MENU

激ロック | ラウドロック ポータルサイト

INTERVIEW

兀突骨

2023.12.19UPDATE

2023年12月号掲載

兀突骨

Member:高畑 治央(Ba/Vo)

Interviewer:菅谷 透

武士や日本の文化をテーマにした日本語詞を掛け合わせた、日本人ならではのエクストリーム・メタルを奏でる兀突骨が激ロックに初登場! 国内のライヴハウスではジャンルを問わず対バンを繰り広げ、海外でもツアーを積極的に行いその名を轟かせる彼らの、約5年ぶり6作目となるアルバム『黄泉ガヘリ』は、20年以上のキャリアを持つ"川越の残虐王"の激闘の証と、飽くなき挑戦心を具現化した作品となった。超絶スラップ・ベースとグロウルを放つリーダーの高畑治央に、アルバムについて話を訊いた。

-激ロック初登場となりますので、まずはバンド結成の経緯からお聞かせいただければと思います。結成は2000年になりますよね。

そうですね。そのときはいろんなバンドでベースを弾かせてもらってたんですけど、どれもちょっとうまくいかないというか、八方塞がり状態というか。じゃあ自分でやんなきゃダメかなと思って、メンバーを集めて作ったのが兀突骨なんです。メンバーは高校の同級生でヴォーカルをやってるやつがいたので、その人に歌ってもらって。あとは、当時はよくメンバー募集の雑誌とかありましたけど、ああいうので探しました。1stアルバム(2009年リリースの『魍魎』)を出す前まではヴォーカリストがいたんですけど、彼がやめて、自分がヴォーカルをやるようになったんですよね。それで今の、3人組という編成になったんです。

-兀突骨はエクストリーム・メタル、例えばスラッシュ・メタルやデス・メタルのような音楽性に、武士や日本の文化を日本語詞で融合させたユニークなスタイルになっていますが、こうしたサウンドになった経緯はどういったところから?

90年代の頭ごろ、SEPULTURAとかいたじゃないですか。ブラジルの民族音楽みたいな、ああいうサウンドが日本のライヴハウス・シーンですごく流行ったんですよね。そういうのを聴いていいなと思って、和風な感じのものもできないか考えて、いろいろ試行錯誤して、メタルに和風というスタイルになったんです。まぁ、まだ完成はしてないですけどね。まだ試行錯誤してる状況です。

-スラップ・ベースも、そういった音楽から取り入れたところがあるんでしょうか。

そうですね。まさに80年代後半~90年代前半のクロスオーバー・ブームのときに中学生、高校生を過ごしたので、そういう音楽からの影響はすごく大きかったです。周りのベーシストもみんなレッチリ(RED HOT CHILI PEPPERS)のFleaとか、KORNのFieldy(Reginald "Fieldy" Arvizu)とかのスタイルでスラップをやる人がほとんどでしたから、自分もやるようになりましたね。でも、結果良かったです。いろいろとベースの奏法に興味が出て、いろんな音楽のベースを聴いて学んだんで、メタル・ベースだけじゃなくて、いろんなベース・スタイルを学べたっていうことに関しては、いい時代に生まれて育ったんだなって今は思います。

-メタル以外のベーシストと言いますと、どういった方から影響を受けましたか?

SLY & THE FAMILY STONEのLarry Grahamとか、もちろんWEATHER REPORTのJaco Pastoriusはよく聴きましたし、あとはStanley Clarkeとか、そのへんのジャズ/フュージョン系の人が多かったですね。あと日本だったらT-SQUAREの須藤 満さんとか、櫻井哲夫さんとか。当時はほんと面白くて、ジャパニーズ・フュージョン・ブームみたいなものもあったので。ベーシストにとってはありとあらゆるものからいい刺激を受けてましたね。

-反対にメタル系では、どういったバンドから影響を受けられてますか?

実はすごい若いころからなんです。11歳年上の兄がいまして、私が幼稚園くらいのころには、もう兄は中学生とか高校生で。その当時、日本は本当にメタル・ブームだったんですよ。なので私が幼稚園の年少くらいには、もうIRON MAIDENとかKISSとか、JUDAS PRIESTを一緒に聴いてたんです。メタル歴はそのころからですね。

-幼稚園のころから、普段流れている曲がメタルだったということですか。

そうですね。兄と一緒にCASBAHの『RUSSIAN ROULETTE』のジャケットを見て怯えてた世代です(笑)。

-(笑)そうした時期を経て、ご自身でもメタル系のバンドを探し出すようになったと思うんですが、どんなバンドを聴いてましたか?

