INTERVIEW
THE PRODIGY
2009.02.18UPDATE
Member:Liam Howlett(Music composer) &Keith Flint(Dancer, Vocalist)
Interviewer:Yuzuru Sato, translation by Mariko Shimbori
-PENDULUM、HADOUKEN!など「THE PRODIGYの子供たち」とも言えるバンドたちの台頭をどのように評価しますか?
L:PENDULUM もHADOUKEN!も両バンドとも知り合いだ。親友というわけじゃないけど、彼らとは話したりする。PENDULUM はTHE PRODIGYの「Voodoo People」の素晴らしいリミックスを作ってくれた。これまでに作られたどの曲のリミックスの中でも最高のものだろう。HADOUKEN!のJamesも、よく俺たちのバンドのことを話題にしてくれていてクールだよ。そうやってリスペクトしてくれるのは嬉しいね。
ダンス・シーンにいるみんなそれぞれが違ったことをやっていて、俺たちのやってることをコピーをしてる奴らなんていない。PENDULUM やHADOUKEN!、JUSTICEでさえも俺たちがやったことに影響を受けてやっていると言ってくれていて、それはすごいリスペクトだけど、それを彼らの音楽の中に特定することは出来ない。それぞれが独自のことをやっている。
K:ロック・アクトの方がそういったことをやろうとしてるんじゃないかな。ダンスの要素を自分たちの音楽に取り入れて、少しクールに見せようとしてるんだ。
L:ロック・バンドがエレクトロな要素を取り入れたりすることの方が、興味深いね。俺にとっては、その方がもっとエキサイティングだ。
-新レーベルTake Me To The Hospitalを設立した経緯と設立して変わったことを教えて下さい。
L:自分たちの仕事で特に変わったことはないけど、引き続き自由な環境で仕事が出来ている。XLレコーディングは俺たちにとって素晴らしいレーベルだったけど、契約期間が満了になって、互いに関係を終わらすことでよしとした。その後、今の傾向や、俺たちの状況や考え方を考慮すると、メジャー・レーベルとの契約は無理だと判断した。他の国々は関係ない。すべてはイギリスが発信元となるから、自分たちが他の国と契約をする。でも、核となるコントロールは自分たち自身から発信されてないとならないし、独立したものでなければならない。俺たちのレーベルのTake Me To The HospitalはロンドンのCookie Vinylとチームを組んでいて、自分たちがコントロールを取るにはそれが一番だ。組織が小さければ物事が早く進んでいくし、もっとエキサイティングなことが出来る。メジャー・レーベルを通してだと、自分たちのやりたいことへの答えをもらうまでに何人もの人たちを通さないとならない。
K:これまでも決まったルールに従って活動してきた。俺たちはバンドのことになると自分たちでコントロールしないと気がすまない質で、すべて自分たちの望むレベルでないとならない。他人に任せて、彼らのやりたいようにやらせるなんてことは出来ない。ビデオ・ディレクターやアートワーク、アルバム楽曲が印刷される書体の選択においてまで自分たちがコントロールしていなければならない。メジャー・レーベルに所属していると、自分たちにこれほどのコントロールを与えられることはない。自分たちの信用出来る人たちと仕事をして、常に自分たちが望むバンドのイメージや音を投影してもらうようにする。だから、これが理想的なやり方なんだ。
L:それと、俺たちのアルバムがリリースされた後は、このレーベルから他のバンドもリリースしたいと思っていて、今も契約できそうなバンドを検討してるところだ。レーベルを構築していくことも俺たちの仕事だ。
-本作『Invaders Must Die』はライヴ感に溢れたサウンドに焦点を絞りつつ、これまでのバンドの魅力を凝縮したような作品ですが、このアルバム・タイトルが初めにあってそれに合わせて作られたアルバムということで、このタイトルがテーマの作品ということですよね? どうしてこのテーマを取り上げたのですか?
L:Keithがさっきも言ったと思うけど、『Invaders Must Die』はある意味テーマではあって、お前がさっき説明したよな?
