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INTERVIEW

陰陽座

2026.03.18UPDATE

2026年03月号掲載

陰陽座

Member:瞬火(Ba/Vo)

Interviewer:杉江 由紀 Photographer:小松陽祐

-そうした細部についてさらに伺うならば、陰陽座ではライヴごとにその場でプレイヤーが微妙にフレーズを変える、というようなことはありえるものですか。

いや。陰陽座はそういう意味でのインプロヴィゼーションですとか、今日はなんとなくこうしてみた、みたいなことは極めて少ないバンドですね。特に今回のツアーのように初めてアルバムから披露する新曲たちに関しては、アルバムそのものの姿でここに現すのだという気持ちでやっています。もっとも、今回の作品で言うとDISC-2はほぼアンコールに入ってからの演奏なので、並んでいるのは概ね新曲ではなくもう何十回とライヴでやってきている定番曲たちですから、それらについてはドラムとベースの間で交わされる呼吸の具合や、細かな歌の表現が時を経て自然とアルバム収録時とは変わっているケースも多々あると思います。それでも、例えばジャズの即興演奏のようにそれぞれが好き勝手にやるということはほとんどないです。

-やはりそうでしたか。実際、このライヴ・アルバムは大変エキサイティングな音として聴こえる部分があると同時に、スタジオ盤と紛うくらいに緻密で精緻な演奏が繰り広げられている場面も多いので、いわゆる再現度がとても高い作品だと感じます。

ライヴでの演奏はスタジオ盤よりも熱くなったほうがいい場合と、ルーズに崩してしまわないほうがいいと思う部分がそれぞれあって、そこはサポートのお2人も含めたメンバー全員が常に同じ方向を見ているんですよ。それだけに、僕自身もこのライヴ盤を作りながら一瞬"ここはまるでスタジオ盤のようだな"と感じた部分があったりしました。

-音像の面では招鬼さんと狩姦さんのギターが明確にLRで割り振られている、という点がこのライヴ盤における1つのポイントになっているようにも感じました。このあたりもライヴ盤を制作する上では重要視されたことになりますか。

ライヴ会場で鳴らしているPA自体も当然ギターは多少立ち位置に合わせて左右に振っていますが、やはり1つの箱の中で鳴っている音としてはそこまではっきりと左右から聞こえるわけではないと思うんですね。でも、ライヴ盤の場合は視覚的要素がないので招鬼と狩姦の立ち位置を音で表すためにこういう音の振り方にしています。こういう部分は制作者の意図によるので、やはり正解はないものだと思います。話は逸れますが、ギター奏者が1人の場合なんかはむしろ様々な試行錯誤が窺えますよね。ギターが歌やベースと同じで完全に真ん中にいたり、割り切って立ち位置側に振り切っていたり、ショート・ディレイで左右から聞こえるようにしていたりと、いろんなパターンがあります。僕はライヴ盤フェチなのでそういう違いも楽しんで聴くんですが(笑)、この『吟澪灑舞』では意図してカッチリと左が下手ギターの招鬼で、上手ギターの狩姦は右という形に分けました。聴きながら、ぜひ頭の中でステージの光景を思い浮かべてもらいたいですね。この配置だと今どっちが何を弾いているのかが分かりやすいという利点もありますよ。

-では、今作における黒猫さんの歌については音像の中でどのように活かしていくことになったのでしょうか。

このライヴ・アルバムはソロ歌手のコンサートではなく、あくまでもバンドのライヴの模様を収めたものなので、基本的には全パートが主役という考え方のもと音を作っているんですが、その中でも取り分け黒猫のヴォーカルが陰陽座の音楽世界を決定付ける存在であるのは厳然たる事実ですし、スタジオ盤以上にライヴという場での黒猫の歌唱表現は聴きどころが満載ですから、それを主軸と捉え、その上でバンド全体の演奏を楽しめるような音像を意識しました。

-陰陽座だからこその重厚且つ奥行きのあるバンド・サウンドが轟くなか、黒猫さんの艶と伸びやかさを湛えた歌声が響く様は実に壮麗ですね。

黒猫の歌の凄みというものは陰陽座の音楽において最も聴かせるべきところではあるけれども、それを聴かせるためには強靭な演奏が必要であるという、まさに陰陽座の真骨頂であり神髄と言えるものをこのライヴ・アルバムでは感じてもらえるはずです。

-黒猫さんの歌のちょっとした語尾のニュアンスやブレス等、それらはスタジオ盤では感じられないものとして今作『吟澪灑舞』の随所にちりばめられていますものね。

黒猫というヴォーカリストは曲によって静かに立って歌うこともありますが、基本的には歌ってようが歌っていまいが、とにかく全身を指先まで使って表現をし、そして歩いたり走ったり回ったりと、とにかくものすごい運動量で動いているんです。その全てを歌の一部としてパフォーマンスした結果が、ほんの少しの声の揺らぎや、歌の語尾に滲んでいるので、視覚的な画はないとしてもこのライヴ盤の歌声からはきっとステージでの躍動感も感じられると思います。

-たまに生のライヴを観ていても、演奏や歌があまりに素晴らしいとつい目を閉じて音に集中してしまうようなことがあるのですが、こうしたライヴ・アルバムでははなから聴覚に全集中することができますので、より深く陰陽座の音を堪能することができそうです。

