INTERVIEW
LINDEMANN
2015.06.19UPDATE
2015年06月号掲載
Member:Till Lindemann (Vo)
Interviewer:米沢 彰
-はじめまして! 激ロックというフリー・マガジンとWEBサイトを運営しています。
いいね。俺はオールド・スクールな人間だから、こうして手で触れることができるマガジンは好きなんだ。
-激ロックのフリー・マガジンはTOWER RECORDSやHMV、TSUTAYAといったCDショップのほとんどに置いてあります。まだCDショップがありますからね。
(爆笑)ダウンロードみたいな形のないモノが増えてきてるけど、みんな本当は実際に手に取れるものが好きなんじゃないかと思うね。ヨーロッパではアナログ・レコードがすごく盛り上がっていて、コレクターも増えていて、バンドはもちろん、DJもアナログ盤を多く出し始めているんだ。
-日本は少し遅れているかもしれませんね。
まあ、他の面で先に行っているからね(笑)。
-あなたの名前を冠した今回のプロジェクトについて簡単に教えていただけますでしょうか? まず、どういったきっかけでPeter Tägtgrenと今回のプロジェクトのスタートに至ったのでしょうか?
1999年にスウェーデンのレストランで他の友人に紹介されて出会ったんだ。そこで一緒に話して意気投合して、その夜にすぐに友達になった。波長もすごくあって、そこでいつか一緒に曲を作ろうということも決まったんだ。
-Peterのどういった部分に共鳴したのですか?
最初に会ったときは別のミュージシャンも交えて、音楽の話やヨーロッパの音楽シーンの話や世間話をして仲良くなったんだ。その2週間後ぐらいに女の子たちに会いに北の方に出かけたんだけど、バーで地元のバイカーに絡まれて喧嘩になりかけたんだけど、たまたまPeterが地元にいて、来てくれて助けてくれたんだ。そこで一気に仲良くなって、家族にも紹介してもらったりしたよ。
-運命的ですね。
そうだね。ある種のね。
-ドイツ、スウェーデンと、物理的にも離れているあなた方ですが、どのようにして制作を行っていたのでしょうか? また、いつごろからスタートしましたか?
実際に始めたのは2013年にRAMMSTEINがツアー後に休息に入ってからだね。10年以上もかかってしまったのは、お互い次々に新しいプロジェクトが入ってきて忙しかったからなんだけど、2013年の9月にようやく俺からPeterに電話をして、曲を作り始めたんだ。Peterから曲のファイルを送ってもらって、それにヴォーカルを入れて送り返したりしながら4~5曲ぐらい作って、それからはスウェーデンに行ってレコーディング・セッションをしたりして作っていったんだ。
-ドイツ語詞を基本にしてきたRAMMSTEINとは異なり、今作は英語詞の楽曲となっていますが、どういった理由なのでしょうか?
まず最初に、Peterに歌詞の内容をわかってもらいたかったんだ。音楽を作るうえでPeterが理解してくれることは大事なことだった。それに、RAMMSTEINとは別のプロジェクトとしてはっきりと分けたかったというのもある。ヴォーカル・スタイルやヘヴィなギター・サウンドが似てる部分もあるとは思うけど、きちんと区別するためにね。