PANTERAやSEPULTURAは日本でエクストリーム系の音楽が好きな人は聴いてたので、影響を受けましたね。あとは、エクストリームなものがどんどん日本に溢れてたんで、それをいろいろ聴きました。NAPALM DEATHなんて聴いたときはすごい衝撃を受けましたし。で、どんどん自分の趣味嗜好がヘヴィなものに行ったんですよね。ブラック・メタル――EMPERORとかMAYHEMを聴いて、これはちょっと行きすぎだなと思って(笑)。やっぱり自分はデス・メタル、スラッシュ・メタルとか、このへんなんだろうなって、漁って聴いてました。

-兀突骨はライヴを非常に多く行われているイメージがありまして。国内のメタル・バンドはもちろん、海外のアーティストだったり、ヴィジュアル系、あるいはガールズ・バンドだったりと、ジャンルを問わず対バンをされている印象を受けるんですが、どういった想いからライヴを組まれているのでしょうか?

ライヴが大好きなんですよね。いろんなところでライヴをやりたいっていうタイプで、もう現場大好き人間なんです。いろいろ声を掛けてもらえるんですけど、やっぱりすごいありがたいことですね。メタルだけじゃなくて、ヴィジュアル系とかガールズ系、アイドルとかとも一緒にやりますし、そういうふうに声を掛けてもらえるってことは、面白いと思ってもらえてるんだろうなと。そういうところであまり声が掛からないバンドの話も聞くので、うちは幸せもんだなって、ありがたくライヴを受けてます。そういうところでライヴをやると面白いんですよね。自分のバンドのお客さんじゃないんで。そこでどれだけやって、この人たちを沸かせられるかなっていう実力を試す場でもあるなと思ってますし。そこでいいライヴをすれば、初見さんたちなんで、みんなCDを買ってくれるんですよね。結構美味しいんですよ(笑)。最近はそういうライヴをいっぱいやってますけど、好意的に受け取ってもらえてるので、今後ともやっていきたいなって考えてます。

-いいライヴをすると、アクト後に声を掛けてもらったりということもあるのでしょうか。

いいライヴできたなと実感するのって、物販の売り上げだったりするんですよね。"あ、今日はいっぱい出たな"、"あぁ、ウケたな"っていうふうに考えてますね。

-ライヴ中の反応では、手応えを感じる部分はありますか?

ありますね。でも、ガールズ・バンド界隈だと"あんまりウケてないな"なんて思うときもあるんですよ。推しのバンド以外は応援しないみたいな、そういうのがあるのかわかんないですけど。でも、なんだかんだ CDを買って帰ってくれたりするんですよね。

-ライヴ中はそこまでリアクションはなかったけれども。

そうですね。まぁ、それでもなんとか笑いは取りに行きますけど(笑)。

-(笑)たしかに、MCでも非常に笑いに貪欲な姿勢と言いますか。

ガールズ系のバンドのお客さんを相手にするときは、昭和ネタで攻めたりとかしてるんですよね(笑)。

-(笑)兀突骨は国内だけじゃなくて、海外でも積極的にライヴをされていますが、これまで何ヶ国くらいに行かれたのでしょうか。

イギリス、オーストラリアは行ってまして、あとアジアは東南アジアだったらだいたい行ってますね。西のほうだったらインドまで行ってます。

-東南アジアはデス・メタルなどのシーンが熱いっていう話はよく聞きますよね。

そうですね。すごくシーンが若いんで、ここ5~10年とかでもまたさらに大きくなるんじゃないかなって思ってます。すごく面白いですよ。

-海外のファンの方からは、どういったリアクションが返ってくることが多いですか?