K:ああ、さっきも説明したとおりなんだけど、"Invaders" というのは、このギャングに潜入してこようとしている人たちのことだ。
L:または君であってもいいし、誰でもいい。誰のどんな個人的な経験でもいいんだ。ただ極端な見方をしているんだ。Keithが言ったように、防衛ということだ。自分にとってすごく大切なことがあって、それが誰かに侵されようとしているんだ。
-なぜこのテーマを取り上げたのですか?
K:前作は、バンドが最高と言える状態にはなかった。俺たちもそれは分かっていた。それをどうして更正したらいいかも分かっていた。だから、俺たちは心配していなかった。でも、他の人たちはこのギャップ...
L:割れ目。
K:割れ目、つまり弱点があるのを見て、俺たちは強力なギャングではあるけれども、彼らは上手くその弱点につけ込もうとしてきた。友達、ジャーナリストだけでなく...
L:ジャーナリストではなく、主に自分たちの陣営にいた人たち数人だ。バンドがしばらくの間あまり活動していなかったから、少し考えすぎてたのかもしれない。俺たちは解散はしてなかった。
K:決してそんなことはない。
L:長期間活動するということはいろんな試練を経験するということで、それだからこそバンドも興味深いものとなる。大変な時期を経験した後に復活することでね。
K:俺たちもこれでよかったと思っている。そういった辛い時期を経験できてよかったと思っている。何をやるにしても一生懸命に努力しなければならない。何事も簡単にはいかない。簡単に手に入るようなものだったら、それはつまらないもの、または、無意味なものに思えるだろう。
L:だから、このアルバムは、タイトルどおりに挑戦的な作品だ。俺たちにとっての勝利の作品だ。2003年、2004年にバンドがほとんど解散してしまいそうな状態までいって、それを乗り超えて作られた。俺たちはもちろん友達で、シングル曲を集めたアルバムのツアーをした5年前に関係を修復したんだ。といっても、特に俺たち3人の間に何か問題があったわけではなくて、パラノイアになっていたって感じかな。
K:題目もちゃんとした理由もない家庭内の争いといったものだ。12年間一心不乱にツアーしてきて、時には離れることも必要となった。その隙間が大きくなりすぎて、何がどうなのか分からなくなってしまうこともある。ソロの作品を作ろうとしたことは、よいことではなかった。Liamが次のTHE PRODIGYのアルバムを書こうとしてたときに、俺は自分のソロの曲を作っていた。THE PRODIGYのために24時間を費やしてた人が突然に、「スタジオに入ってるから、木曜日には行けない」と言っていたんだ。Liamが「Spitfire」を作って聴かせてくれたとき、俺は「彼が野球のバットのような曲を書いた」と表現してるんだけど、この曲は俺の頭に命中した。それで、「ちょっと待てよ。俺はここで何してるんだ」と考え直して、すべてをすっかり片付けてスタジオを後にしてTHE PRODIGYプロディジーに戻ったんだ。
L:本当の話だ。
K:本当なんだ。スピーカーのヴォリュームを大音量にして「Spitfire」を聴いた。このバンドの音楽ほど俺にとって意義のあるものはないこと、俺の心がこのバンド以外のどこにも所属していないことを確信した。俺は自分が夢の世界にいたことを分かっていた。ラッキーなことにも、THE PRODIGYとの関係は続いていてまだメンバーでいた。何よりも俺たちの強い友情があって、THE PRODIGYのパワーと強さを再建することが出来たんだ。
L:それでこのタイトルとなったんだ。俺たちにとってとても意味のあるもので、当時のことがきっかけとなって付けられているんだ。
K:あの感情から来ているんだ。あのときのあの感情から作られたタイトルだ。そういうわけだ。バンドはこのアルバム・タイトルからこの作品を作る力をもらって、ライヴにもってこいのアルバムを作った。今のバンドには、何の幻想もなければ、希望的観測などもない。これは俺がそうあって欲しいと願ってるわけじゃなく現実のことなんだけど、バンドがこれほどまでに強力であったことはない。これ以上最高の状態はないといったほどだ。俺たちは互いに正直であって、ちゃんとした理由がなければこうやって活動はしていない。自分に合ってないものであれば、辞めるだろう。時代遅れのもの、自分たちに関係ないものであれば、3人とも辞めると思う。
