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INTERVIEW

彪(UNDYING WORDS)× KISAKI 対談

2025.11.04UPDATE

彪(UNDYING WORDS)× KISAKI 対談

世代も性別も異なるものの、共に音楽を愛するベーシスト同士であるという点では一致する異色の対談がここに実現した。2024年から活動し、ガールズ・ロック・メタル界隈で頭角を表し出しているUNDYING WORDS。始動からEPのリリースと主催ライヴを行う等積極的に活動を続けており、12月21日にshibuya CYCLONEで活動1周年を記念した主催公演"UNDYING WORDS 1st Anniversary GIG"が決まっている。リーダーであるベースの彪が対談相手に選んだのは、彼女が学生時代から尊敬していたというヴィジュアル・シーンでは重鎮/カリスマ的存在のKISAKI。1990年代初頭からヴィジュアル系シーンで旋風を巻き起こし、DIR EN GREYのメンバーが4人(京、薫、Die、Shinya)在籍していたことでも知られているLa:Sadie's等で活躍する一方、レーベルを主宰したりプロデュース・ワークを手掛けたりする才覚まで持つ人物となる。新進気鋭の彪と、レジェンダリーな存在のKISAKI。2人が接点等について語る対談をお楽しみあれ。

UNDYING WORDS:彪(Ba)
KISAKI
Interviewer:杉江 由紀
Photographer:尾藤 能暢
彪&KISAKI Hair Make : A・DO
彪&KISAKI Hair Make Assistant : 佐藤 あやか
KISAKI Hair Maintenance : hiko(UNDIVIDE)
KISAKI Stylist:峰岸 祐介
衣装協力:COSMO'S COSTUME / gunda


KISAKIさんの「野心がないとダメだ」って言葉で思い切れた(彪)


-彪さんがKISAKIさんと接点があった、というのは意外な気もするのですが、出会われたのは、かれこれ10年程前のことだったそうですね。

彪:地元の北海道で活動をしていた頃、私のベースの師匠が主催したイベントに、KISAKIさんのバンドが出演していらっしゃいまして、その場で師匠から紹介していただいて、ご挨拶をさせていただいたのが最初の出会いでした。

-約10年前というと、KISAKIさんは――

KISAKI:凛-the end of corruption world-をやってたときですね。

彪:実は当時、性別は女性なんですけど私もヴィジュアル系のバンドをやっていたんですよ。当然KISAKIさんはその界隈における大先輩でもありますし、同じベーシストというのもあって、そのイベントで共演させていただけたのは本当に光栄でした。そして、ちょうどその頃は私がバンド活動について悩んでいた時期でもあったんですが、KISAKIさんは人を率いていく強い力を持っていらっしゃる方ですので、その姿からいろいろと学ばせていただくこともできたんです。

-KISAKIさんからすると、当時の彪さんに対する印象はどのようなものでした?

KISAKI:野心のある気合の入った熱い女の子だな、と思いましたね。話をしてみてバンドや音楽に対する本気をすごく感じたんで、"北海道にいるのはもったいないな"とも感じてたんです。と言っても、そのときの彪ちゃんはまだガキンチョでしたけど(笑)。

彪:あははは(笑)。

-現在の彪さんは、UNDYING WORDSでガールズ・ロック・メタル界隈を賑わしていらっしゃるわけですが、当時の彪さんがヴィジュアル系バンドで活動されていたのは、そもそも何がきっかけだったのでしょうか。

彪:バンド活動自体は高校の軽音部に入ったのがきっかけで始めたんですけど、その頃はまだヴィジュアル系というものはあまりよく知らなかったです。地元が北海道だったのでGLAYはいっぱい聴いてましたけど、あとはもうテレビで流れてくるような音楽ばかり聴いていたんですね。でも、その軽音部のバンドでヴォーカルをやっていた女の子がヴィジュアル系好きで、"こういうバンドが好きなんだよね"って見せてくれた画像の中に、実はKISAKIさんがいらっしゃったんですよ。今でもそのときのことは鮮明に覚えていて、とても衝撃的だったんです。"なんだ、このすごい世界は!"って(笑)。

KISAKI:たぶん、その当時は僕がPhantasmagoriaをやってた頃なんじゃないですかね。

彪:そうです。まさにPhantasmagoriaの音をヴォーカルの子に初めて聴かせてもらいました。自分自身がヴィジュアル系を始めたのはそのもうちょっと後のことになりますが、とにかくそこからは自分の知らなかった世界にどんどんのめり込んでいったんです。

-Phantasmagoriaのライヴは当時ご覧になったことはありました?

彪:とても行きたかったんです。ただ、当時は家庭環境の事情等もあってなかなか難しくて。しかも、そうこうしているうちに、Phantasmagoriaのラスト・ツアーの札幌公演のチケットが即完売になったことを知ったんですよ。KISAKIさんがアクションを起こすだけでシーンが大きく揺らぐし、そういう情報は北海道まですぐ伝わってくるんだな、すごいなぁとあの頃の私は思っていました。

-KISAKIさんは1990年代半ばからSHËY≠DË、Stella Maria、DIR EN GREYのメンバーが4人(京(Voice)、薫(Gt)、Die(Gt)、Shinya(Dr))在籍していたことでも知られているLa:Sadie's、MIRAGE、DのASAGI(Vo)さんやRuiza(Gt)さんも在籍されていたSyndrome、KISAKI PROJECT、Phantasmagoria、凛-the end of corruption world-といくつものバンドやプロジェクトを経てきていらっしゃいますが、その長いキャリアの中でもPhantasmagoriaは、シーンに強烈なインパクトを与えたバンドとして語り継がれているところがありますよね。