面白いのが、兀突骨ってバンド名は三国志に出てくる武将のキャラが由来で、中国だと"三国志のことをテーマにしてくれてありがとう"ってお礼を言われるんです(笑)。インドでは、兀突骨に「摩利支天(Marisiten)」(2013年リリースの2ndアルバム『影ノ伝説(LEGEND OF SHADOW)』収録)という忍者の曲があるんですけど、それ(摩利支天)がルーツを辿ると、インドの宗教の神様に値するらしいんですよ。そういうのに詳しいインドの人なんかは、"うちの文化をテーマにしてくれてありがとう"とか言ってくれるんです。こうしたことで日本の文化のルーツがアジアにあるんだなっていうのがわかるし、音楽以外でも文化的な交流が起きてるんだなって思うと、すごく不思議だし、嬉しいし、楽しいですね。それから欧米に行くと、"欧米文化以外から発生した未知のメタルを見た"とか言われるんですよ(笑)。アジア発祥のメタルとして、わかりやすいんでしょうね。それがすごく新鮮だと、一緒にツアーしたバンドのKATAKLYSMとかから言われました。

-たしかに海外、特に欧米だと、"兀突骨"という響きからして違った文化だと感じるところもあるかもしれないですね。

そうみたいですね。向こうの北欧神話だとか、そういうものとはまた違うものを持ってきたってことが、音だけ聴いてもわかるみたいです。

-曲名は日本語ですが、サブスクなどを見ると英語のタイトルがついていて、海外の方が聴く際に理解を助けていると思いますが、そうした部分も狙っているんでしょうか。

狙ってます。やっぱり漢字表記の曲にすると、海外の人は全然何が書いてあるかわからないので、"あの曲が良かった"って言われても、全然コミュニケーションが取れないんですよね。英語のタイトルをつけたことによって、みんなで兀突骨の曲のことをいろいろ話してもらえたらありがたいなって感じで、共通認識としての洋題を考えてます。

-活動についていろいろ話をうかがえたところで、ここからはニュー・アルバム『黄泉ガヘリ』についてお聞きします。リリースを控えた今の心境をうかがえますか?

前作(2018年リリースの5thフル・アルバム『背水之陣 -The Final Stand』)から約5年と、ちょっと時間かかりすぎちゃったなっていうのと、この5年間大変だったなというのがありまして。それで、ようやっとリリースできることになって、すごくホッとしてる感じですかね。もうリリースできないかな、なんてちょっと弱気になったところもありましたけど、そこで頑張ってリリースできたことで、まだまだこのシーンに居続けることができるなと。

-前作から約5年と、兀突骨としてはこれまでコンスタントに作品を発表されていたなかでスパンが空きましたが、この期間の中でいろいろと考えるところもあったのでしょうか。

まぁ、コロナですよね。コロナになって海外ツアーも行けないとなると、やっぱりCD作る意欲が湧かないんですよね。リリースしたら海外ツアー回って、もちろん国内も回ってっていう活動ができないんだったら、今はCDを出すタイミングじゃないよねって。それで、どんどんやる気が削られていくというか、リリースする意欲を削がれてしまったっていう感じですかね。あとはコロナの前なんですけど、2019年に父が亡くなったんです。

-そうだったんですね。

2019年の年末に。そのまま2020年はコロナに入りまして、それから母が入退院を繰り返すようになったりといろいろあって。音楽に全神経を集中させることが難しくなっちゃったんですよ。プライベートなことですけど。その中でリリースできんのかなっていう心配がありましたけど、でも考えてみたらメンバーとかお客さん、レコード会社もそうですが、手助けしてもらって、それでなんとかこのアルバムをリリースに向かって進められて。すごくありがたいことですね。自分ひとりじゃなくて、メンバーとみんなで作ってもらったアルバムという認識で、自分にとってはすごく今回のアルバムは特別な思いがあります。

-なるほど。アルバムの制作はいつごろからスタートされたのでしょうか?

2018年に前作をリリースしたあとには、すぐ作るぞっていう気になってたんですよ。実際、1~2曲はあったんですよね。2019~2020年までには出すぞっていうつもりでいたもんですから。先ほど説明した通りのことになり、いろいろと難しくなって......って形ですね。その期間の中でも、なんとかいろいろ書き溜めてた曲っていうのはあったんですけど。制作自体は......5年くらいですか、そう考えると。

-5年間で、いろいろな状況の変化も反映しつつ作られていったような感じですか。

そうですね。たくさん曲をボツにもしましたし、作ったりもしましたし。コロナで良かったのは、家にいる時間が長かったからちょこちょこそういう作業ができたっていうところもありましたね。

-メンバーのおふたり(円城寺慶一/Gt、秋田浩樹/Dr)とはどのような形でやりとりをされていたんでしょうか?

