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INTERVIEW

花冷え。× 田浦 楽

2018.09.14UPDATE

2018年09月号掲載

花冷え。× 田浦 楽

今年の春高校を卒後したばかりのラウドロック・バンド"花冷え。"が、初の全国流通音源となるミニ・アルバム『開花宣言』をリリースする。プロデューサーに田浦 楽(Crystal Lake/A Ghost of Flare/SOUL JAPAN)を迎えた渾身作で、高校時代に作った曲から最新の曲までに10代のエネルギーを詰め込んだ。しかし、印象に残る美メロと振り切れたスクリーム、激しい展開のヘヴィなサウンドは、10代の作品とは思えないほどエッジがあり、アイディアにも富んでいる。新世代の柔軟な感性が生む高い精度の曲には圧倒されるばかりだ。今回はプロデューサーの田浦氏と花冷え。のメンバー3人で、出会いから制作へと至る話を語ってもらった。

花冷え。:ユキナ(Vo) マツリ(Gt/Vo) ヘッツ(Ba/Cho)
田浦 楽
インタビュアー:吉羽 さおり Photo by もがみゆうな

-田浦さんが最初に花冷え。に会ったのはいつごろだったのでしょうか。

田浦:いつだったかな、去年の何月くらいだっけ?

ユキナ:秋とか、冬くらいですね。

田浦:僕はSOUL JAPANというバンド(ソロ・プロジェクト)をやっているんですけど、そのバンドで若手の新人発掘を目的にやっている"日本男児"というイベントがあって。ブッキングに関しては、新宿ANTIKNOCKのブッカーがイケてる若手を集めているんですけど、そこに花冷え。が出ていたんですよね。そのときはまだ高校生で。当時から出てくれていたALIVE LIKE THE FLAME(現:FILL THE VOID)とかもまだ高校生だったので、高校生バンドが出ることは不思議ではなかったんですけど、女性で、ラウド・バンドで、でもいわゆるアイドル路線ではなくて、自分たちで作り上げていくDIYなスタイルでやってて、バンドらしいバンドでいいなと思って声を掛けたのが最初ですね。すぐナンパしました。

マツリ:(笑)

-そのときに花冷え。はどんな状況だったのですか? 自分たちで作品を出すことも考えていた時期だったのでしょうか。

マツリ:まずライヴハウスに出始めたのが、去年の春くらいだったんです。花冷え。はもともと学校の軽音部で組んだバンドで。新宿ANTIKNOCKに初めて出たのも去年の9月(2017年9月19日に開催した"C-MOON vol.31"に出演)とかだったし、私たち的には、楽さんがいるバンドと対バンっていうのにめちゃくちゃ緊張していたんです。初めてそのイベントに出て、全然予想していない事態になったっていうか(笑)。

田浦:(花冷え。は)明らかに他のバンドの子たちとはなんか違うなって思いましたね。"他のバンドに負けない"っていう気合も感じました。

-花冷え。のみなさんは軽音部出身ということですが、部活の子たちともモチベーションが違ったんですか。

マツリ:そうですね。私は軽音部で部長をやっていたんですけど、そのころはライヴハウスに出るバンド自体がうちの学校にいなくて。私たちは、高校生でもハコでライヴしたりしているイメージを持って軽音部に入ったんです(笑)。だから、なんで出ないのかな? って思いつつ、でも周りのバンドや同世代には負けたくなかったし、ぶっちゃけ先輩にも負けたくなかったので、ずっと気合入りっぱなしでやってました。

-その感じが目に留まったんでしょうね。

田浦:そうですね。他にも高校生でやってるラウドロック・バンドも結構いたんです。でもその子たちとはまた違って、いい意味でフレッシュさがあって"バンドっぽいな"ってすごく思ったので。これは助けてあげた方がいいのかなって。それも、別の目標ができる前にね(笑)。

花冷え。一同:はははは(笑)。

田浦:18歳とか19歳って悩む年齢だと思うんです。今3人は大学にも通い始めて、別のことを好きになるとか、いろんなことがあると思うんですけど、音楽っていうのは素晴らしいもので、将来的にこの子たちが大成する可能性を感じたんです。他のことに興味が出る前にいい思いをさせてあげたいなっていうのはすごくありました。

ユキナ:そうだったんですね。

-そこから作品を作るところまではどんなふうに進んだんですか。

田浦:マツリと1回お仕事をしたんです。まったく別の、ゲーム関係の音楽のメロディをつけるという仕事だったんですけど。悩んでいて、"いいメロを作ってくれる子はいないかな"と考えていたら、ここにいたと(笑)。マツリは歌える音域も広いので、できるだろうなと思って仕事を振ったんです。そのときに、"バンドでレコーディングする予定とか決まってるの?"って話になって。そしたら、"実はどこで録るか探している段階です"ということだったので、"じゃあうちで録ろうよ"ってゴリ押ししました。"2~3年後にはレコーディングでかかった費用が相殺できるだけのものを絶対に一緒に作れる自信があるから、うちにきてほしい"って言ったら、"ぜひやらせてください"っていう返事をもらって。それで今に至ります。

-今回の作品『開花宣言』には6曲収録されていますが、そのときはもともと何曲くらいあったんですか。

マツリ:5曲くらいですかね。最後に入っている「ドラスティック・ナデシコ」はまだない状態で、イチから楽さんと一緒に作ったんですけど、それ以外は高校生からやっていた曲もありました。

田浦:「Envy」と「ZERO」に関しては結構できあがっている感じだったので、あまりメスを入れないようにしましたね。最初の作品だし、あえて不完全な感じでもいいのかなと思ったし、メンバーだけで作ったものも素晴らしかったので。その2曲に関しては展開もそんなに変えていないです。

-高校生にしてすでにできあがった感じだったのですね。

田浦:バンドとしてはしっかりしていましたね。やりたいこともしっかりしているし、明確なものは決まっているんですけど、そこが他のバンドとの違いなんですかね。