MENU バンドTシャツ

激ロック | ラウドロック ポータルサイト

INTERVIEW

Bimi

2024.05.07UPDATE

Bimi

Interviewer:山口 哲生

今年3月にメジャー1st EP『心色相環』を発表したBimi。彼は廣野凌大として俳優活動もしているのだが、彼の音楽への愛の深さと活動に対しての本気度は、音源を一聴すれば間違いなくわかるだろう。ヒップホップ、ラウドロック、R&B、演歌など、様々なジャンルを貪欲に摂取、昇華したサウンドや、ハードに、シリアスに、時にユーモアを交えながら綴られた赤裸々なリリックなど、かなりアグレッシヴなものばかりで、身も心も激しく揺さぶるものになっている。今回は、EP『心色相環』や、最新楽曲「Safe Haven」についてはもちろん、葛藤を抱きながらも歩み続けてきたこれまでの足跡や、まっすぐに見据えている未来について、じっくりと語ってもらった。


和モノはBimiの代名詞にしたい


-メジャー1st EP『心色相環』のリリース・ライヴ("Bimi Release Party 2024 -心色相環-")が完売し、恵比寿LIQUIDROOMで追加公演を開催されましたが、こちらもソールド・アウトということで。過去の公演も含めて、ここまですべてのワンマン・ライヴがソールド・アウトという状況をどう受け止めていますか?

まぁ......難しいっすよね(笑)。もっと上に行きたいなってガツガツしている部分もあるので。ソールドしなかったら、そこで1回足踏みをしなきゃいけないフェーズにはなると思うんですけど、足踏みするぐらいだったらやめちゃおうかなぐらいの勢いで今はいますね。自分の人生の中で25、26、27歳までと考えたときに、イケイケのフェーズだと思っていて、そこで止まるようだったら、まぁ無理なのかなっていう考えでやっているので、ソールド・アウトはありがたいんですけど、焦ってくるところもあって。

焦りもありつつも、ソールド・アウトは、それだけ観たい人がたくさんいるということでもあると思うんですけど、そんな現状に対しての嬉しさや手応えも多少はありつつ。

ありますね。口コミで広がるとか。正直、自分でもリキッド(LIQUIDROOM)が埋まるとは思ってなかったんで。1ヶ月前ぐらいに急遽決まって、マジ? みたいな感じだったんですけど(笑)。

-本当に急遽だったんですね。事前に押さえていたわけじゃなくて。

そうです。ライヴ制作チームから"リキッド空いたんですけど、Bimi君入れていいですか?"みたいな。いや、できるのはありがたいけど、なんの準備もしてないけど大丈夫......? っていう(笑)。だからいろんな感情が入り混じってましたね。そのなかでありがたいことにソールド・アウトしたので、そこは本当にリスナーのみなさんに感謝してて、ありがとうございますっていう感じです。

-リリース・ライヴの初日となった渋谷WWW X公演はいかがでしたか?

インディーズで始めてからもう3年ぐらい経って、メジャー・デビューして半年ぐらいなんですけど、インディーズ時代は僕が俳優の活動をしているのもあって、そういうふうに見られちゃいがちになってしまうというか。自分としてはアーティストと俳優で棲み分けていたし、やっぱり音楽とライヴ・パフォーマンスをちゃんと評価されたかったから、どうしたらいいかなと思って、結構イライラしながら戦っていたんですよね。だから、3年間ムカつきながらライヴしていて。ムカついてないライヴがほぼなかったぐらい。

-ずっと怒っていたと。

でも、それも必要なことだなと思いつつやってましたね。そこを変えていくのは自分なので。一発で何かがコロっと変わることなんてないし。でも、今回のWWW Xに関しては、その戦いがちょっと休憩というか。リスナーの人たちもだいぶわかってくれるようになったので、ありがたいなっていうのを込めて、一番イライラしないライヴでしたね。

-おっしゃっていた"そういうふうに見られちゃいがち"とは、俳優活動の合間に音楽活動をしていると見られてしまうということでしょうか。

まぁ、どうしてもそうなりますからね。そっちから応援してくれる人も多いので、そこは僕が今後戦っていかなきゃいけないところかなと思っていて。もちろん俳優としてやっているときの人柄で応援してくれたり、演技を評価してくれたりするのはありがたいんですけど、だからといって俺が作る音楽への同情はいらないっていうか。俳優とアーティストのパフォーマンスは別なんで。でもまぁ、ファンの人も(音楽を)評価してくれているから来てくれていると思ってはいるんですけど、自分の中でそこがコンプレックスになってしまっている部分が3年間ずっとあったんです。今もちょっとあるにはあるんですけど、だいぶ薄れてきたなっていうライヴでした。

-ちなみに、Bimiとして活動を始める前からライヴは好きでした?