ライヴは結構やってたんですよ。単発のをちょこちょこと。何も言わずに彼らも一緒にやってくれてたというか、あまりつつかれることもなく、自分の曲作りのペースでやらせてくれましたね。急遽この曲にギター入れてくれとか、ドラム入れてくれとか、急なお願いをして無茶させたんですけれども、文句も言わずによくやってくれました。

-現在の体制になってもうすぐ10年になりますが、そうした信頼関係というところも大きかったのでしょうか。

そうですね。このメンバーだからこそ、ここまで続けてこれたのかなって。

-本作のテーマやコンセプトがあれば教えていただけますか?

5年前に制作に入ったとき、今回のアルバムはあまり複雑な展開もなしに、ストレートに行こうって決めて作ったんですよね。でもそれだけだとやっぱりつまらないので、新しいことにもチャレンジしたいと思って。結構異色な曲をいろいろと――クリーン・ヴォイスで歌う曲とか、テンポを下げたロックンロール全開の曲とか、そういう新しい試みもしましたね。そういった面では、今回のアルバムは新たな兀突骨というものを考えて作ってみました。それでアルバムのテーマなんですけど、コロナ禍で多くの人が亡くなったり、プライベートでも友達が亡くなったりしたもんで。そういうとき、会おうと思えばいつでも会えたのに会えなかったっていう残念な気持ちや悔やみ、もう1回彼と話したかったなっていうのを詩的にして「黄泉ガヘリ -Back From The Underworld-」っていう曲を作ったんですよ。

-アルバムの最後の曲ですね。

そうです。あの曲はコロナだったからこそできたという感じですかね。アルバム・タイトルも"黄泉ガヘリ"っていう、この時期、ご時世ならではのものをタイトルにしてみたんですけど。

-ええ。

リアルな話になると、そういう友人知人の死があって、昨今の人と人との繋がりに疑問を呈するじゃないですけど、そういうことですね。SNSで繋がってると思うとなかなか直接電話したり会ったりしないから、ちょっと人間関係が希薄になってんじゃないかなって。

-たしかにコロナで、対面でのやりとりは少なくなってきましたよね。

SNSで繋がってる安心感があると、どうしても"会いに行こうよ"とか"遊びに行こうよ"とかいうことができなくなるっていうか、疎遠になっちゃうんですよね、本当に身近な人以外だと。そういうことをテーマにして歌ってみたんですけど。これは激ロックのインタビューを読んでくれた人しかわからない、レアな話ですね(笑)。

-(笑)ありがとうございます。

アルバムを聴いただけではわからないですけど、本質としてはそれがあるんですよね。

-今のお話に繋がるのかもしれないですが、アルバムを聴いていると、かなりライヴを意識されてるのかなと感じた部分もありまして。作曲面ではいかがでしょうか?

うちの曲は必ず作るときにライヴでやることを考えてるんですよね。3人組ですし、ギター・ソロが入るとライヴでは音が細くなっちゃうじゃないですか。そこをどうするかってことを常に考えながら作ってます。今回それが如実に出てるのは、曲をストレートにしたからだと思うんですよ。あとライヴで演奏しながら歌うとなると、それもできるできないが出てきちゃうんですね。レコーディングは(ベースとヴォーカルを)分けて録るんで。ちゃんとライヴでできるようなプレイをしなくちゃっていうことは常に心掛けて曲作りしてます。

-アルバムの前半から中盤はバラエティ豊かな内容で、後半は兀突骨らしいスラッシーな楽曲が並ぶ構成になっています。こうしたアルバム全体の構成も意識したのでしょうか?

自分としては、レコードのA面B面で考えて、ちょっと雰囲気を変えてやると印象に残りやすいかなと。CDはA面B面ないですけれども、ここまでがA面、ここからがB面みたいな流れの中でのクライマックスとして、A面のラストはこれ、B面の頭はまた挨拶代わりにこの曲、みたいには考えてます。

-本作で言うと、「悪ノ霊魂 -Malevolent Souls-」がA面の最後にあたるのでしょうか?

そうですね、5曲目の。でも、あれが最後の曲っていう感じもないですよね(笑)。それで6曲目「彷徨ウ首 -Severed Head On The Prowl-」ですけど、またひとつの物語の開幕という雰囲気で、あれをB面1曲目と考えた感じですね。