INTERVIEW
ADAM at
2025.01.29UPDATE
2025年02月号掲載
Interviewer:石角 友香
我が道を行くピアノ・インスト・シーンの異端児、ADAM atがメジャー・デビュー10周年を機に、その足跡をベスト・アルバム『The Creation of ADAM』としてリリースする。ファン投票にもとづき選曲されたINST盤とVOCAL盤からなる26曲は、ピアノ・インストとしてはレア且つADAM atの個性であるラウド系ナンバーからオーガニックな聴感の楽曲まで幅広く、さらに初期曲はリアレンジが施され、統一感のある仕上がりに。ゲスト・ヴォーカルを迎えた楽曲には、彼のライヴ・アーティストとしての存在感も窺える。
-メジャー・デビュー10周年のベスト・アルバムですが、ベストのリリースは10年ぐらいの蓄積があってこそという認識だったんですか?
でも"気付けば10年"でありますし、10年前に"10年後にはベスト・アルバムをリリースしよう"とは特に思ってなかったです。毎年1枚CDを出せたらいいなと思ってたなかで、2024年は9月か10月かなと漠然と考えていたんですけど、2025年1月22日でメジャー10周年になるし、僕1人の力ではなく、ファンの皆様のおかげでここまでやってこれたので、皆様から投票を募ってベスト・アルバムを出せたらいいかもね、っていう感じで今回出させてもらいました。
-ファン投票で意外だった上位曲はありましたか?
そうですね。僕が好きな曲は入ってなかったですね、そもそも。
-(笑)
その分"ガチ"だなと。自分で選ぶとどうしても新しい曲が入りがちになってしまいますが、今回は偏りなく公平にファン投票で選ばれた順に入れられたので、良かったなと思います。
-想像よりメタル/ラウド系の曲が少ないかもしれませんね。
本当にそうなんですよ。個人的には裏ベストを出したいぐらいですね(笑)。
-ご自身としてはメタル/ラウド系が少ない感じだったかもしれないですけど、改めて投票結果を見たときに"自分の音楽はこう思われてるんだな"と客観視できたことはありましたか?
「六三四」はやっぱり"ADAM atと言えば"っていう感じなのかなと思ったところですかね。この曲と「MONOLITH」に関しては、特にリードでもなくてMVも作ってなかったんですけど、それでもファン投票で1位、2位に選ばれたのは、やっぱりライヴでやり続けてきたからであって。ライヴの映像がこの音楽と一緒になっていたからこういった結果になったのかと考えると、ライヴをしなかったら「MONOLITH」は入らなかっただろうなと思いますね。
-近作『P.T.』(2023年リリースの9thアルバム)からは「Clarice」が収録されていますが、生感があるし、ADAM atの特徴であるラテンに、部分的にはポストロックっぽく、しかも最後にはコーラスもあるという、なかなかの要素が積載されていて。
これはコロナ禍中に作った曲だったので、それがライヴでできて、聴いてる皆様も"そうだよな"って共感できたのかなと。インスト・バンドはなかなか共感されることがないので、どうしてもコーラスは入ってしまうんですけど、ともあれ一緒に乗り切ったなっていう感じですかね。"RISING SUN ROCK FESTIVAL"で初めてやったんですが、それこそ新しい夜明けというか、ライヴの夜明けが見えたような気がしました。
-後半もバラエティに富んでますね。
自分で言うのもなんですけど、自分の思いや好みと裏腹に、やっぱりきれいなピアノとちょっと独特なリズムがADAM atなんだなと、お客さんはそれを求めてるんだなと思いましたね。特に僕は「最終電車」とか「Spring Field」みたいな、このあたりのイントロも含めて静かな曲はライヴでほとんどやらないので、ファンの方は本当に好きなんだなと。
-「サイコブレイク」や「五右衛門」等の再アレンジ曲もいいですよね。
どうせやるのであれば、音質も含めてライヴの臨場感なんかも全部詰め込めるのかなと思いまして。ミックスも結構こだわりました。今の音っぽくというか、特に今のラウド系の音に可能な限り寄せられたらなと。
-キャリアを積んでこられたなかで、転機になった出来事というと?
一番大きかったのはコロナですね。今まではライヴでできないものを音源にするのは良くないのかなと考えていたんですけど、もしこの先ライヴができなくなったらどうしようと思って。だからライヴと音源をはっきり分けたってとこはありますね。その結果、機材的な話なんですけど、ライヴで表現するために同期とかMIDIを入れたりして、ライヴにも変化が出てきましたし、良くも悪くもコロナは1つの大きな転機だったと思っております。あとは振り返れば、1曲目の「六三四」がなかったら自分の曲と名前はそんなに浸透することはなかったかなと。ADAM atっていう名前を知らなくても、この曲をやったときに"あ、野球の曲(NHKプロ野球放送テーマ曲)の人だったんですね"みたいなことを言われたりもするので、これがなかったら今はないのかもしれないですね。
-コロナ禍ではプロ野球自体の開催も簡単ではなかったですもんね。スポーツもエンタメも同じくしんどい時期でした。
観客もいなかったですし、拍手以外ダメだったり、ペッパーくんしかいないときもあったりましたから。もう1個の転機と言えば、今のサポート・ミュージシャンにSYU君っていう、もともと(激ロックの姉妹メディアの)Skream!さんにも何度か出させてもらっていたISAACというバンドをやっていた子がいて。彼がセンター・ヴォーカルでサポートに入るようになってから、彼が豊橋(在住)で僕が浜松なので、ライヴやリハの後に、一緒に車で帰る間にライヴメイクとかアレンジの話だったりを密にできるんですよ。今までのメンバーは全員東京だったんで、それができなかったんですよね。"この曲はもうちょっとこう行きませんか"とか"この曲はもっと煽ったらダイバー出ますよ。モッシュ起こりますよ"っていう話をして今の形になってるので、彼が入ったのは大きな転機ですね。
-メンバー全員ではないけど、非常にバンド的な時間ではあるんですね。
おっしゃる通りで、サポート・ミュージシャンだけだったらたぶんライヴメイクの話とかほとんどしないんですよね。"玉田(大悟)さんが好きなようにやっていただければ我々やるんで"と。でもそれでは僕のアイディアしかない。だけどSYU君はもともとセンター・ヴォーカルで歌ってた子なので、"ここでもっと煽っていったらお客さんが喜びますよ"とか"1曲目の一発目は一番大きな音で行きましょう"って、バンドのミーティングを車の中でできてるのが、今のライヴに反映されているかなと思いますね。