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INTERVIEW

HOTSQUALL

2020.09.16UPDATE

2020年09月号掲載

HOTSQUALL

Member:アカマトシノリ(Vo/Ba) チフネシンゴ(Gt/Vo) ドウメンヨウヘイ(Dr/Cho)

Interviewer:山口 智男

昨年、結成20周年を迎えたHOTSQUALLが7曲入りのアルバム『SEVEN SHOUTS』をリリースする。新型コロナウイルスの影響でライヴができない現在の状況を逆手に取り、じっくりと時間をかけ、磨き上げた7曲は21年目を歩き始めたバンドに思いがけない果報をもたらした。1段階も2段階もレベルアップした今回の作品を聴いた誰もが、これからのHOTSQUALLがさらに楽しみになったと思うに違いない。メンバー3人の言葉から現在のバンドの絶好調を感じ取ってほしい。

-HOTSQUALLは今年結成から21周年を迎えたわけですが、激ロック初登場なので、まずこれまでの20年間をざっと振り返らせてください。結成は99年で良いんですよね?

チフネ:それが曖昧なんですよ。ざっくり言うと、その当時、地元の仲間の中でいくつもバンドがあって。僕らもそれぞれバンドをかじったりしてたんだけど、Hi-STANDARDのコピーをやろうと集まったのがこの3人で。スタジオで合わせたりしていくうちにいつのまにかオリジナル曲ができて、そうなると"ライヴやりたいよね。じゃあ一応バンド名を決めるか"ってなって、HOTSQUALLというバンドが生まれたんですが......フワッと流れで始まったからそれって具体的にはいつだっけ、みたいな(笑)。

ドウメン:そうそう。

チフネ:それで、初ライヴが確か99年だったから、そのときを結成というふうにしようと決めたのが、実は15周年ぐらいのときです(笑)。

-なるほど(笑)。では、この3人はどんなふうに知り合ったんですか?

チフネ:地元の同級生。同中です(笑)。

アカマ:家も近くて。

チフネ:なんなら、アカマは小学校から一緒です。

アカマ:少年野球のチームも一緒(笑)。

チフネ:ドウメンは中学からですね。

-それで3人ともハイスタ(Hi-STANDARD)が好きだからということでバンドやろうと?

チフネ:いや、もともと同中ですからね、すでによく遊んでましたよ。高校生になっても地元のみんなが集まる公園があって。地元の友達は他にもいっぱいいるわけですけど、みんな音楽が好きだったりして、当時、ハイスタやいろんなバンドのライヴを観に行ったり、"AIR JAM"に行ったりしていましたね。そうするとその中から楽器をやるやつ、バンドを組むやつが出てきて。ドウメンは中でもいち早くやっていましたね。

アカマ:家にドラムセットがあったもんね。

チフネ:で、そのドウメンがやってるバンドのライヴを僕とアカマは観に行ったりしてましたね。

アカマ:そう。わー、すげぇじゃんって。

チフネ:僕はTHE BEATLESが好きだったから、THE BEATLESの曲が弾きたくて、高校生のときにギターを買ってみたんですけど――

アカマ:バンドをやりたいって感じじゃなかったよね?

チフネ:そうだね。あの頃は、もし自分でやるんだったらTHE BEATLESみたいなバンドをやりたかったもん(笑)。

アカマ:そんなバンドいなかった(笑)。みんな若いし、周りはハードコアな感じとか――

チフネ:メタルとかヘヴィなサウンドが流行ってたよね。

-アカマさんはいつベースを始めたんですか?

アカマ:俺、ずっと野球部だったんで、音楽は聴く以外はそんなに興味がなかったんです。だから、よく遊んでたチフネも"へぇ、ギターを買ったんだ"ぐらいにしか思っていなかったんです。でも、そんな俺にも"ベースをやってみない?"って話がきて。はい、頭数合わせですね(笑)。"えぇっ"と思いながらも、みんなも楽しそうにやっているし"まぁやってみようかな"って感じでしたね。

-そしたら、ヴォーカルもやるようになって。

アカマ:最初誘われたバンドでは、シャウトするような感じでコーラスをしていました。野球をやっていたせいか、デッカい声を出すのも得意というか、楽しかったし。でも、しっかり歌を歌うっていうのとはまた別の話だったから、最初、ヴォーカルって意識はなかったですね。HOTSQUALLをやるようになって、結果そうなりました。

チフネ:とりあえずは"ハイスタのコピーをやろうぜ"って集まっている以上、そりゃベース・ヴォーカルだろっていう(笑)。それで、アカマは歌声に個性もあるし、特徴的で面白いじゃんってなっていきました。

-そして、05年にリリースした1stフル・アルバム『YURIAH』のヒットで存在感をアピールしてから15年、HOTSQUALL流のパンク・ロックを追求してきたわけですが、11年には自主レーベル"ONION ROCK RECORDS"をスタートしたり、15周年を迎えたタイミングで、地元千葉での野外イベント"ONION ROCK FESTIVAL"を主催したりしてきました。精力的に活動を続けてきてるわけなんですが、長いバンド活動の中で、各個人の意識が変わった決定的な転機っていくつかあったんじゃないかと思います。

チフネ:たしかに......ありましたね。まず最初にデカかったのは、就職していたアカマと僕が、05年にそれぞれ仕事を辞めて、『YURIAH』をリリースしたときですかね。あのときは相当、若いなりに腹を括ったと思います。で、そこから本格的な活動を開始してからシーンの最前線のバンドとも絡ませてもらったりするわけですから、とにかくカッカしていましたしね(笑)。追いつかなきゃ、負けてたまるかって。

