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INTERVIEW

The John's Guerrilla

2016.05.17UPDATE

2016年05月号掲載

The John's Guerrilla

Member:Leo(Vo)

Interviewer:山口 智男

-前作『All Power To The People』(2012年リリースの2ndミニ・アルバム)のリリースから2ndアルバムとなる今作『DIGITAL HEROIN』をリリースするまでの間に、いろいろ転機となる出来事があったようですね?

リリースは4年ぶりだと思うんですけど、前作はリハーサル・スタジオをやり始めた直後に作った作品だったんですよ。音楽を作っていると、作品ごとにいろいろな影響が反映されるじゃないですか。それは音楽的なこと以外にそのときの生活も含めて。で、『All Power To The People』を作ったあと、そのスタジオを作ったにもかかわらずそこをクビになったんです(笑)。気持ちはSteve Jobsと一緒ですよ(笑)。そこから転げ落ちていって、"なんとかなるだろう"と思いながらいろいろな人と出会ったわけなんですけど、そのころに、『All Power To The People』収録の「E.N.E.M.Y」のMVができあがって......僕の中ではそこでやっと『All Power To The People』は完成したんです。そこから生活やいろいろな環境を立て直していって。そのころ25〜26歳だったんですけど、音楽の流行っていろいろ移り行くものじゃないですか。僕は2010年ぐらいからずっとヒップホップが好きで、気づいたら周りにバンドマンよりもラッパーが多くなっていたんですよ。ラップ・シーンにもネット・ラップを始めいろいろな動きがあったじゃないですか。"LOW HIGH WHO? PRODUCTION"っていうレーベルがあって、今回「Kids War」(Track.7)って曲にフィーチャリングしているjinmenusagiってラッパーも元LOW HIGH WHO? PRODUCTIONで、そこにDAOKOって今結構イケイケでメジャー・デビューした19歳のラッパーもいて、『All Power To The People』をリリースしたころからそういう連中と遊ぶようになったんですけど。その一方では、それこそSiMとかONE OK ROCKがガッと来て。そんな中で僕としては、『All Power To The People』で結構出しきったと思ってたんですけど、ALL CITY STEPPERSに誘われて、外国人がプロデュースした曲を日本語で歌うとか、そういった違うことに挑戦する機会を得て――バンドって言うより、全部、僕個人の話ですけど(笑)。そのALL CITY STEPPERSで、SHIBUYA-AXでワンマンやったり、日本武道館でやったり、修業期間だと思いながら、いろいろな夢を叶えていったんですよ。でもその間、(The John's Guerrillaの)メンバーは不安になりますよね、きっと(笑)。

-その間、The John's Guerrillaは活動していたんですか?

活動はしていたんですけど、レーベルを離れてしまったので。あの当時、メンバーをなんて説得したのか、申し訳ないことに覚えていないんです(苦笑)。そこから曲作りの期間が延々と。他のメンバーは年齢がひとつ上なんで、三十路前になっていろいろ考えるところはあったと思います。仕事しながらバンドを続ける方法も模索しつつ。そうしているうちに、結局ドラマーが脱退してしまったんです。

-LeoさんとしてはThe John's Guerrillaを辞めるつもりはなかったんですか?

伝わっていたかどうかはわからないんですけど、僕はどこに行ってもThe John's GuerrillaのLeoとして活動しているつもりでした。だから、The John's GuerrillaのLeoとしてALL CITY STEPPERSにも参加したり、いろいろなことをやったりしてたんですけど。

-今回、自主レーベル"GUERRILLA WORKS"を立ち上げて、アルバムをリリースするという動きが始まったのはいつごろだったんですか?

毎年レコーディングはしていて、出したいと言ってくれるレーベルの人もいたんですよ。でも、タイミングが合わないときは合わないじゃないですか。うまく話がまとまらないまま、なんだかんだ20〜30曲ぐらい録ったのかな。最初は、去年のうちに配信でリリースしようとしたんです。"でも、配信じゃもったいない。コストはかかるけど、せっかくだからCDとしてリリースしよう"とマネージャーが言ってくれて。そこから1年かけて、いろいろ戦略を立て環境を整えて、やっとリリースにこぎつけたんですけど、そこでベースが脱退してしまって。まぁ、それは個人的な事情があってどうしようもなかったんです。

-焦りはなかったですか?

外タレに憧れすぎたのかな。THE STONE ROSESなんて何年もアルバム出さなかったじゃないですか(笑)。僕らは"ミクスチャー・バンド"として打ち出してきましたけど、日本でミクスチャーっていうと、ラップとロックだけってなるけど、僕の中ではいろいろなもののミクスチャーになる。それを消化するには結構な時間がかかるんですよ。だから焦りはあまりなかったです。それに、前作で日本語も使い始めたんですけど、日本語を使ってフルで歌うようになるには4年ぐらいかかるんですよ。ずっと英語で歌ってた人間が日本語で自然に歌うには時間が必要だなって思ったから、逆に僕は時間をかけて良かったと思うんですけどね。ただ、今僕らが、ロックとラップをミックスした音楽を出さないと、絶対すぐにこういうバンドは出てくるんで。もうすぐそこにいると思うんですよ、知らないバンドが。だから早く出さないとって思ったのが1年前。その1年前に録った曲を、友達が店でかけてくれて、それを聴いたとき、"お、かっこいい"と思ったのがきっかけでした。

-そのときに聴いた曲は、今回のアルバムに入っているんですか?

入ってます入ってます。「Fight Back」(Track.2)とDJ IKUっていう僕の大好きなDJがスクラッチを入れてくれた「Let Me Out」(Track.4)の2曲です。