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INTERVIEW

DRADNATS

2014.03.07UPDATE

2014年03月号掲載

DRADNATS

Member:キクオ (Vo/Gt) ヤマケン (Ba/Cho) トノ (Dr/Cho)

Interviewer:吉羽 さおり

2014年1月、結成から9年、精力的に活動を続けてきたメロディック・パンク・バンド、DRADNATSがPIZZA OF DEATHへ移籍、横山健プロデュースによるアルバムをリリースするというニュースが流れた。横山健が自身のバンド以外でアルバムをプロデュースするのは、約10年ぶり。なお、DRADNATSのバンド名は、彼らがリスペクトするHi-STANDARDをもじったもの。ニュー・アルバム『MY MIND IS MADE UP』が超ハイカロリーで、渾身の力が詰まった理由も納得である。バンドとしてより腹を括った今と、制作の背景を語ってもらった。

-気合いの入った、すごくいいアルバムができましたね。今回はPIZZA OF DEATHへ移籍しての第1弾となりますが、ここに至る経緯はどういう感じだったんですか。

ヤマケン:もともとは違うレーベルにいたんですけど、そこのレーベルとPIZZA OF DEATH、健さんが付き合いがあって。結成して3、4年くらいで初めてKEN BANDのライヴに呼んでもらったんですよ。新宿MARSで、それが初めて対バンだったんです。それよりも前にキクオは、KEN BANDが使ってるスタジオの店員だったので、面識はあったんですけど。バンドとしての繋がりはそのライヴからですね。その後すぐ、DRANDATSは前のレーベルから1stアルバムを出して。アルバム・ツアーをやっているときに、KEN YOKOYAMA、ALMOND、SpecialThanksとうちの4バンドでやったスプリット(『The Best New-Comer Of The Year』)のリリースとツアーもあったりして。それが終わってからもちょいちょいKEN BANDのライヴとかツアーに誘ってもらっていたんです。

-関係性は長くあったんですね。

ヤマケン:そうですね。それでDRADNATS自体は、2011年に2ndアルバムを出したんですけど......時代のせいにするのは好きじゃないんですけど、1stよりも2ndを出したときの方が、CDの売れ枚数的には厳しかったんですよね、全体的に。順番的に言うと1stアルバム、スプリット、2年空いて2ndアルバムなんですけど。スプリットのときまでは割と右肩上がりというか、バンドとしても勢いがあったんですよ。でもそれは自分たちの力っていうよりも、流行りとまでは言えないんですけど新しいメロディックの流れみたいな勢いがあって。それに乗れたのか、乗れてないのかわからないですけど、割といい感じでいってたんです。2年空いちゃったので、下がっていたんですよね、いろいろ。モチベーションはもちろん下がってないんですけど。

-状況的にはあまりよくなかった。

ヤマケン:結果に繋がらない、じゃないですけど。2ndのツアーを回ってるときは、動員が1stのときよりも落ちているし、ライヴのクオリティは絶対上がっているはずなのにうまく結果が伴ってこないってなったときに、じゃあどうしようかってバンドで考えて、ポッと出てきたのがPODだったんですよね。ただ、聞こえ方はかっこよくないんですよね。自分たちが今の状況を打破するために――泣きついたって言った方がわかりやすいような状況だったんですよね。で、自分がPODに電話をして、直接健さんと話したかったので、時間を作ってもらって直訴したみたいな。っていうのは、健さんのコラムにも書いてあるんですけどね。大まかなところでは、そういう流れですね。