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INTERVIEW

RAN

2025.05.30UPDATE

RAN

Member:TAICHI(Vo) 美亮(Gt) 嘘(Gt) 最上夜(Ba)

Interviewer:杉江 由紀

健やかなるときも病めるときも、RANは今その命ある限り、ライヴというものに対して誠心誠意を尽くす姿勢でいるということだろう。昨秋から療養期間に入っていたベーシスト、最上夜が復帰するのに伴い、6月10日には、池袋EDGEにて"RAN presents NEWシングルリリース記念and最上夜復活祭4マン【躁】"を開催し、6月13日には、渋谷WWWにて"TAICHI BIRTHDAY ONEMAN【BEAUTIFUL RAIN】"も決定。猛攻再開!

-RANは2018年に漢字表記の"蘭"としてスタートし、その後2023年に現在の表記となったそうですね。始動当初からいらっしゃるTAICHIさんと美亮さんのお2人は、どのようなきっかけからこのバンドを起ち上げることになられたのでしょう。

TAICHI:このバンドは自分が東京に来てから初めて作ったバンドだったんで、もともとの知り合いを集めたとかではなかったんですよ。人からの紹介もあったし、美亮に関しては僕がその頃に使ってたスタジオで働いてたんで、僕から声を掛けてみたんです。

美亮:いきなりその場で誘われました(笑)。

-ちなみに、その段階から音楽的にやりたいことは明確だったのですか?

TAICHI:バンドをやるために東京に来た以上、自分がやりたかったことをこのバンドで形にしたいっていう気持ちはありましたね。ただ、具体的な音の方向性までは細かく決めてたわけではなかったです。

美亮:僕も特に"これをやりたい"みたいなのはなくて、最初はみんながやりたいって言ってることについていこうかなというくらいの意識でした(笑)。

-では、その後に嘘さんと最上(夜)さんが参加されることになった経緯も教えてください。

嘘:もともと僕と最上は一緒にバンドをやっていて、そのバンドのヴォーカルの後輩がTAICHI君だったんですよ。だから、TAICHI君が上京する前のことも僕等は知っていて、ちょうどTAICHI君が上京した頃に僕等のやってたバンドが終わったんです。しかも、(僕が加入した)2021年っていうと当時はまだコロナでエンタメ自体が厳しい感じで。

-たしかに、2021年は諸々のガイドラインがまだある状態でしたね。

嘘:そういうなかでも面白いイベントをやって盛り上げたいなと思い、あるときいろんなメンツを集めてコピーをやる、セッション・ライヴのイベントを主催させてもらったんですよ。ただ、本来だったら歌うはずだったヴォーカリストが、体調不良で急に出られなくなっちゃったんです。でも、やる予定だったのがthe GazettEの曲だったんで"そういえばTAICHI君、the GazettE好きだったじゃん!"と思い出しまして。で、急遽声を掛けてみたんです。

-the GazettEと言えば、なんでもTAICHIさんは小学生の頃からthe GazettEのファンだったそうで、上京を控えていた時期にはInterFM897"ラジガゼ~RADIO the GazettE~"の番組内で、相談メールをメンバーに読んでもらった上、背中を押すようなコメントをいただいたこともあったそうではないですか。

TAICHI:そうなんですよ。the GazettEにはずっと憧れてましたし、うっさん(嘘)とのセッションに関しても完全に僕はthe GazettEで釣られました(笑)。

嘘:釣られてくれて良かったですよ(笑)。結果、あのイベントをやったことでお互いの距離が近付きましたから。そして、その後RANから当時のベースが脱けたタイミングで、もともと僕と一緒にやってた夜君も誘って今の形になったわけです。

-TAICHIさんと美亮さんのお2人からすると、先輩である嘘さんと最上さんが加入されるとなったとき、パワー・バランス等の面での不安を感じることはなかったのですか?

TAICHI:いや、むしろ最初は2人共"入らせていただきます"的な雰囲気で気を使ってもらってたんで、全然そんな不安は感じてなかったんですよ。

-"最初は"?

TAICHI:やっぱり、一緒にやっていくうちにだんだんと"こっちが先輩だぞ!"みたいな空気は多少出てきちゃいます。......っていうのは冗談で(笑)、2人共僕等にとっては今も"そういう側じゃない"いい先輩ですね。あと、2人が入ってきたことでRANはいい意味で変わったと思います。

-具体的にはどのように変わったのでしょうか。

TAICHI:ライヴに対しての熱量とかは基本的に変わってないんですけど、2人共"まずは音楽を楽しまないとバンドって楽しくないよ"というタイプだから、そこに僕等も影響を受けたところがあります。

