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INTERVIEW

BLVCKBERRY

2022.08.17UPDATE

2022年08月号掲載

BLVCKBERRY

メンバー:庭瀬 風葵 篠崎 優瑠 岸 巧人 新 凛乃佑 椿 遥斗 竜城 詩季
プロデューサー:猟平(ex-CLØWD/SPVRK)
インタビュアー:オザキケイト

シーンに突如として現れ、メンズ・アイドルのイメージを覆すかの如く独自のスタンスを貫くBLVCKBERRY。今回はメンバーに加え、プロデューサーである猟平(ex-CLØWD/SPVRK)も同席。この1年間を振り返りながら、なぜBLVCKBERRYが生まれ、異端と呼ばれようになったのか、さらに8月23日にリリースされる『ジュブナイル / TOKYO DOPE』においては、猟平が敬愛する明希(シド)との共作に至った経緯から、作品に込められた想いまで、プロデューサーの視点とメンバーの視点の双方から深く語ってもらった。メンズ・アイドル・シーンの台風の目、激ロックに初登場だ。

-激ロック初登場ということで結成の経緯からお聞きしたいのですが、みなさんはBLVCKBERRY結成以前のグループでも一緒に活動されていたんですよね。なぜ、再び一緒にグループを始めるに至ったのか教えてください。

詩季:僕は前のグループが解散する前に脱退してしまった身ではあるのですが、脱退してしばらくしてからそのグループの解散が決まったタイミングで風葵が"一緒になんかやろうよ"と声を掛けてくれたのがきっかけでした。

風葵:ずっと一緒に活動してきたし、そのメンバーがひとりでも欠けるのは嫌だったんです。だからこそ、叶うのならまた一緒にやりたいと思ってみんなに声を掛けました。

-なぜ、このメンバーが良かったのでしょう?

風葵:僕たちは生まれた場所も年も違うし、前のグループで知り合った間柄なのに地元の連れってくらい仲が良くて。それでいてアイドル活動に対する熱量もすごいし、この仲間だったら同じ熱量で上を目指していけると思ったんです。だから、このメンバー以外あり得なかったです。

凛乃佑:僕に関してはこれまでいくつかグループを経験してきたなかで、このメンバーからはこれまでにないくらいの熱量や、活動へのストイックさを感じていたので、風葵からもう1回一緒にやらないかと話を貰ったときに、このメンバーでならいいんじゃないかと僕も思いました。

-他のメンバーも同じ気持ちだったのでしょうか?

遥斗:僕は前のグループの解散に最後まで反対していた側の人間なんですけど、なぜかと言うとこのメンバーと離れ離れになるのが嫌だったからなので、もとを辿ればこのメンバーでずっとやっていたいという気持ちだったんだと思います。

優瑠:遥斗はまたみんなでBLVCKBERRYをやるって聞いたときにめちゃくちゃ笑顔になってたもんね(笑)。

巧人:解散が決まった時点では、このメンバーでやりたくてもできないと思っていたので知り合いのツテを探したりもしたんですけど、この話を貰ったときは自分が一番望んでいた形だったから素直に嬉しかったですね。

優瑠:僕は前のグループが解散したタイミングでもうアイドルを辞めようと思っていたところにこの話を貰って。過去いろんなグループを経験した中でも個人的にも苦楽を共にした仲だと思うし、このメンバーとまた一緒にステージに立って夢を追えるんだったら、もう1回、本当に最後のつもりで本気でやってみようかなとBLVCKBERRYをやることに決めました。

-全員が望んでいたということは、やはりこのメンバーで諦めきれない夢があったということなんでしょうね。

凛乃佑:まだ夢の途中みたいなところで解散してしまったので。

-プロデューサーである猟平さんはメンバーと出会った当時のことは覚えていますか?

猟平:今でこそ笑い話として話せるようになりましたけど、当時の彼らは飼い主に捨てられて人を怖がる子犬のような怯えた目をしていたのを覚えています。この子たち大丈夫かなぁって(笑)。

凛乃佑:これまで生きてきたなかで大人に裏切られることや、絶望することが多くて人間不信みたいになっているところもあって、初めて会った人に対してまず疑うところから入ってしまっていたのは事実ですね(笑)。

-元バンドマンで、CLØWD解散以降は作家として音楽クリエイター・チーム SPVRKを立ち上げ活動していた猟平さんが、なぜメンズ・アイドルのプロデュースを始めたのでしょう?

猟平:メンズ・アイドルというフィールド自体に興味があったんです。それこそ僕がバンドを始めたころのヴィジュアル系シーンのような、めちゃくちゃいい意味で"何もかも酷い"というか、耕されていない荒地という印象を抱いていて。なので、ヴィジュアル系シーンが整備されてその後発展したように、ちゃんとやれば芽が出る可能性があるなと感じたのがまず最初の入口でした。

-こうしてお互いが目指すべきものに共鳴したことでBLVCKBERRYが誕生したわけですが、名付けたのはどなたですか?

