COLUMN
ジエメイの激ボリ交換日記♡ Vol.5
ジエメイの交換日記が二周目に入り、ワナさんの回がやって来ました〜!!
今日は音楽と人間の内側(といっても内臓の話ではない)についてふんわりと語っていこうと思います。
日記らしくもなく、壮大なテーマを掲げた割にはこぢんまりとした内容ですが今回も温かな心でお付き合い下さい。
ライブ中に送る"想い"の発生源は歌、言葉、音だけではありません。
どんなに言葉を尽くしても、どんなに歌が正確無比でも、どんなに音が良くても、正しい意味や大きさで伝わらないことがある人間の心の部分。
ジエメイのライブでは多くの場合この"心のやり取り"があると思います。
ジエメイはライブ中、アイコンタクトや細かい所作でメンバー同士ともフロアの一人一人とも意思疎通することを大切にしています。
人間一人から滲み出る想いを思いっきり歌に乗せることでより一層人の心にまで届くものなると信じて出力して来ました。
例え今は届かなくても届けようと手を伸ばし続けることに意味があると教えてくれたのは、同じ音楽の渦中にいてくれた人たちでした。
できることなら一人でも多くの人と、一粒でも多くの幸せを共有したいから途方もない壁に果敢に挑戦し続けられるのです。
一人一人がライブ会場に持ち寄る想いが様々であるように、歌い手も何のため誰のために歌うかは千差万別。
何かを越えようと歌う者、何かを埋めようと歌う者、自分には歌しかないと縛りの中に歌う者、副産物として得たステージで歌う者、命を削って内面を歌う者......
アイドルという歌い手のひとつのスキンは広くキラキラと輝いたものと捉えられることが多いですが、その実ものすごい重量を伴って燃えるような歌を歌う方も多いのです。
それを見て共に歩む聴き手の方も最早ただ"聴き手"とは呼べないほどにかける想いも一入。
歌い手は一人でも歌詞が纏う気持ちの大きさはそれを聴いて触れた人の心の数だけ重くなるのだと思います。
現在のその曲の概念的な想いの重みと実際の歌での出力が乖離しないように表現の手札を増やし続けなければ......。
時を経るごとに音楽への思い入れが強くなるのは聴いている時の思い出が嵩むからだと思うんです。
一度目に聴いた時はライブで、二度目からは作業中に音源で繰り返し、その後完全に曲を記憶した状態でライブで浴びる。曲を気に入った結果日常的に聴くようになり、沢山の視覚情報と時には歌詞と共に記憶に根を張る。
人間対人間も同じで、思い入れは互いがかけた時間や起こったイベントと共に増大していくものだと思います。
音楽と人の内側、この二つの想いの器はきっと底なしの無限です。
心を込めようと思えばいくらでも詰め込むことができます。
ならば改めて、これからも押し付けがましくありったけの愛とか願いとか憂いとかのごった煮の重い想いを乗せて歌おうと思います。
ジエメイの歌は人の味が濃いものになっていくだろうね。
毎回終わり際に怖くなってしまう黎鮫ワナ回。
前回の終わり際の反省を活かせず、今回もダメでした。
良い締めの言葉を考えるって課題は要再提出で!
また次回の重〜い日記でお会いしましょッッ!
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