あぁ、そういう感覚はすごくよく分かりますね。人間の五感をあえて絞ることである部分が研ぎ澄まされるというか。視覚と聴覚に情報量を分散させるよりも、音に一点集中することによって感じ方が少し変わることもあると思います。

-映像作品も楽しいことには違いありませんが、映像コンテンツが溢れかえっている昨今においてはライヴ盤を聴くというのは、むしろ贅沢な音楽の楽しみ方かもしれません。それに、この作品は陰陽座が音だけでも余裕で勝負ができる生粋のライヴ・バンドである、ということの証左そのものになっているのではないでしょうか。

ありがとうございます。まぁ、ライヴ盤フェチとしては、海賊盤かと疑うようなバランスのライヴ作品でも完璧すぎて面白くないようなものでも、どんなライヴ盤でも楽しめてしまうんですが(笑)、とにかく今回の『吟澪灑舞』では、陰陽座というバンドが自分たちの音楽世界をライヴでこのくらい突き詰めて、そして心からステージを楽しんでいるということを証明できるものになったのでは、と思っています。

-では、そんな今作に"吟澪灑舞"というタイトルを冠された理由も教えてください。

映像作品も含めて、陰陽座ではライヴ作品のタイトルの最後の文字を"舞"にするのがほぼ決まりのようになっていて、さらに今回の場合は『吟澪御前』というアルバムを引っ提げた"陰陽座ツアー2025『吟澪』"の模様を作品化したものなので、"吟澪"という言葉は外せない単語でした。そして漢字4文字という絶対の法則にのっとれば余地は3文字目だけ、となるわけです。では今回のツアーやライヴを1文字で表すなら何かと考えると、"洗い清める"というような意味を持つ"灑"だなと。終わってみれば最高なパフォーマンスができたツアーでしたが、その陰で黒猫が不慣れなウィッグを被らざるを得なかったりということもあったりしたので、そういった望まざる要素を洗い清めながら歌をもって己の辿る道とする=吟澪という行為を舞う、それが"陰陽座ツアー2025『吟澪』"だった、ということで"吟澪灑舞"というタイトルになりました。

-意味合いもさることながら、文字面の見た目も美しいタイトルですね。

やや日本酒の銘柄を彷彿とさせるようなタイトルにもなりました。この文字面を見ていると、ちょっと飲みたくなってきますね(笑)。そこから取ったわけではありませんが、越乃寒梅に"灑"という銘柄もありますし。

-『吟澪灑舞』は上質な日本酒のごとく豊潤で味わい深い作品になっている、とも言えそうです。なお、これはライヴ盤に関する質問というよりは"陰陽座ツアー2025『吟澪』"自体についての質問になるのですが、瞬火さんがあのツアーを終えて感じられたのはどのようなことでしたか。

何よりすごかったのは、病気のこと等様々な事情があるなかでもステージに立つと決め、その覚悟を決めたからには......という黒猫の歌唱とパフォーマンスが圧巻だったということですね。そして、ここまで25年以上もずっと活動をさせていただいてきて、アルバムも16枚出してきているバンドの最新ツアーが新譜から全曲演奏するというものであるにもかかわらず、我々の表現者としてのエゴをお客さんたちが受け止めて観に来てくださった、ということがとても嬉しかったです。中には、なんとなく陰陽座を観に来たら半分以上が新曲で"食らって"しまったという方もいたかもしれませんが、多くの方が『吟澪御前』を聴き込んだ上で参加してくれて、全部の新曲に応えてくれていたんですよ。

-それは実にありがたい限りですね。

いやもう本当に。僕たちが心からやりたいと思ってることを、お客さんたちもちゃんと求めてくれているんだと分かったときに、なかなかこんな素敵なことってないだろうなと感じたんです。それはツアーをやるたびに毎回思うことでもあるんですが、陰陽座のファンの皆さんというのはつくづくすごいな! と今回のツアーを終えての感想はそれに尽きます。

-今更な質問にはなってしまうのですけれど、瞬火さんは"陰陽座にとってライヴとは?"と問われたならどのようにお答えになりますか。

ライヴという言葉自体の意味はつまり、生きているっていうことですよね。生きて、演奏して、歌っているそのバンドがそこにいるということ。そして、その様を観にお客さんたちが来てくれているという関係性は、お互いの命を確かめ合っているということなんだと思います。これは物騒な意味も含めてですよ。だって、命がなかったらステージには立てないですし、観にも来られないわけじゃないですか。だから、ライヴというのはまさに文字通りの意味なのではないかなと思っていますね。

-説得力のあるお言葉です。

僕等はライヴをやって心から楽しませてもらってますけど、来てくれる方々は多大な労力や時間、もちろんお金も使って観に来てくれるわけですしね。ライヴはそういう皆さんが生きている陰陽座を観て楽しむための場ですし、お互いに命あっての物種、ということを確認するための貴重な場なのではないでしょうか。

-今作『吟澪灑舞』を聴くと、恐らくファンの皆様は"また次のライヴも観たい!"という心境になられるはずです。2026年はまだ先も長いので、最後にここからの陰陽座についても瞬火さんから一言いただけますと幸いです。

かなりぼんやりにはなりますけど、結成してから陰陽座は四半世紀以上ひたすらに作品を作って、そしてライヴをやる。ほとんどこの2つしかやってきてないバンドと言ってもいいですからね。生き続けているからには何か作り、何かをやるだけなので、これからもその姿勢は変わりません。