猟平:僕です。名前を決める際にしっきー(詩季)からSPVRKと同じように"Aの代わりにVを使った名前がいい"とリクエストを貰って。そこからメンバーそれぞれに赤、青、黄色、紫色、白、水色とメンバー・カラーがあって、そこにお客さんも含めると七色という発想を得て、普通であれば虹のイメージになるかと思うんですけど、彼らはそこまでポップじゃないな、と(笑)。

-なるほど。

猟平:じゃあ虹色でもない最大のカラフルってなんだろう、って考えて辿り着いたのが黒だったんです。すべての色を混ぜたら黒になるなって。それでまず先にブラックが決まったことで"ブラックベリー"というワードが浮かんだんです。

-"ブラックベリー"と言うと果実のほうを思い浮かべる人が多いかもしれませんが、2000年代にBlackBerryという携帯電話端末があったかと思うのですが。

猟平:まさにその通りで、もちろん語感の良さもあったのは事実ではあるものの、僕が学生のころ、まだiPhoneが世の中に普及する前に一世を風靡し、"スマートフォンの元祖"と呼ばれていたのがBlackBerryなんですよね。なので、同じ名前を背負う者として、同じようにこのシーンの先駆けになれたらという願いも込められています。

-また、BLVCKBERRYはメンズ・アイドルのセオリーから外れるような活動スタンス、例えば衣装の作りもメンバー・カラーをあしらったものではなく、奇抜で個性的なスタイリングを採用していたりと、あえて王道メンズ・アイドルから外れるのを狙っているように見えるのですが。

猟平:先ほど話したシーンへの興味があるというところで言うと、すでにメンズ・アイドルのフォーマットが凝り固まりすぎているところがあって、シーン全体が"メンズ・アイドルってこうだよね"というところに一点集中しすぎているように見えたんです。だからこそ、いくらでも振り幅があるなと感じたし、だからこそBLVCKBERRYは他がやっていないことから攻めていこうというのは念頭にありました。他所様がやっていることに寄せていくことはあとからいくらでもできるし、やっていないことからはめていけば自分たちにとってそれがオリジナリティになって、独特なものになるはずだから、衣装にしても曲にしてもプロモーションにしてもその軸からブレないように進めていきました。

-とはいえメンバーのみなさんは不安があったんじゃないですか?

巧人:当初は不安や戸惑いのほうが大きくて、ずっと"大丈夫? イケてる、コレ?"って思っていたので、全面的に"嫌です!"と主張していました(笑)。

優瑠:僕も本当に最近まで不安と戦っていました。ただ、とある尊敬している先輩に"もっと自分を信じて堂々とステージに立とうよ"とアドバイスを貰って、周りばかり気にしている自分に気づいたことで自分自身を見つめ直し、最近では自信を持ってステージに立てるようになってきたと思っています。なので、メンズ・アイドルらしからぬ活動をするBLVCKBERRYに対しても、最近は不安よりパイオニアとして自ら道を切り拓きながら独自の道を突き進んでいけば、きっと何者にも引っ張られず、自分たちで大きくなっていけるなというマインドに変わって、前向きに活動できるようになったと思います。

-やはり、誰もやっていないことをやるという精神性はヴィジュアル系の精神から来ているのでしょうか?

猟平:そうですね。いつだったかMUCCの逹瑯(Vo)さんが"自分がかっこいいと思っていたジャンルの祖先は、絶対に人と被らないものをやりたくて奇抜なメイクをして、派手な衣装を着て、激しい音楽をやっていたはずなのに、今はそうじゃないからシーンがつまらないし、かっこ良くない"と仰っていたことがあったと思うんですけど、それってまだ生まれたばかりのメンズ・アイドルのシーンにもすでに同じことが言えるような現状に陥ってしまっているな、と。シーン自体は面白いはずなのに、もうつまらない雰囲気がある。それを変えていきたいという意味でそういった精神は持っていると思います。

-実際にメンバーのみなさんはどのあたりで不安を払拭できたのでしょう?

遥斗:BLVCKBERRYの活動自体に不安は早い段階からなくなってはいたんですが、すべての不安を払拭できて"俺らかっけぇ!"ってなったのは(Spotify)O-EASTワンマン("BLVCKBERRY 2nd ONEMAN LIVE「僕らの未来図」at Spotify O-EAST")くらいだと思います。

凛乃佑:楽曲と衣装と世界観がしっかり噛み合った感覚があったのを覚えていますね。

風葵:もちろん始動時から目指しているものはひとつなんですけど、そこへの向き合い方や歩幅ってメンバーそれぞれ違って。でも、全国ツアーを回りながら「TOKYO DOPE」を携えてO-EASTという大きな舞台が近づいていくごとにメンバーの歩幅が揃っていって、ようやく地に足が着いて、"俺らここからまた変われるわ!"って思ったのを覚えています。

詩季:僕はもともと"かっこいいことしかやりたくない"っていう約束でやっていて、もちろん不安を抱えるメンバーに対してもこっちのほうがいいと導いてきた自負もありました。でも、僕自身が当初思い描いていた理想像は「TOKYO DOPE」のような世界観であり、それを打ち出したO-EASTのライヴだったので、風葵が言ったように地に足が着いてメンバー全員が自信を持てたことで、ようやく本当の意味でのスタート地点に立つことができたんだと思っています。

猟平:そこに関しては本当にしっきーのサポートがあったからというのは間違いなくて、そもそもメンバーにスタイリングの基盤がない状態からスタートさせているので、耐性がない以上抵抗もあったなかで、それでも前衛的なものを受け入れてプッシュしてくれたのはとても助かりました。そのおかげもあって早い段階でメンバーもスタイリングを受け入れてくれるようになって、今のポジションを見つけられたと思っています。

-始動からの期間も必要な期間だったということですね。

猟平:逆に始動から現在のように衣装のコンセプトとしてひとつの軸を設けて、細かいディテールで差を出すとなったら、それこそゴレンジャーになっていたと思うので。

詩季:始動のころの僕たちって"衣装バラバラでミスってるやつら"だと思われていたと思うんですけど、今じゃもう"それってBLVCKBERRYっぽいよね"ってなると思うので、そうなったら勝ちかなと思いますね。