INTERVIEW
DEZERT
2024.11.23UPDATE
2024年11月号掲載
Member:千秋(Vo) Miyako(Gt) Sacchan(Ba) SORA(Dr)
Interviewer:山口 哲生
2024年12月27日、DEZERTが初の日本武道館ワンマン"DEZERT SPECIAL ONEMAN LIVE at NIPPON BUDOKAN「君の心臓を触る」"を開催する。結成13周年となる今年は、1月にアルバム『The Heart Tree』でメジャー進出し、9月にはこれまでのキャリアを振り返る『傑作音源集「絶対的オカルト週刊誌」』を発表。2月からは様々な趣向を凝らしたツアーやライヴを行ってきた彼等が、武道館を目前に控えた今、激ロックに初登場。千秋、Miyako、Sacchan、SORAの4人はどんな思いを抱えながらここまで活動し、武道館に立とうとしているのか。彼等のバンド・ヒストリーをはじめ、ここから先に思い描いているものまで、じっくりと話を訊いた。
-12月27日に初の日本武道館ワンマン"DEZERT SPECIAL ONEMAN LIVE at NIPPON BUDOKAN「君の心臓を触る」"を開催されますが、DEZERTを結成した当時は"いつか(日本)武道館で"という話をしていたりしました?
千秋:してないですね。このバンドは結構ぬるっと始まっていて、今となってはそれが当時の不満なのかなんなのかよく分からないけど、なんとも言えない若かりし頃の気持ちをとりあえず音でぶつけていくっていう感じでやっていて。初めの2年間ぐらいはあまり伸びず、そこからちょっとずつお客さんが増えていったんですけど、到底武道館というか、もはや"500人集めるのってどうすんねやろ"ぐらいのテンションでずっとやってたから、"いつか武道館でやろう"みたいな話はしてないと思うんですよ。各々にはあると思うんですけど、口に出して"武道館目指そうぜ!"みたいなことを言うバンドではなかったですね。
-千秋さん個人としては、いつか武道館でやりたいという願望みたいなものはありました?
千秋:これは全然調子に乗ってる発言とかではないんですけど、僕は武道館でやったから売れてるみたいなのがあんまりなくて。中高生の頃に聴いてたバンドとかは、武道館をやってようやくメジャーみたいなイメージがなんとなくあるところだったんですよ。なので、バンドを続けていくのならば恐らく通らなきゃいけない道というか。だから北極星みたいな存在ですね。"聖地"と言われてるところなので、もちろん意識はしていたけど、最初の頃は基本的にできるとは思ってなかったです。
-SORAさんもDEZERT加入当初は、とにかく今を必死にという感覚のほうが強かったですか。
SORA:その頃はバイトで忙しかったですね。もう本当にそれだけ。バイトに行って、掃除用具入れで寝て、スタジオに行って、メンバーに"足臭い"って言われて。本当にバイトと練習することしかできないボンクラだったので、武道館については千秋と同じです。でも、中学生の卒業文集には"25歳で武道館でやる"って書いてありました。
-憧れの場所ではあったと。
SORA:やっぱりバンドマンにとって1個の指標ではあるじゃないですか。15歳の頃からそういう場所っていうイメージが残っちゃってるんで、"やってみたいな"じゃなくて"やるんだ"っていう感じではありました。ただ、千秋も話した通り、DEZERTってすごくゆるくじゃないですけど、どよ~んと始まったっていうか。ちょっと普通ではない感じだったので、肩を組んで"武道館やるぞ!"、"おー!"みたいな感じじゃなかったです。
-Sacchanさん。SORAさんが話していた"どよ~ん"としていたというのは、それこそ千秋さんが"初めの2年ぐらいは~"とおっしゃっていたように、なかなか結果が出てこなかったゆえにバンドがそういう状態になっていたんでしょうか。
Sacchan:バンドの空気感がどよ~んとしていたというよりは、例えば組んだ瞬間に事務所に所属するとか、上手い話に乗っかれるとか、そういうことじゃなかったっていう意味ですね。泥臭いみたいな。
SORA:そうそう、それです。泥臭かった。
Sacchan:"地を這うようなイメージで始まった"みたいなニュアンスですね。
-なるほど。SacchanもDEZERT結成当初は千秋さんやSORAさんと同じような感覚で。
Sacchan:僕はDEZERTを始める前にバンドを何個かやってきたんですけど、お客さんを1人でも2人でも集めることの難しさみたいなものを痛いほど感じていて。だから、この会場うんぬんというよりは、お客さんを10人、20人、30人集めるためにどうすればいいかっていうところにしか自分のフォーカスを当てられていなかったです。100キャパ、200キャパでワンマンするためにはどうしたらいいんだ、みたいな感じだったのをすごく覚えていますね。
-個人としては、武道館はいつかやってみたい場所でもありました?