アカマ:そうそう。それはあったな。

チフネ:HOTSQUALLを結成はしたものの、最初の6年間は、年に数回しかライヴもできなくて。めっちゃ溜まってました(笑)。ライヴもたくさんやりたかったし、ツアーもやってみたかったし、それまでの6年間で作ってきた曲も吐き出したかったし。それがあったからかな、それ以降は休みたいとかは一度も思わずに活動してきましたね。活動の戦略とかはまったくなかったですけど(笑)。

アカマ:誰にも負けてたまるかって思いはあったかな。ライヴの打ち上げを朝までやって、次の日俺らはそのまま仕事なんてこともよくあったし。そういうところでもとことんやり切ってやるぞっていう。いろんな意味で気合は入ってましたけど、やっぱり仕事していたことが本格的な活動への足枷になっていた部分があったのも確かだから、もし本気でやったらどこまでいけるんだろうと思ってたし、そしたら全部持っていってやるぞってくらいにはカッカしてたと思いますね。

-仕事を辞めて、ついに本腰入れて勝負に出たということですよね。

チフネ:もちろんその前から、沸々とそういう気持ちはあったんですけど、どうやったらCDを出せるのかとかツアーの組み方とか含め、具体的にバンド活動ってどうしたらいいかは全然わからないわけですよ(笑)。そしたら、ANDREW(FUCK YOU HEROES/FULLSCRATCH etc./Dr)さんが"TIGHT RECORDS"から出してみないかと誘ってくれたので、決断するなら今だなってなりました。で、そのあと、"TIGHT RECORDS"から05年に『YURIAH』をリリースして、08年に2ndフル・アルバム『BACKBEAT』、10年にミニ・アルバム『Darlin' Darlin'』とかワーッと出したんですけど、その頃まではそれまでに溜まっていたネタがあった曲を、こんな曲もあるし、あんな曲もあるしって感じで吐き出すようにリリースできました。その活動の中で全国で活躍するバンドたちともたくさん出会えて、たくさんの繋がりを作ることもできて。で、そこまでは勢いでやってきたようなところもあったんですが、ひと通りやれた感じもあって、イチから曲や作品を作るってなったとき、同じタイミングで"さて、ここからどうしていこう。次の目標はなんだろう。野外での自主イベントもやりたいし......とにかく自分たちでレーベルもやってみよう"って。そこらへんがふたつ目の転機でしたかね。

-自分たちでレーベルをやってみようっていうのは、どんな理由からだったんですか?

チフネ:漠然と憧れてはいたんですよ。なんの知識もなかったけど。海外のパンク・シーンとかは自分たちでレーベルをやっているのとかも普通のことみたいで。例えばそれを日本ではハイスタがやってたりしたわけですけど、結局、それが長く自分たちらしくバンド活動していけるのかもな~と思ったりしてたし。長くやっていくなかでレーベルに対して不満を言うようになっていくのもイヤだったし(笑)。そのときも"TIGHT(TIGHT RECORDS)"に不満があったわけではないんですけど、やっていったらもっとこうしてほしい、ああしてほしいって何かしら出てくるんだろうから。そこでなんやかんや言うぐらいだったら、いつかはやってみたい自主レーベルをやっちゃおうかって話はちょこちょこ出てて。ANDREWさんともそんな話してたし。そしたら、"だったら、やってみたらいいよ"って、むしろ背中を押してもらえたんです。早い段階でちゃんと話せたのが良かったんだと思います。

アカマ:やりたいことができないことも、自分が思い描くようなバンドになれないことも、誰かのせいにしようと思えばできてしまうじゃないですか。でも、それが逆にフラストレーションだと思ったんです。

ドウメン:だったら、自主でやるかって。

アカマ:自分たちでできる中で最善を尽くせたら、結果に対しても言い訳しないし。

チフネ:別に大手の誰かの力でド派手に展開することに憧れてるってバンドじゃなかったから、自分たちでっていうのは自然な流れだったんでしょうね。

-そこでまた気合が入ったと。

チフネ:そうですね。でも、正直言うと、自分たちのレーベルだという自覚を持って活動するまでにはかなり時間がかかりましたけどね。言っているだけで、今考えるとやれていないことだらけでした。自分たちのレーベルとはいえリリースのときとかは流通会社に手伝ってもらいながらだったり、自主レーベルやってるんだって胸を張れてたわけではないですね。もちろん、自分たちでリリースのタイミングを決めたり、ツアー組んだり、そういうことはやるんですけど。

-胸を張って、自分たちのレーベルだって言えるようになったのはいつ頃だったんですか?

チフネ:正直、ここ数年ですかね(笑)。自主でやり初めてからも、"自分たちでやりながら広げるのは大変だよ"って声を掛けてくれるレーベルもあったんですね。有難いことに、そんな人たちも結構いてくれました。声を掛けられたら、僕たちも真剣に考えましたよ。"たしかに。バンドをやる以上は広げたいし、どうする?"って毎回悩んだし、話し合いもして。でも、それって結局自分たちにとっては同じことかなと、横に移動させてもらってる感覚じゃダメだと思ってた気がします。

アカマ:うん。で、そこらへんからチフネが先頭に立って、より自分たちらしくしていこうって本格的にチームとして動けることを目指して、やっとカタチになってきたのがさっき言ったこの1~2年ぐらいなんです。俺個人としては、バンドさえかっこ良くあればどんなふうであれイケると思っていたから、そんなにどこのレーベルに所属とかにはこだわってなかったんだけど、チフネが指揮を取ってくれて、自分らが描くようなやってみたいことをやり始めてからは、いい感じにどんどんハマってきてる感触もあって、なるほど、やっぱこういうことだよねって。まぁ、チフネは大変だとは思いますけど(笑)。