L:そのとおりだ。
K:世界ヘビー級チャンピオンが最後の試合にのぞもうとしていて、その体は不格好で、ずっとトレーニングをしていなくて上腕の筋肉も衰えてるのを見ることほど悲しいことはない。実に悲しいことだ。床に叩きのめされる姿を見るのは、本当に悲しいことで、俺たちは自分たちがそんなことになるようなことは絶対にやらないし、自分たちの仲間のためにもそんなことはしない。バンドとして、友達として俺たちは強力だ。でも、結局は音楽なんだ。俺たちの音楽が俺たちにとっての上腕筋だ。今はすべてが完璧な状態にある。前回のツアーはこれまでにないほどにパワフルでダイナミックで、観客同様俺たちにとっても最もエキサイティングなツアーだった。自分たちがまるでまったくの新人バンドのような感じがして、最高にエキサイティングだった。自分たちを偽って、「俺たち、また友達に戻って最高だぜ! もう一度やってやろうぜ!」なんてやってるんじゃない。そんなことは決してしない。本当にワクワクしてるんだ。今が俺たちの本領を発揮するときだ。さっきも言ったけど、ステージを支配して、自分たち自身に、そして、自分たちの音楽に信念を持っている。だから、今、俺たちこそ世界最高のバンドだと言えるんだ。
-今作ではオールドスクールなレイヴ・シンセや8ビットのシンセ・サウンドが耳を惹きます。機材面、制作面での変化はありましたか?
L:俺がスタジオで曲を書き上げてるときにキースが指摘してくれたんだけど、何曲かは昔と同じ方法で書いていたようなんだ。自分ではそんなふうに分析していなかったから、彼が指摘してくれなければ気づかなかったかもしれない。「Take Me To The Hospital」や、特に「Warrior's Dance」なんかは92、3年あたりの作曲方法と同じ方法で書いていた。
とは言っても、埃をかぶっていた昔のレイヴ・キーボードを取り出して使ったってわけじゃなくて、そういったキーボードは最初からスタジオにセッティングされていた。ただ、さっきも言ったけど、俺たちは当時のあのカルチャーに所属していて...「Warrior's Dance」が転機となった曲だったと思う。レコーディングを開始して4ヶ月経った頃に違った方向性をいろいろと試していて、ちょうどその頃にイギリスでは大きなフェスティヴァルの『Gatecrasher』でのギグがあって、Keithが、「アルバムのことは忘れよう。これこそライヴに最適な曲だ。ギグ用の曲が必要だ。これぞその楽曲だよ」と言ったんだ。
アシッドハウス誕生20周年記念とか何とかで、それをインスピレーションにしてそのギグ用に「Warrior's Dance」を書いた。おそらく1度か2度演奏するだけだろうという曲だった。この曲は「アルバムの曲を書かなくちゃ」といったことは考えてなくて自分の頭が別のところにあったから、あっという間に書けてしまった。この曲のおかげで、サウンド面ではないけれど、作曲方法に関してのきっかけを得たと思う。その後に書かれた曲は、すごく楽に書けた。自分がその流れに乗っていたからね。その後は、決して簡単ではなかったけど、アルバム用の楽曲が次々と完成していった。
K:確かにこの曲がきっかけとなったよな。Liamに言ったんだ。「本来のおまえのサウンドを使うことに躊躇するな。おまえがそのサウンドの所有者なんだ」とね。「そのサウンドを使うのに誰かに許可をもらわないとならないってことはないんだ。おまえのサウンドで、おまえが所有してるんだ。誤った使い方をするな」というようなことを言ったんだ。Liamも言ったように、俺はリアムが以前と同じ方法で曲を作っているのを見ていて、作曲においての新たな自由が生まれた気がした。フリーダムだ。曲作りをただ楽しんでるんだ。見ていて新鮮だった。「Warrior's Dance」がきっかけとなって、他の多くの曲が出来上がっていったんだ。
L:このアルバムはダークな作品ではない。『Music For The Jilted Generation』はダークな感じだったけれど、ニュー・アルバムはアップな感じだ。
K:意気揚々としている。
L:意気揚々としたアルバムで、聴いてみると『Music For The Jilted Generation』と同じくらいにブルータルでハードではあっても、アップな感じの作品だ。
K:Liamはダークな音だけではない音を見つけたんだ(笑)。