Sacchan:そうですね。小さい頃から楽器というかバンドみたいなことに興味をすごく持っていたので。武道館をいつ意識したのかはちょっと覚えてないんですけど、名前の聞いたことのある会場に対しての憧れは、昔から漠然とあるのは間違いないです。
-Miyakoさんが加入されたのは2015年ですけれども、まだ武道館という話が出てくるわけではなく。
Miyako:そうですね。DEZERTに入る前にいろんなバンドをやってきたんですけど、ワンギターのバンドは初めてだったし、もとからあるバンドに加入するのもあって、DEZERTのギターとして表現していくってことに精一杯だったので。会場がどうこうという感じではなかったですね。
-そのなかでも一個人としてはやってみたい気持ちもあって。
Miyako:バンドを始めたばかりの学生の頃は、バンドをやると言っても、なかなか受け入れてもらえないというか。"現実は厳しいよ"みたいな意見を学校の先生とかからも言われるなかで、もしかしたら武道館に立ったら受け入れてもらえるのかなって当時は思いましたね。ただ、その頃は武道館とか東京ドームでやりたいみたいな思いはあるんですけど、バンドをやればやるほど遠くなっていって、現実はそんなに甘くないことを知ったというか。そういう場所ですね、武道館って。
-思っていたよりも、ものすごく遠くにあるものなんだなと。
Sacchan:遠いというか、遠いとすらも思えないような場所でしたね。"俺たちはこのバンドで武道館に挑むんだ"みたいなことを意識するような場所ですらなかったというか。どちらかというと、もうちょっと現実的なところ、僕等よりも少し先輩たちがやってるような場所のほうが意識としてはかなり強かった思い出があります。
-当時意識していた場所というと、例えばZeppとか?
Sacchan:もうちょっと小さいです。(Spotify)O-WESTとかO-EASTとか、そのあたりでやってる人たちはどうやってこんなにお客さんを集めたんだろう......みたいな感じでしたね。
-そういったなかから武道館が現実味を帯び始めたというか、あの会場に挑戦してみようというふうに思ったのはいつ頃だったんですか?
千秋:あんまり覚えてなくて。DEZERTは僕とSacchanが始めたんですけど、そもそもはバンドというツールを使って"続ける"っていうのをかなり目標にしたんですね。で、僕としては"7年で武道館に立つ。が、それでも遅い"っていろんな場所で言っていたし、思ってもいたんですけど、それはこのバンドがなんとなくこれからも続くなと思ったときに、漠然と"7年後に武道館でやれたらいいな"と思ったからで。自主で活動した時間が長いんで、そこから逆算したり、来年のスケジュールを考えたりするときにかなり意識した部分はあったんです。ただ、みーちゃん(Miyako)が入った頃は、お客さんは結構いてくれたんですけど、すごく大変な時期で。思春期の終わりかけというか。
-思春期の終わりかけ、ですか。
千秋:若い頃って自分は無限にできると思うじゃないですか。でも、遅れてきた思春期っていうのが僕の中にあって。それまで真面目に何かに取り組んだことがなかったから、みーちゃんが入ったときぐらいに"あれ? ちょっと俺、もしかしたら才能ないかも"みたいな感じになってきたんですね。なので、2016年、2017年、2018年っていうのは、武道館なんて口に出せない。むしろ出したら夢を見てる痛いやつみたいな雰囲気に僕の中でなっちゃって。こういう性格なので。
-なるほど。
千秋:でも、みんな歳を重ねて、周りも結婚したりとかするような年齢になったときに、フロントマンとしては、ここでこのバンドが終わってしまったり、"目標とかそんなのどうでもいい。やりたいことをやるんだ"って俺の気まぐれで言ってしまったときに、めっちゃかわいそうというか、俺って最低な人間やなと思っちゃったんですよ。これは俺が偉いとかそういう話じゃなくて、ヴォーカルがいなくなったら普通にちょっとキツいじゃないですか。で、そういうつらい時期があって、2019年の年末ぐらいにちょっとバンドがまとまってきたんです。そのときにライヴ("くるくるまわる-2019-")で"2年後に武道館でやります"ってお客さんの前で言って。そこから武道館への物語が始まったような気がしますね。じゃあどうしようか、みたいな。だから常に逆算してる感じがします。
