INTERVIEW
TeddyLoid
2014.09.11UPDATE
2014年09月号掲載
Interviewer:KAORU
-早熟ですよね。普通の小学3年生て、それこそポケモンで遊んでいたりするのが普通じゃないですか。そういう遊びはせずに?
いや、やってました(笑)。学校ではポケモンやりつつ、家では曲作りみたいな感じでしたね。当時ネットの掲示板やmyspaceで音を交換し合ったりとか、yahooメッセンジャーで出会った人に曲を聴いてもらったりとかもしてましたね。
-環境にも恵まれていますよね。小学生では機材は買えないですし、ご両親の協力が大きかったのではないですか?
そうですね。エレクトーンのコンクールで賞を取ったり優勝したら、これを買ってあげるみたいな感じで。だから頑張るし、曲も書くしみたいな(笑)。
-実際にいろいろな賞を取ったのですか?
そうですね。何回か優勝したこともあります。
-まさに神童ですね......。
いやいや(笑)。でもパソコンとかネットがなかったら何もできてなかったですよ。
-だとしたら、今頃エレクトーン奏者として有名だったかもしれないですね(笑)。
まさにそれを目指していたのかもしれません(笑)。
-DJ活動はいつから始めたのですか?
2008年ですね。その前からDJはやっていましたけど、雅-MIYAVI-さんのワールド・ツアーに連れていって頂く機会があって、そのときにDJをやりミックスをやらせてもらったのがしっかりとしたお仕事としては初めてでした。その頃は、影響を受けていた、DAFT PUNKだったりJUSTICEだったり、ヒップホップとハウス・ミュージック、その頃フランスでED BANGERやKITSUNEなど色いろいろなレーベルがあって、僕の曲はED BANGERに近いサウンド感だと思うんですけど、そういうサウンドにドハマリしてました。
-2007年~2008年あたりは、さきほど言っていたJUSTICE、DIGITALISM、SIMIAN MOBILE DISCOなどが筆頭として本当に盛り上がってましたよね。
そうですね。パリに公演に行ったときに、僕だけ2週間くらい滞在して、myspaceで知り合った現地のアーティストと交流したり、JUSTICEのライヴも観に行ったり、DIGITALISMもSIMIAN MOBILE DISCOも観ましたし。いろいろ観たり意見交換したりして、今のサウンドの糧になっていますね。
-同時にKLAXONSだったり、HADOUKEN!などのニュー・ウェーヴも流行していましたが、そういうアーティストも聴いていましたか?
もちろん聴いてました。国内のアーティストよりは海外のアーティストを聴いていましたね。DOES IT OFFEND YOU, YEAH?とかも大好きでした。
-その頃のムーブメントで、ロックが好きな子が普通にダンス・ミュージックを聴くような流れにもなりましたよね。
そうですね。僕も心なしかロック感ていうのをイメージしたのはそこら辺で。ED BANGERのアーティストってロック感があるじゃないですか。そういえばSkream!でJUSTICEが表紙になったフリー・ペーパーがありましたよね。あれ5冊くらい持って帰りました(笑)。あの号は良かったですね~(笑)。
-ありがとうございます(笑)。話は戻りますが、雅-MIYAVI-さんのツアーに参加した経緯について教えてください。
知人にMASAKingというローランドの電子音楽家のかたがいて、そのかたが雅-MIYAVI-さんと交流があって、DJとビートボックスとフレンチ・エレクトロができるヤツを探しているということで紹介してもらいました。最初2人でスタジオに入って、"ちょっとスクラッチ見せてよ"とか言われたり、話したりして連れていってもらいました。18歳でしたね。
-18歳......怖い気持ちはなかったですか?
うーん、でもなんか、それよりワクワク感の方が凄くて、いい経験でしたよ。