好きでした。中学ぐらいからバンドをやっていたんですけど、先輩のバンドを観に行ってモッシュしたり、誰かが怪我して外で休憩しながら水飲ませたり(笑)、そういう感じのライヴに行っていて。だから、ライヴハウスの汗と熱気が入り乱れる空間みたいなものはめっちゃ好きでしたね。街をすかしてすまして歩いている人たちもライヴハウスの中では熱狂していて、この人たちってこんな熱いものを持ってるんだな、みたいな。そういったものを曝け出せる空間じゃないですか。それがめちゃくちゃ好きだったし、それを助長するのがステージに立っている側の人間で、音楽ではあるんだけど、ライヴハウスって主人公がどっちなのかわからなくなる空間でもあるんですよね。優劣というか、"アーティストだから上"みたいなのはあんまり好きじゃなくて、この空間ではみんなストレスとかを全部捨てて、心の底から自由に楽しんでいるっていうのが好きなので。だから音楽をずっとやりたかったんですけど、いつの間にか俳優で受かっちゃったんです。

-いつの間にかって(笑)。

いや、本当にたまたまだったんですよ。で、俳優も舞台がメインだったので音楽にも携われるし、舞台にも立てるから同じ感じかなと思ったけど、舞台の方はお行儀がいいというか。

-(笑)お行儀?

(俳優の)舞台の方は、僕らが主役になるんですよ。これはどっちが良くてどっちが悪いって話じゃなくて、舞台っていうのは俳優がいて、その俳優を周りの人間が担ぎ上げて"素晴らしい! 拍手!"みたいな。でも、音楽って自分たちにも拍手しているところがあるじゃないですか。"最高だった!"って。もちろん舞台もそういう観方をしている人はいると思うんですけど、どうしても観劇マナーがガチガチにあったりするんです。だから、ライヴハウスに通っていた身からすると、"お、おとなしい......"みたいな(笑)。最初はそういう感覚があったし、まぁ、これはこれでいいんだけど、肩透かしをくらったところもあって。

-戸惑いみたいなものがあったと。

俳優界隈では"過激な発言をする"って言われてたりするんですよ。いやいやいや! こっち(音楽界隈)を見てくれと。もっとヤバいやつらがいっぱいいるぞ!? っていう。そこの塩梅はうまくやってはいるんですけど。でも、悶々としていたのが爆発して音楽やりたい! ってなって、それが3年前なんですけど、続けていくうちにEVIL LINE(EVIL LINE RECORDS)が声を掛けてくれて。メジャー・デビューして半年でリキッドでやらせてもらえるとか、EVIL LINEのたちもベットしてくれてるからありがたいなって思うのと同時に、やっと水を得た魚になったというか、空っぽの水槽に水が入ってきて、やっと動ける! みたいな。ここからその水槽をデカくする作業をどんどんしていきたいですね。

-先ほど"音楽とライヴ・パフォーマンスをちゃんと評価されたかった"とおっしゃっていましたが、認められたいと言うと、またちょっと違うのかもしれないんですけど......。

いや、それもあると思いますよ。音楽もそうだけど、芸術ってエゴの塊だと思っていて、自分が自分を認めてあげたいのもあるし、自分が誰かに認められたいのもあるし、誰かが誰かを認め合っている瞬間を見たいのもあるし、その空間を俺が作りたいのもあって。そうやって全方位に承認欲求があるものが芸術だと思っていて、それで動くものだと考えているから、欲望で動くものを自分が作り出せるのがたまんなくて、それをいつも考えながらライヴとかはしてますね。

-たしかに、Bimiさんの楽曲って何かしらのトリガーになるものが多いですよね。サウンド的にはベースにラップ/ヒップホップがありつつ、ラウドロックや様々なものが入り混じっていますけど、もともとどんな音楽が好きだったんですか?

パンクがめっちゃ好きで、SEX PISTOLS、GREEN DAY、SUM 41とかメジャーなものを聴きつつ、ドープなものも聴いてはいたんですけど、アーティスト名はわからずに聴いてるっていう感じで。でも、結局ピストルズ(SEX PISTOLS)が好きでしたね。演奏が下手と言われようが魂! みたいな。こいつらマジで音楽なかったらどうすんだ? っていう人たちを観てるのがすごい好きだったんで。

-音楽はもちろん、生き様も含めて好きだった。

昔からぶっ飛んでる人がずっと好きで。自分もサプライズ的なことをして人を驚かせるのが好きだったんですよ。地元が千葉の銚子でヤンチャなやつらが多かったし、港町なんで海外の人たちもいっぱいいたんですけど、小学生のときに、インドネシア人とフィリピン人がサッカーしてるところに入っていってみんなでやったり、ストリートバスケしたり、そういうところでぶっ飛んでるやつらを見てきたんですけど、その中でぶっ飛んだことをして面白がられるのが好きだったんで。だから、そういう輪の中でもずっと目立ちたがり屋で、それが今に繋がってるのかなって思いますね。

-いろいろな人たちのいろいろな価値観に触れながら育ってきたというか。

普通に暮らしていたら全然いい街なんですけどね。港町だから漁師が多いんですけど、口が悪く聞こえちゃうんですよ。普通に話しているだけでケンカ腰に聞こえるっていうか。今はもうだいぶ標準語なんですけど、みんなそういう感じなんですよね。修羅の国なんで。そこで潮風に揉まれて育った感じでしたね。

-もともとはパンクが好きだったけど、今やっているのは......。

まぁ、ミクスチャー系ですね。

-ですよね。ラップやヒップホップにハマったきっかけというと?