-ステージで"武道館"というワードを出したのは、メンバーの皆さんには事前に一切言わず、その場で思ったことを言ったと。
千秋:そうです。スタッフにも言わずに。なんか、いいライヴだったんですよ(笑)。渋谷CLUB QUATTROで、700人ぐらいのオーディエンスの前で、未来なんか全然見えないんだけど、なんとなくいけそうな気がして。だから酔ってる感じですよね(笑)。で、当時のスタッフから"言ったからには責任取らないと"みたいな。じゃあ正式に目指していきましょうってなってから、そこでコロナが来ちゃうんですけどね。
-もとを辿りながらお聞きしたいんですが、Miyakoさんが加入された"思春期の終わりかけ"の時期は、言ってしまえば、自分はここまでの人間なのかもしれないということをなんとなく感じてしまったと。
千秋:でも、それもそこまで論理的には考えられてなくて、今思えばの話なんですよ、僕の言動とか行動に関しては。自分には才能がないっていう歌詞を書き始めたのは、それこそ2019年ぐらいからなんですけど、やっぱり周りとか偉大なアーティストと比べてしまう部分がすごくあって。曲にはずっと自信があったんですけど、そもそも僕はこのバンドを始めてから曲を作り始めた人で、ピアノも弾けないし、ギターも独学で、こんな感じで当時7年ぐらいやってきて。もちろんね、ファンがいてくれて嬉しかったんですけど、芽が出ないということはもしかして向いてないのかもしれないなっていう、初めての未来への不安。この先どうやって生きていくんだろうってシンプルに感じて。
-それまではあまりそういうことは感じてこなかったと。
千秋:DEZERTを始めた頃は、別にいつ死んでもいいし、命に関しての概念はどっちかというと雑な扱いだったんですよ。だけど、"いや、でもこれから先もまだ生きていくよな、健康やし"ってなったときの不安。それがすごく顕著に出たのが、みーちゃんが入って1~2年ぐらい経った頃でしたね。デカい場所でライヴをし始めたときに、あんまり上手くいかなくて。それも重なって、あれ? みたいな。周りには言わなかったですけど、そのことは。
-DEZERTは、2017年2月から4月まで"千秋を救うツアー(DEZERT LIVE TOUR 2017 "千秋を救うツアー")"、8月から10月まで"千秋を救うツアー 2(DEZERT LIVE TOUR "千秋を救うツアー 2")"というタイトルで全国を回っていましたが、千秋さんとしては本当に自分が救われたい気持ちでやっていたということでしょうか。
千秋:あのタイトルはSacchanが冗談半分で付けたんですけど、今思うと、あのタイトルを付けざるを得なかったような状況だったのかもしれないですね。僕、インタビューとかで過去のことを否定しがちなんですよ。"あのときは良くなかった"みたいな。たぶん2017年のときも、"今が一番いい。結成当初はお客さんいなかったし"というようなことを言うとるんですよ。だから今思うと......"千秋を救う"っていうのは、Sacchanが裏テーマで僕に言ってきた警鐘みたいなものなのかもしれないってなんとなく思ったりはしますね。なんかヤバそうだったんじゃないですかね、そのときは(笑)。
-Sacchanさん、いかがです? 当時の千秋さんはそれこそヤバい状態だったんですか?
Sacchan:ヤバさのベクトルはいろいろあると思うんですけど、たしかに切羽詰まってる感じというよりは......表現がすごく難しいんですけど、なんとも言えない雰囲気をずっと醸し出してたのは間違いないんじゃないかなと。ツアーのそこまで深くない裏テーマとしては、"お客さんはバンドの鏡だよ"みたいな言葉があるじゃないですか。それはうちのバンドの場合、ライヴに関しては千秋君がいろいろ背負ってくれていた部分が間違いなくあったので、"これはもう「お客さん=千秋君」ってことなんじゃない? だから全国の千秋君を救いに行こう"みたいな発案ではあったんですけど。逆に、その人たちに映っている千秋君も救わなきゃいけなかったんだっていうところでいうと、今思うと結構深いテーマだったのかもしれないですね(笑)。全国の千秋君を救いに行こうと思っているということは、間違いなく千秋君自身も救われるべき存在だったっていう。
千秋:とはいえ、僕は楽しかったんですよ、そのツアーは。ただ、僕以外の全ての人類を傷つけるツアーになって。