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INTERVIEW

陰陽座

2023.01.18UPDATE

2023年01月号掲載

陰陽座

Member:瞬火(Ba/Vo)

Interviewer:杉江 由紀

-また、このアルバムのことを語るうえでは、"忍法帖シリーズ"の最新作にあたる「月華忍法帖」が収録されているという点も、大きな注目点になるかと思います。瞬火さんが今回この曲の中で表現したかったのはどのようなことだったのですか。

この「月華忍法帖」という曲は、今までの"忍法帖シリーズ"のいくつかの曲と、それに付随する、"忍法帖"とは名を冠していないいくつかの曲で構成される、とある無敵のくノ一に関する一連の物語の、ほぼ佳境にあたる部分を描いたものになります。これまで通り、物語の根底にあるのは無敵の強さを持った女忍者の葛藤であるとか懊悩になりますが、ずっとここまでの曲たちを聴いてこられた方たちにとっては"あぁ、あの話の続きだな"と捉えていただくことができる内容になっています。とはいえ、これまでの流れを追ってきていない方にとっても、独立したメロディアスで狂おしい曲として聴いていただけるようになっていますので、ストーリーの詳細がわからないと聴けないというような曲にはなっておりません。どの曲も、独立して楽しめるものとして作っています。

-もっとも、今しがた瞬火さんの発言された、"一連の物語のほぼ佳境にあたる部分を描いた"というお言葉は非常に気になるところです。できれば、そのあたりを少し解説していただけると嬉しいのですが。

物語としては、この「月華忍法帖」から過去に発表した別の忍法帖の曲に繋がるんですよ。さらに言うと、そこから戻ってきた場面が、このアルバムの14曲目に入っている「静心なく花の散るらむ」になんですね。で、そのあとはまた別の過去の忍法帖の曲に飛んで、一連のストーリーは完結することになります。

-なるほど、そういうことでしたか。

『龍凰童子』に「月華忍法帖」と「静心なく花の散るらむ」の2曲とも入れて、今回で物語を終わらせる必要はなかったと言えばなかったんですが、でも、状況的に、場合によっては今回のアルバムを作ることすらできなかったかもしれない可能性があったことを考えると、マテリアルがもう揃っているなら、できるときにきっちり物語を終わらせておきたい、という気持ちがあったんです。

-並々ならぬ想いがそこにあられたのですね。

今回の「月華忍法帖」と「静心なく花の散るらむ」については、それぞれの歌詞であるとか、曲の終わり方という部分で、過去のどの忍法帖に戻るかはしっかりと暗示してありますので、これまでの作品を聴いていただいている方は"これに飛んでここに戻って、あれに飛ぶんだな"ということはわかっていただけると思います。なので、そこは付録的な面白さとして楽しんでいただければと考えています。

-承知いたしました。ところで、4曲目の「大いなる闊歩」は、どうやら今回ヴォーカル・レコーディングを最初に行った曲だったらしい、との情報をこの取材の前に得ていたのですけれど、黒猫さんが歌録りに復帰されてすぐの現場は、さすがに緊張感が漂っていたりしたのでしょうか。

いや。黒猫本人は、久しぶりの歌録りということで、それなりのプレッシャーを感じもしていたようですが、僕としては本人の"挑んでみる"という意気込みを汲んで制作に入りましたし、黒猫がどこまでやれるのかは未知数なまま始めたものの、最初の一声を聴いた瞬間に杞憂は消えました。完全にもとに戻っているというよりも、やはり一度は声が出なくなって、そこからの再起をかけて黒猫が自分の声を取り戻していく中で、言ってみれば折れた骨がくっつくときには以前よりもその部分が強くなるといいますが、どこかそれに近いものを感じたんですよ。

-筋トレなども筋細胞を破壊することでより強くするために行うそうですが、リカヴァリーのプロセスを経て黒猫さんは新たな変化を遂げられたのですね。

だと思います。そういうことが起こったんじゃないか? というくらい、黒猫はもとに戻ったのではなく先に進んでいるなとすら僕は感じたんですよ。それを第一声から感じることができた時点で、今回も至って平常心といいますか、自然なスタンスでレコーディングを進めていくことができました。

-当然ながら、ファンの方々も『龍凰童子』のこの仕上がりには驚きと喜びを感じられるに違いありません。

絶対にもう一度歌うんだ、という強い気迫を持ってトレーニングを続けた鍛練の結果がこれなんだと思います。今までも充分に強い声の持ち主でしたけれども、黒猫はさらに本当の力強さを持ったヴォーカリストになったと感じています。そのことは、このアルバムを聴いていただければわかっていただけると思います。

-今作では中盤にて「猪笹王」、「滑瓢」、「赤舌」と瞬火さんとの痛快なツイン・ヴォーカル曲が連打されるくだりがあり、そこでの迫力ある歌声も聴き応えがありますし、かと思うと「迦楼羅」での表現力豊かなヴォーカリゼイションも、黒猫さんの魅力が満載です。それに加え、11分半にわたるドラマチックな大作「白峯」については、黒猫さんの歌にただただ圧倒されました。