高校時代の友人にMammonってやつがいて、フィーチャリングで曲を作ったり、この前のWWW Xにも出てもらったんですけど、そいつからですね。当時友達はめちゃくちゃいたんですけど、ぼっちがカッコいいって思ってた時期があって、"お前らは友達だけど、俺の本当の感覚なんてわかるやついねぇだろ?"みたいな。ふたりともその感覚があったんで一緒に階段で飯食ってたんですよ。そのときにお互いが好きな音楽を聴かせ合って、"うわっ、ここエグっ!"みたいなことをやっているうちにヒップホップも聴くようになったっていう。それと小学生の頃に親の車でジャパレゲ(ジャパニーズ・レゲエ)が流れてたんですよ。あとはRIP SLYMEとか、ギドラ(キングギドラ)とか。そこもありますね。ラップするのは好きだったんですけど、小学6年ぐらいからギターを始めたのもあって、そこまで通ってなかったんですよ。で、高校生でまた再び巡り会ったって感じですかね。

-小さい頃から耳にしてはいたんですね。

あと、正月に銚子に帰ったときに友達がやってるバーに行ったら、友達の弟の連れとかその友達とかがいっぱい来てたんですけど、どう考えても世代じゃないのにカラオケで湘南乃風を歌ってたんですよ。"どこで聴くん?"って聞いたら"いや、銚子なんで"って(笑)。地元のやつらは波乗りサウンド系のラップとかをずっと聴いてるんでしょうね。ガキはとりあえず湘南乃風とRIP SLYMEは履修しとけ、みたいな。

-必修科目だと(笑)。ギターを始めたのは、それこそパンクがきっかけで?

いや、それはモテたくて。ずっと中二病だったというか、未だにそれを引きずっているんですけど、とにかく人と違ったことをしたかったんですよ。小学校のときってバカみたいにぶっ飛んだことをするやつらもいたんだけど、それって誰でもできることだなと思ったから、俺は技術をつけようと思って。ただぶっ飛ぶだけじゃなくてカッコいいこともできて初めてそのぶっ飛びが成立する、みたいな。それでギターを始めました。中学に行ったら、その地域の小学校のかわいい子とか集まるんだろうな......じゃあギターできれば絶対にモテるよなっていう簡単な考えで。

-モテたいっていう気持ちはデカい原動力になりますからね。

そうですよね。結局、原始的なもののほうが続くじゃないですか。誰かにやろうよって言われて、どっぷり浸かったとしても、そいつがいなくなっちゃったときに目的を失っちゃったりして、またそこから自分を探すフェーズに入るんです。それがなくて良かったなって思いますね。最初に楽器と出会えて良かった。モテたいから頑張るっていう自分の根源的なところから音楽に前のめりになれたんで。

-あと、先日MVを公開された「博徒街道」や「軽トラで轢く」(2022年リリースのアルバム『Chess』収録曲)など、演歌や和のフレーヴァーが入っている曲もありますけど、ああいったものは意識的に取り入れているのか、感覚的にやっているのか、どちらです?

めっちゃ意識してます。和モノはBimiの代名詞にしたくて。いつか武者修行みたいな感じで世界のクラブを回りたいと思っているんですけど、そのときに"あいつ日本人なんだ"ってわかりやすいなと思ってるんです。で、たぶん"ジャパニーズ・サムライ"みたいな形容詞になるし、Bimiって"おいしい(=美味)"という意味でもあるし、Bimiの和サウンドをどうぞみたいな感じで持っていきたかったんで、海外ウケを狙いながら作っている感じですかね。日本人はそこのソウルがあるから馴染みやすいと思うんですけど、海外だったら忍者とか刀とか漠然としたイメージを持つから、"クール・ジャパンの音はこれです"みたいな感じでやれたらなって。

-なるほど。曲の例に挙げさせていた「軽トラで轢く」は、演歌で歌われる情念みたいなものを"軽トラで轢く"というワードで表現したセンスが面白いなと思いました。

乗用車よりも軽トラのほうがダメージ少ないから死ぬまで何回か轢けるし、そのまま運べて捨てれるっていう。女の子って意外と計算高いじゃないですか。そういう女の恨みみたいなもので考えると軽トラかなって。あと、演歌は演歌歌手の方々がやっているから、それをBimiがやる意味で考えたときに、途中でトラップ・ビートになって、また戻ってみたいな。こういうのもフィーチャリングとかだったらありそうだけど、俺はどっちもできるんで、どっちもやるのが自分のスタイルなのかなって考えながら作ってましたね。当時は手探りだったんで、今はもっとちゃんと音にお金をかけて録り直したいとかも思ってるんですけど。