INTERVIEW
GUNSHIP666
2014.08.12UPDATE
2014年08月号掲載
Member:Tetsuo Sano (Vo/Ba) Masami Toriumi (Gt)
Interviewer:米沢 彰
-初めてのインタビューとなりますので、まずはバンドのこれまでの経歴を簡単に伺いたいのですが宜しいでしょうか?
Masami Toriumi(以下、M):結成は2000年の6月6日の午後6時ですね。
-午後6時まで!?
M:そうなんですよ(笑)。ヘヴィ・メタルのバンドであることは変わりないんですけど、当初は、ヴォーカルが3人いるバンドでした。でも3人ヴォーカルがいるっていうのは無理があって、1回ライヴをやって1人が辞めて、5人編成でやってました。たまたま向こうのクラブのオーナーの知り合いがいたので、1枚目のデモを作った後すぐにその人づてでアメリカでライヴをやりました。デモインっていうSLIPKNOTの出身の街なんですけど、そこでライヴをするようになってから他のバンドとの関係が広がりましたね。それからTetsuo Sano(Vo/Ba)が入ったあとにアルバムを1枚作ったのが2006~7年くらいですね。それからメンバー・チェンジがあって、2010年には今のメンバーに落ち着きました。
Tetsuo Sano (以下、T):初めて作ったアルバム『KAMIKAZE』のツアーでアメリカを15州位まわったんです。
M:3週間くらいです。それが1番大きなツアーでしたね。
T:デモインのライヴハウスに行くと、最前列にSLIPKNOTのメンバーがいるんですよ(笑)。昔からの知り合いで。
M:呼んでないのに来てくれて(笑)。
T:KNOTFESTも呼ばれるつもりでいたら、呼ばれなかったですね(笑)。2010年にドラムが入って今の体制になって、ようやく次のアルバムが出せると。前に出したアルバムが『KAMIKAZE』だったので、"FUCK YOU"付けようよって言って、『KAMIKAZE FUCK YOU』にしたんです。次のアルバムは『KAMIKAZE MOTHER FUCKER』とかですね(笑)。
一同:(笑)
-PANTERAやSLAYERを彷彿とさせるゴリゴリのメタル・サウンドのGUNSHIP666ですが、お2人のメタルの入り口をそれぞれ伺ってもいいですか?
T:俺はJUDAS PRIEST!
M:私は日本のLOUDNESSですね。高崎さんがLOUDNESS以前の時から、この人のギターは上手いなって子供ながらに思ってました。それで、そのまま成長していって、あとはEdward Van Halenとか、初期のJUDAS PRIESTとか、最初のIRON MAIDENとかですね。
-GUNSHIP666というバンド名は日本のアニメやマンガを想像したりもしますが、どういった経緯で名づけられたのですか?
T:全然意識はしていないですね。もともとは、"戦艦"の意味の"BATTLESHIP"ってアイディアがあって、でもそれだと直接すぎるから"GUNSHIP"にしたんです。
M:英語的にも響きが"GUNSHIP"の方がキャッチーだったりするんですよね。
T:日本人が聴いてもすぐ覚えるじゃないですか。しかも、外国人たちにしてみればこの"GUNSHIP666"って響きはスーパー・クールなんですよ。"なんだこのバンド名は!?"ってなるらしい(笑)。
-今回のリリースはSNOTのメンバーであり、SOULFLYなどを手がけたMikey Dolingをプロデューサーに、PANTERA、HELLYEAHらを手がけたSterling Winfieldをミキサーに起用し、ロサンゼルスでレコーディングを行ってきたとのことですが、どういった経緯で海外レコーディングに踏み切ったのでしょうか?
T:勢いだね(笑)。
一同:(笑)
M:それもあったのと、Mikeyがたまたまこのアルバムに入っている1曲を聴いてくれてたんですよ。それで"その曲のプロデュースをしたい"とMikeyが言ってくれたので、タイミングも良いし、そのまま話を進めていって。日本で録るか、ロサンゼルスで録るかって話になったんですけど、向こうで録った方が環境が良いじゃないですか。電圧の違いとかも私はあると思いますし、それで決めました。
T:でも、日本のスタジオよりもふざけたところも多くて、日本だったら普通高いケーブルを使ってるけど、海外のは"これはゴミ!?"って言いたくなるようなケーブルが出てきたりする(笑)。でも、それもロックだよね。