「猪笹王」や「滑瓢」、そして「赤舌」といった曲たちは、どれもライヴ映えしそうな曲になったんじゃないかと思います。もし、今後ライヴをやるとなった場合そこは非常に楽しみですね。あと、「白峯」は出だしこそピアノ・バラードのような雰囲気ですが、そこからの曲展開はあまりにもめまぐるしいですから、この1曲からだけでも黒猫の出す激しさとか強さだけではない、たおやかさや切なさなど様々な声を堪能することができるかと思います。

-「両面宿儺」はややキーが低いところから始まる楽曲となっていて、他の曲では聴けないような黒猫さんの声色を楽しむことができるという点で、興味深かったです。しかも、この曲では瞬火さんのデスボがまた絶妙なスパイスになっておりますね。

僕のデス・ヴォイスの件はさておき(笑)、この「両面宿儺」での黒猫の歌唱表現は、喜怒哀楽の分け方では片づけられないような、本当に繊細で奥深いものになっていると思います。曲の中の各シーンによって歌の表情はまったく違いますし、おそらくこのアルバムの中でも相当これは、歌うのが難しいものになっているんじゃないでしょうか。それを黒猫は自らが手に入れた力を存分に生かしながら本領発揮していますし、ヴォーカリスト 黒猫の新たな真骨頂として歌い上げたと言えるのではないでしょうか。

-さて。これだけ多彩な曲が詰め込まれているアルバム『龍凰童子』において、最後を締めくくるのは「心悸」です。アルバムの冒頭で「霓(器楽奏)」、「龍葬」、「鳳凰の柩」の3曲が意図して並べられていたように、この「心悸」をラストに持ってきた意図が何かしらあるのだとすると、それがどのようなものだったのかも教えてください。

これまでに出してきたアルバムもほとんどそうだったんですが、陰陽座にとってアルバムもライヴも、最後は楽しい気持ちで終わりたいというのがあるので、「心悸」ができたときにはすでに"これでアルバムを締めくくりたい"と感じましたし、それをメンバーに伝えたときも異論はまったくありませんでした。

-「心悸」は"ときめき"と読むだけあって曲調がとてもキラキラいきいきとしていますし、歌詞の面でも"見れば 動悸 動悸 する"、"往けば 造句 造句 する"といったドキドキ、ゾクゾクというオノマトペが織り込まれているところが楽しいですね。

それは言葉遊びをした部分です。まぁ、耳でドキドキ、ゾクゾクと聴くと軽い感じを受けるかもしれませんが、そう思わせておいて文字面で見るとそれはオノマトペではなく熟語になっているということで、そこはひとつの仕掛けなんです。それはそれとして、これは生命の喜びを歌った曲なんですよ。自分自身の生命もそうですし、バンドにしても、ファンのみなさんにしても、命があるから音楽が作れているし、それを聴いてもらうことができるわけで、命に感謝せずして何に感謝するのかということをここでは歌っているんです。「心悸」には"ときめき"という読み方をあてましたが、そもそも"心悸"という言葉には動悸の意味もありますので、直接的に心臓という器官があるから我々は生きているんだという、フィジカルな生命の賛歌になっています。

-つくづく、この『龍凰童子』なるアルバムは、徹頭徹尾あらゆる意味で練りに練られた作品となっているのですね。

いろいろと心配しながら待っていてくださったファンの方々が聴いたときに、この音から"陰陽座がまた歩み始めたんだな"ということを感じていただけたり、喜んでいただけたりしたら我々としても嬉しいですし、ここで陰陽座そのものの姿を掲げることができたなという手応えはすごく感じています。また、今回このような作品を作ることができたのは、応援してくださっているファンのみなさんのおかげに他なりません。このアルバムは、そんなみなさんに対する感謝の気持ちとして受け取っていただければと思います。

-最後に。これだけの完成度に仕上がった『龍凰童子』を聴いてしまうと、我々としては"この世界をライヴでも体感したい"という欲が、頭をもたげてしまうところがあるのですけれど、例えば今年のどこかでそれが実現する可能性はありますでしょうか。

現時点ではまだいつやりますということは具体的に申し上げられないんですが、もちろんこうして再び歩みだしたからには、このアルバムの先にあるのはライヴ活動の再開だと我々も考えています。ただ、そのライヴが『龍凰童子』を引っ提げてのものになるのか、あるいは中断したままになっている20周年記念ツアーの続きになるのか、それともまた別なかたちのものになるのか、という点についても決まってはいません。そこは陰陽座としての事情だけではなく、世の中的な事情やライヴ・イベントの実施における規制が、ここからどう変化していくにもよりますし、すべてのことを考慮したうえでどのタイミングだったら、何ができるのかということを判断しながら動いていきたいと思っています。いずれにしても、今回の『龍凰童子』に続く次の1歩を、それほどお待たせせずに踏めるよう前進していくつもりです。みなさん、これからもどうぞよろしくお願いいたします。