INTERVIEW
ASHLEY SCARED THE SKY
2013.09.17UPDATE
2013年09月号掲載
Member:Julian (Gt/Vo)
Interviewer:ムラオカ
-2009年末か2010年頭にJulian君との出会いだったと思うけど覚えてる?
覚えてます。池袋のBLACK HOLEでしたよね。"激ロックに出させてくださいよ!"ってひたすら言ってたのを覚えてます。
-まだJulian君がPayback for my Lifeに在籍していた頃だったよね。
そうです。たしかcoldrainが出てた時ですね。早いですね、時間が経つのは。
-当時Julianが率いていたPayback for my LifeはASHLEY SCARED THE SKY の前身バンドだったのかな?それとも全く別のバンド?
Payback for my Lifeの頃からベースとヴォーカルが変わっただけで、やってることは基本的には一緒です。メンバー・チェンジの際にちょうどいい機会だし、バンド名も変えようかなって。そんなに深い理由はないですけどね。
-なるほど。長い付き合いだけど、実はバンド名のASHLEY SCARED THE SKY(以下ASTS)の意味って聞いたことがなかったんだけどどういう意味なのかな? 自動翻訳に入れると"アシュリーは空を脅えさせた"って出るけど。
本当は"アシュリーが空を怖がってる"って意味にしたかったんですけど、並べてみたら結果そうだったっていう(笑)。アシュリーちゃんが宇宙人にさらわれちゃうっていう、"The 4th Kind"っていう映画からとっています。ミステリー・ホラーみたいなB級感が凄い映画なんですけど(笑)。Milla Jovovich(ミラ・ジョヴォヴィッチ)が出演していて、その娘がアシュリーちゃんっていうんですけど、その映画をKentaroとNoriとで観ていて、マジで震え上がったという経験があって(笑)。3人が共有した思い出を使ったっていう感じです。
-ASTSってGEKIROCK TOURが広く認知されるきっかけの1つだったと思うけど、実はGEKIROCK TOURに出演する前からすでに感度の高いリスナーから支持されていたよね?自分たち自身、結成から間もない段階で順調な滑り出しができたという意識はあったかな?
実際ありましたね。EP『The Prayer』を出すまではメンバー・チェンジなどもあって、全然活動できてなかったんです。でも、そのEPを前のレーベルのGarimpeiro Recordsからリリースされたことでうまいこと認知されて、SCREAM OUT FESTやGEKIROCK TOURに誘っていただいて、結果ここまでこれたなって思います。確かに、自分でも早いなと思いますね。
-Payback for my Life時代からのファンの流れもあったのかな?
Payback for my Lifeでの活動もありますけど、やっぱりEPを出してからですね。みんな曲を知ってくれて、口コミで広まっていったと思います。Payback for my Life時代とかASTSでEPを出す直前まで、お客さんが1人という時もありましたからね。音源が出回って、それを手に入れて聴いてライヴに来てくれるっていう......リリースすることってやっぱり大きいなって思いました。
-MANAFESTやJAMIE'S ELSEWHERE来日の際にGEKIROCK TOURに出演にしてもらったけど、それが海外のバンドと共演した初めての経験だったのかな?
いや、SCREAM OUT FEST が初だったと思います。A SKYLIT DRIVE、WE CAME AS ROMANS、DREAM ON, DREAMERですね。いきなり夢が叶った感じです(笑)。
-それ以外にもMOTIONLESS IN WHITEやOF MICE & MEN、WOE, IS ME、I SEE STARSなど世界で活躍する一線級のバンドとも共演してきたけど、実際に彼らと同じステージに立ってみて考えるところはあったかな?
やっぱり全然違いましたね!音もそうでしたし、とにかくプロフェッショナルでした。ハーフの僕が言うのもなんですけど(笑)、あれだけデカい外人が揃ってライヴをやってると単純にステージ映えしてかっこいいなと思いました。特にDREAM ON, DREAMERはみんな長身で細くて、これは僕らも考えないといけないなと(笑)。あの時は、いろいろ触発されました。
-その後のステージングなどに活かされたりしてる?
かなりあります!よく動き、よく跳ね、よく回る、みたいな(笑)。ただ弾いてるだけだと小じんまりしやすいんで、いかに目立つかというか、それは意識するようになりましたね。
-機材面でも海外のメタルコア・バンドの充実振りは凄いと聞くけど、そのあたりはどうだった?
全然違いましたね。マニアックな話になっちゃいますけど、機材も全部写真に撮りましたもん(笑)。バンドによってやり方は違うんですけど、"こういうやり方するんだ!"っていう発見はありましたね。そういうことも自分たちに活かしてますね。
-経験という点ではRed Bull Live on the Roadのファイナリストになったのも大きいのでは?
はい、大きいですね。それこそトントン拍子というか、まさか決勝まで行けるとは思ってなかったので。募集開始して1週間後ぐらいにエントリーしたらランキングがどんどん上がっていって、"これ、いけるんじゃないか!?"って感じで。良い経験になりました。SHIBUYA-AXでやるのも初めてでしたし、ONE OK ROCKやSTORY OF THE YEARとやれたのも大きな経験になりましたね。まぁ、落ちちゃいましたけど(笑)。
-東京クオリファイ・ステージで敗北して再び勝ち上がって大阪のクオリファイ・ステージに立ったけど、あそこでまた負けてしまったらバンドにとって大きなダメージだったよね?そんな苦境の中、勝ち抜いてファイナルに進出したのはバンドが精神的に強くなるきっかけだったんじゃないかな。
今だから話せるんですけど、東京クオリファイの時はかなり自信があって、"絶対いけたでしょ!"って思ってたのにダメだったので、かなり落胆しました。だけど、それよりも悔しいって気持ちがあって、"絶対ファイナルにいく!"っていう信念で大阪はやりましたね。
-そして今年7月にはメジャー・デビューの発表となったけど、実際にはどういった経緯でユニバーサルと契約に至ったのか教えてくれるかな。
今のマネージャーさんが僕たちのことを気に入ってくれてて、ライヴにレーベルの方を連れてきてくれたところ目に留まったみたいで、何度かライヴに来てくれて話し合いを進めてって、じゃあいこうかと。けっこうシンプルなストーリーでドラマチック感はないですね(笑)。