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INTERVIEW

SLASH

2024.05.22UPDATE

2024年06月号掲載

SLASH

Interviewer:Generic Interview 2024 Translator:内堀 文佳

GUNS N' ROSESのギタリスト SLASHが、約14年ぶりの完全ソロ名義作『Orgy Of The Damned』をリリース! 史上最高のギター・ヒーローのひとりであるSLASHのルーツを辿る、ブルースとソウルの名曲のカバーを収めたこのアルバムに花を添えるのは、Brian Johnson(AC/DC/Vo)、Steven Tyler(AEROSMITH/Vo)、Billy F Gibbons(ZZ TOP/Gt/Vo)、Iggy Pop、Paul Rodgers、Demi Lovatoなど、これまた超豪華アーティストたち。激ロックではそんな本作の制作の裏側に迫るべく、SLASHへのジェネリック・インタビューを入手した。

-まずは『Orgy Of The Damned』の完成おめでとうございます! 大変熱のこもった、深みのある面白いアルバムになりましたね。

どれだけ深いかはわからないけど(笑)、作っていてとても楽しいアルバムだったよ。すごくいい環境で、スタジオでレコーディング・セッションができたよ。少なくともバンドのほうは。シンガーは別のタイミングになってしまったけど、バンドの演奏はスタジオでジャムってできたんだ。とても楽しかったよ。

-収録された12曲はとても幅広く、まるで時空を超えた旅のようです。

うん、ブルース・アルバムと銘打たれてはいるけど、実際にはブルースと、オールドスクールなロックンロールと、あとはR&Bなんかもミックスしたような感じなんだ。

-90年代のSLASH'S BLUES BALLとしての活動のことを思うと、長年の夢が叶った形だったのではないでしょうか。当時のライヴは一切作品化されていません。

SLASH'S BLUES BALLは90年代後半にブルースとかのカバーをするために作ったジャム・バンドで、ずっと作品として形にしたかったんだけど、ほかのいろいろな活動でずっと忙しくてね。それでやっとGUNS N' ROSESのツアーの合間でひと息ついたときに、"そうだ、あのアルバムを作ろう"ってことで、当時一緒にやっていたJohnny Griparic(Ba)やTeddy "Zig Zag" Andreadis(Key)に"スタジオに入ろう"って連絡したんだ。昔のセットリストから曲を選んだり、新しくやりたいと思いついたアイディアをジャムったりして、そこにヴォーカルとギターでTash Neal、ドラムでMichael Jeromeを入れて、すぐに取り掛かり始めたよ。

-この作品はあなたに大きな影響を与え、あなたを形作ったサウンドに迫るものですから、このアルバムを作ることはマストだったのではないでしょうか?

そうだね。ギターを始めたとき、最初に奏でた3~4音はブルース・ソロの基礎的なものだったんだ。それが自分の一番のルーツになっている。そこにパンク・ロックだったりヘヴィ・メタルだったり、15歳の自分にとってビッグだったものを足していったから音は変わっていったけど、それが常に俺の作品の根本にあったんだ。だからクラブでいろんな人とジャムをしてブルースをやるときのヴァイブや雰囲気は俺にとって昔から心地のいいもので、今回の作品はそれをバンドとしてやるのにとてもいい手段だったよ。

-初めて出会ったときからあなたにとっての"ヒーロー"、手本となるような存在はいましたか? 例えばRobert Johnson、Muddy Waters、John Mayallのような。

初めての純粋なブルースの影響として記憶にあるのはB.B. Kingだね。ギターを始めるよりずっと前に、祖母がB.B. Kingの曲を聴かせてくれて、それが当時の自分に訴え掛けてきたんだ。アメリカに来たばかりの頃だったと思う、7~8歳だったかな? その年頃は自分の好きな音を見つけている段階で、それがなんというものなのか、誰の音なのかなんて知らないし、特に興味すらなかったりする。ただただ音に惹かれていたんだ。俺は子供のときから数々の素晴らしい音楽に触れてきた。ブルース、R&B、ロックンロール、それにフォーク・ミュージックもね。だけど15歳頃になってギターを手に取ってみると、自分が面白いと思う音を並べるようになっていって、Eric Clapton、Jimmy Page、Jimi Hendrix、Jeff Beckとかを聴くようになると、あの頃聴いていたB.B. Kingのアルバムまで戻ってきていたんだ。だからそのイギリスのギタリストたちがAlbert King、B.B. King、Robert Johnson、Little Walter、Muddy Waters、Lightnin' Hopkins、John Lee Hookerに興味を持つきっかけになったんだよ。俺のプレイは今でも一番好きなブルース・ソリストのAlbert King、B.B. King、Freddie King の3大キングと、あとMuddy Watersに大きな影響を受けているんだ。

