYA CYCLONEでイベントに出演した際に初めてRemembering Sensationと出会ってサウンド的にも近いバンドとライヴをするようになりました。その出会いがキッカケで新宿ANITIKNOCKとかにも出るようになりましたね。THE TWISTED HARBOR TOWN 、Remembering Sensationとは結構長い付き合いですね。
D:元々ミクスチャー界隈でやっているときに、今のトランシーな音楽がもっと受け入れやすいというか、もっと評価されるような場所を探していたというのは正直ありますね。ミクスチャー界隈でやっているときにも勿論気に入ってくれる方はいたんですけど。もっとフロアで求めている人とこっちが対等にぶつかれる、このサウンドが対等にぶつけられるような場所を探して、対バンする面子が変わっていったというのはありますね。