美亮:音楽そのものの系統も変わったよね。

TAICHI:うん、前よりヘヴィになった。

美亮:前は結構シンセサイザー強めな音だったし、キャラ的にも違ったし。

TAICHI:分かりやすく言うと、もっとパーティーチックでチャラチャラした雰囲気のバンドだったんです(笑)。

-今現在のダークなイメージからは想像しにくいですね。

TAICHI:音楽的な面で"ここをもっと深く理解して追求すると気持ちいいよ"とか、"こうすればもっと気持ち良く歌えるよ"とかを、2人がいろいろ教えてくれたことが大きかったんです。"お前はヴォーカルなんやからな。その神輿を俺たちは担いでるんやぞ"っていう、プラスな意味でのプレッシャーを掛けてくれたことも、僕にとっては刺激になりました。

-サウンドの方向性が変わってきたことにより、もしかしたら歌詞世界の面にも多少なりの変化が出てきているのかもしれませんが、現在のRANが歌詞の面で大切にしているのはどのようなことですか。

TAICHI:案外歌詞は適当ですよ。......ってカッコ付けたい気持ちはあるんですが(笑)、音がヘヴィになっていけばいく程、歌詞もネガティヴな雰囲気のものが多くなっているのが現状でしょうね。それも、曲によっては包み隠さず書いちゃってるものが結構あります。かといってストレートすぎてもつまんないんで、聴き手に委ねる余白も作りつつっていう書き方をしてます。でも、嘘はつかないようにっていう気持ちも強いんですよ。そこは泥臭いとこがあるかもしれないですね。バンドのために必要な場合は泥臭いこともやりますよっていうのが自分の姿勢なんですよ。それはライヴ前に自分でフライヤーを配るとかそういうことも含めてね。そこはずっと昔から変わってないかも。

美亮:TAICHIは泥臭いこともやるし、ふざけるときは徹底的にふざけるっていうのも昔から変わってないです。去年のハロウィンなんて仙台貨物の千葉(Vo)さんのコスプレをして、その写真を見た千葉さんからコメント来てたもんね(笑)。

TAICHI:突然ご本人からフォローされて"メイク上手!"って褒められました(笑)。前からナイトメアも好きだし、以前ナイトメアはライヴに招待していただいてご挨拶させてもらったこともあるんですけど、千葉さんからコメントを貰えるとは思ってなかったです。

美亮:完璧になり切るっていう意味では、前にBOØWY のコピー・ライヴをやったときもすごかったよね。僕もその日は布袋(寅泰/Gt)さんになりきってライヴをやったんですけど。

-the GazettEやナイトメアは分かるのですけれど、皆さんの世代でBOØWY のコピーとは意外です。

TAICHI:そこは叔父さんの影響ですね。

美亮:僕も音楽としては80年代の日本のロックがすごく好きで、ジャパメタとかをよく聴いたんですよ。家にあったCDの大半が80年代のものばっかりだったんで、実はRANを始めるまではヴィジュアル系もよく知らなかったくらいです(笑)。

-一方嘘さんはRANのギタリストであると同時に、コンポーザーでもいらっしゃいます。その点でのご自身の"売り"はどのようなところにあるとお考えです?

嘘:ヴォーカリストが気持ちを込めて歌いやすいような曲を作るっていうところだと思います。とにかくヴォーカルがなめられたらあかんので、神輿であるヴォーカリストが最も映えるような曲を作るように意識してますね。

-美亮さんはギタリストとして心掛けていらっしゃるのはどのようなことですか。

美亮:自分の好きなことしかやらないっていうことですかね。さっき言ったような自分の好きだった80年代の音楽は今も好きだし、それだけが好きと言っても過言ではないので、自分もこのバンドではそういう音を出したいんです。

嘘:実を言うとそういう音のこだわりは僕にもあって、自分の場合は2010年代のネオヴィジュアル系と90年代のJ-P0Pが大好きなんです。だから、そこはRANで曲を作ったり、ギターを弾いたりするときにも様々な形で出ている部分だと思います。あの頃の時代感をRANではできるだけ再現していきたいんですよ。そういう意味では、僕も最近のヴィジュアル系は個人的にピンとあんまりピンと来ないです(笑)。

-そうした時代感を醸し出すために、嘘さんは機材もあえてアナログで揃えていらっしゃるそうですね。

嘘:フル・アナログです! Kemperが流行ったことによって、最近の若手のバンドって、アンプは普通に常設のMarshallとかを使ってることが多いじゃないですか。でも、自分が音楽を聴くようになったり、ギターを始めたりした頃は、ミュージシャンの多くがいわゆる"冷蔵庫ラック"って呼ばれるシステムをまだ使ってたんで、そこに対する憧れというのが未だにあるんですよ。デジタル機材が便利なのは分かるんですけど、どうもそこにはロマンを感じないというか。だから、この時代でも僕は毎回わざわざライヴハウスにでっかいキャビを持ち込んでます。そして、搬出搬入の面ではメンバーにも助けてもらってます(笑)。