KISAKI:それは自分でも思いますね。Phantasmagoriaは個性もインパクトの強いバンドだったし、バンド人生の中では一番のピークがあの頃だった気がします。

-オリコンのインディーズ・チャート1位を獲得した代表曲収録の『神歌』(2007年リリースの9thシングル)が、今で言えばシーンさんが"神"と崇められていたのも実に印象的でした。

KISAKI:いやいや、今も僕は気持ちは"神"ですよ(笑)。まぁ、あの頃から僕が"神"って呼ばれるようになったのは、全国規模でインパクトのあるライヴを展開していってたことと、それこそ北海道も含めた各地でソールド・アウトするような状況があったからだと思いますし、当時そういう話が彪ちゃんの耳にも届いてたんでしょうね。だとしたら嬉しいです。

-そんなKISAKIさんの"神"ならではのオーラのようなものは、彪さんも初対面のときから感じられていたのでしょうか。

彪:最初にお話をさせていただいた、私のやっていたバンドと凛-the end of corruption world-さんが出演したイベントというのは、数日間にわたって他にも大御所のバンドさんがたくさん集まるようなものだったんですね。周りは先輩ばかりという状況だったんですが、楽屋にKISAKIさんが入られてきたときの存在感はやっぱり特別でした。というのも、主催や関係者もいい意味でのピリっとした緊張感も漂ったんですよ。地元で活動しているなかではそういう空気感は味わったことがなかったので、それは私にとって"これがヴィジュアル系の神が放つオーラ感なんだ......"と感じた瞬間でした。

KISAKI:全然それはないですよ。ないですけど、周りからは"KISAKIさんが来たら空気変わるから、違う場所で"とか言われるときはあります(笑)。たしかに、楽屋がワイワイ盛り上がってても僕が入った瞬間シーンってなることもありますし。だから、僕は"いないほうがいいんだろうな......"と思って、あえてみんなとは時間をずらして後から楽屋に入ることもありました。悪い噂が一人歩きしてるのかな? 今はさすがにそういう空気を出さないように気を付けてます(苦笑)。

-"神"のほうが周りに気遣いをされているわけですね。

KISAKI:だって、1990年代とか僕等の時代は先輩が後輩を威圧するみたいな文化がありましたからね。僕はそういう文化がむしろ大嫌いで、それをするなら実力や実績がある人じゃないとかえってカッコ悪いと思うんですよ。ただ、ライヴをやるっていうことに関しては対バンでやる以上、先輩、後輩とかは関係ないです。誰にも負けない! 爪痕を残すぞ! っていう姿勢で臨むのはどこでもいつでも変わりません。

-ちなみに、KISAKIさんと彪さんが初めて対バンされたときには打ち上げでも会話をされたそうですね。その場はどのような雰囲気だったのでしょう。

KISAKI:あれは打ち上げというよりも、関係者の集まったパーティーみたいな感じでしたね。ジャンル問わずなイベントだったので、ほんとにいろんな人たちが来てましたし、僕等より全然レジェンドな方もいっぱいいらっしゃってました。

彪:私からすると、あの空間はちょっと怖かったです(苦笑)。女だからっていう容赦があるような世界じゃないのと同時に、自分も女を武器にするつもりは全くなかったですからね。周りのすごい人たちに、なんとか気圧されないようにしないと! ってプレッシャーがどうしても大きかったんですよ。そういうなかでも、KISAKIさんは私に寄り添う言葉をくださって、それがとてもありがたかったです。KISAKIさんの言葉には優しさと気迫が両方こもっていて、今でもずっと忘れられないのは"野心がないとダメだ"っていう言葉で、それをいただいて私の心に火が付いたところがありました。

KISAKI:あのときに彪ちゃんは具体的なことはまだ言ってなかったですけど、恐らくもう東京進出を考えてたんじゃないですかね。そういう熱意を僕は言葉から感じてました。

彪:東京に行きたいとはずっと思ってましたけど、そのときはバンドが上手くいかないジレンマを感じている時期だったんですよ。でも、そうやって何かを理由にしてやりたことができないとか、今やってるバンドが上手くいくとかいかないとか、もうそういうのは全て排除しよう! って思い切ることができたのは、あのとき"野心がないとダメだ"という言葉をいただけたからだったと考えてます。実際に東京に出てくることができたのはそれから2年後くらいでしたが、私はあのタイミングでKISAKIさんと出会えたことにとても感謝してるんです。しかも、この間久々にお会いすることができたときもKISAKIさんは全く同じことをおっしゃっていたんですよ。それがまた、とても感慨深かったですね。

-彪さんに対しての"野心がないとダメだ"という言葉。それはきっと、KISAKIさん自身の人生においても信条となってきているものなのでしょうね。

KISAKI:そうなんですよ。自分自身も大事にしてきたことで、やっぱり野心のある人間とない人間はパッと見ただけでも全然違いますから。結局、僕が彪ちゃんと初めて会って"気合の入った熱い女の子だ"って感じたのも、そういうことだと思うんです。さっきも言いましたけど、どこに行っても爪痕を残したいですし、KISAKIという名前でせっかくいろんなところに出られるチャンスがあるなら、それを活かさないと意味がないと思いながら僕はずっと活動してきてます。