-初めて『Orgy Of The Damned』を聴いたとき、アルバムのタイトルは"Last Man Standing"でも良いかと思ったのですが......。

冒頭で"深み"についてちょっと皮肉っぽく言ったのは、このアルバムがただ楽しんだだけのものだからなんだ。計画もなく、調査や分析もほとんどせず、ただジャムって上手くいきそうなアレンジを考えたりしただけで。だけど本当に気楽で、リラックスして楽しんだよ。

-あなたは今作の「The Pusher」や「Oh Well」、「Stormy Monday」といったカバーの定番曲に対し独自のアプローチをとり、見事にゆったりとさせたうえで、それぞれほかの11曲と上手くはまっています。それにはご自分でも驚きましたか? それとも最初からわかっていたことだったのでしょうか。

11曲っていうのは、年月を経て"少ないほうが豊か"だと学んだ結果なんだよ。だから今まで自分が影響を受けてきたすべてのブルースの曲を録って、アルバムに20曲収録するなんてことはしたくなかったんだ、1枚に収めるには多すぎるからね。みな途中で飽きてしまう。だから基本的には10曲に収めるようにしているんだけど、オリジナル曲を1曲ギリギリで追加することになったんだ。でも基本的には「Born Under A Bad Sign」、「Key To The Highway」、「Papa Was A Rolling Stone」のように、絶対にやりたい曲は決まっていて、それ以上は増やさないようにしたんだよ。

-『Orgy Of The Damned』では「Papa Was A Rolling Stone」など、ジャンルの境界に触れるような楽曲も収録されていますが、最終的には見事にひとつの作品としてまとまっています。

そういう曲は、90年代に(SLASH'S)BLUES BALLで「Superstition」のカバーをしていたんだけど、それから何年も経って、このリフがやりつくされていることに気がついたんだ。たくさんの人にとっての鉄板リフなんだよ。だからこの曲は選びたくなかった。「The Thrill Is Gone」を選ばなかったのも同じ理由。みんながやっていて新鮮味がないからね。だけどStevie Wonderの曲は入れたくて、俺が8歳ぐらいのときに『Innervisions』っていうアルバムが出てから「Living For The City」がずっと好きだったから"この曲に挑んでみよう"ということになったんだ。そうしたらTashがすごく上手く歌ってくれたし、こんなに毛色の違う曲にしてはなかなかいい出来になったよ。で、「Papa Was A Rolling Stone」はJohnny GriparicとSLASH'S SNAKEPITのツアーでジャムってて、ヴォーカルのRod Jacksonがいい歌を乗せてくれてね。だから今回はこの曲をやりたかったんだけど、男性ヴォーカルでソウルのサウンドを前面に押し出したTHE TEMPTATIONSバージョンをなぞるより、若い女の子が同じ歌詞を歌ったほうが面白いと思ってDemi(Lovato)に連絡したんだ。すごく上手くいったと思う。

-『Orgy Of The Damned』はセッションでレコーディングしたことで、楽曲が素晴らしいエネルギーやヴァイブを持つ大きな要因になりました。

うん、演奏はセッションだったよ。シンガーは何人かは来てくれて、Beth HartやGary Clark Jr.はスタジオでセッションして録ったけど、他は音源を持ってそれぞれのところまで行ってヴォーカルのレコーディングをしないといけなかったんだ。

-『Orgy Of The Damned』に迎えるゲストはどのような基準で選ばれたのでしょうか?

曲を選んで、"この曲には誰が合うだろうか?"と考えただけだよ。そして実際にそれで上手くいったんだ。タイミングの問題で唯一Steven Tyler(AEROSMITH/Vo)だけ今回のアルバムでは歌ってもらえなかったんだけど、後日ハーモニカで参加してくれたよ。あともうひとり、このアルバムに参加してもらいたかったのはLemmy(Kilmister/MOTÖRHEAD/Ba/Vo)だね。間違いなくこのアルバムにぴったりだったし、彼がもういないことが本当につらいよ。彼が亡くなっただけでも本当に悲しかったのに、それから数年経ってアルバムを作っていて、そのときどの曲のことを考えていたかは忘れてしまったけど、"クソ、Lemmyにぴったりなのに。きっと喜んで参加してくれただろうに"と考えていたんだ。本当に残念だよ。