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INTERVIEW

SURVIVE

2015.09.25UPDATE

2015年09月号掲載

SURVIVE

メンバー:NEMO(Vo/Gt) SHINTAROU(Dr)

インタビュアー:荒金 良介

-対面取材は10数年ぶりですね。

NEMO:そうですね。バンド的にも紆余曲折あり、2008年に『NOTHING LEFT ON MY PATH』を出してから7年経っちゃいました。その間に出たものはリレコーディングの企画盤(『DECADE OF EVOLUTION』/2009年リリース)でしたからね。歳も取りました(笑)。

-自分たち的にはあっという間ですか?

NEMO:2008年に結成10周年も迎えて、ひと区切りついたこともあり、燃えつき症候群になってました。それから1~2年はプラプラしていました。で、ドラムのHIROKIとギターのRYO-SUKEが同時に辞めちゃって。俺とSINJILOW(Ba)だけになり、それからSHINTAROU(Dr)に声をかけて、ギタリスト(GAKU)も入れて、曲作りをスタートしました。2010年は準備して、2011年あたりから海外ツアーに行くようになりました。

-燃えつき症候群になった理由は?

NEMO:前のバンド(DEATH FILE)を解散して、SURVIVEを10年やり続けて、渋谷O-WESTでワンマンをやったときに、10年やってもこんなものかと感じたんです。そこでふとモチベーションが下がって、1~2年が過ぎてしまいました(笑)。次のモチベーションが見つからなくて。今いる自分たちのメタル・シーンの現状を眺めたときに、"これで大丈夫なのか?"と。

-というのは?

NEMO:頭の片隅で海外にそろそろ出たいと思っていたし、もっとプロフェッショナルな国際的バンドになりたいという思いがありました。それで、自分の国を見たときに何も起きてない、むしろメタル・シーンは悪化してると。単純にプロフェッショナルなバンドが減った。ライヴを観ても、それはただ演奏してるだけだよねってバンドが増えたんです。ショーアップの要素が何もなくて、相変わらずMarshallのアンプをポツンと置いてればいいだけなのかって。自分の中にある厳しい部分が出てきたんです。

-なるほど。バンド自体は2010年以降、激動だったんですね。

NEMO:結構忙しかったですね。単純に日本だけじゃなく、行く場所が増えたし、慣れない国でライヴをやっていたので。最初は全然わからないことだらけで、アメリカだとまだ想像つくかもしれないんですけど、ロシアはソ連時代とか、映画でも盗聴されてるみたいなイメージだったので。

-ジャーナリストが平気で殺される国ですからね。

NEMO:でも実際に行くと、普通の先進国並みで楽しく過ごせました。

-なぜロシア・ツアーを行おうと?

NEMO:たまたまマネージャーがイタリア人で。

-イタリアのエージェント"ALPHA OMEGA Management"と契約してますよね。

NEMO:そうですね。ヨーロッパはメタル・フェスは盛んだけど、ローカル・ツアーはビッグネームじゃないと人が来ないんですよ。だけど、ロシアは未開の地でちょうどロシアに行くバンドが増え始めて。デスメタルで言うと、BEHEMOTH、CANNIBAL CORPSEが行くようになり、単独で毎回3~4千人規模でできちゃうんですよ。

-それはすごいですね!

NEMO:新しいマーケットだったのでロシア・ツアーが多くなりました。ロシアはKREATORと回ったり、バルト三国はOVERKILLと回って、あとBEHEMOTHとロシアを2度回って、INCANTATIONというアメリカのレジェンド・デスメタルとヨーロッパ全土を1ヶ月ツアーしました。

-では、新ドラマーにSHINTAROUさんを迎えたのは?

NEMO:全国回ったときにいいドラマーいないかなって、SINJILOWと話したときに、つくばに派手な奴がいたじゃんって話になって。上手い奴はたくさんいるけど、ステージに立つ人間は華がある人がいい。俺が思う中でSHINTAROUは全国で1番派手に叩く奴という印象があったから。