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INTERVIEW

NODRAMA

2012.08.07UPDATE

2012年08月号掲載

NODRAMA

Member:Aimar Antxia (Vo)

Interviewer:MAY-E

-あなた方の出身地であるバスク国自治州のビルバオには、どのようなロック・シーンが根付いていますか?

この地域は文化がとても豊かな場所で、音楽に限らずいろいろな文化が発展しているんだ。バンドの数も凄く多いし、楽器が弾ける人もたくさんいるよ。国の人口自体がそんなに多くないから、これはありがたいことだよね。この国は文化と言語で繋がっているひとつの家族みたいなものなんだよ。この土地に根付いている音楽は本当に古くからある文化がメインなんだけど、それだけじゃなくてメタル・バンドも結構たくさんいるんだ。KOMA、SU TA GAR、EKON、RISE TO FALL、LATZENなんかがそうだね。自信を持ってお勧めできるクールなメタル・バンドがたくさんいるよ。バスク語で歌っているバンドもいるんだ。俺たちは英語で歌っているから、地元ではちょっと不利なんだよね。公共の機関とか文化団体からのサポートが、現地語で歌っているバンドより受けにくいんだ。

-北欧メタルやアメリカのロック・シーンからの影響を感じますが、あなた方はどのようなバンドやシーンに影響を受けてきたのでしょうか?

俺たちはいろんな音楽に影響を受けていて、確かに北欧メタルやアメリカのロック・バンドの影響も受けているんだけど、影響を受けたバンドを挙げるとなるとなかなか難しいね。主に90年代のメタルやロックの影響を受けているよ。この時代はいろんなサウンドやスタイルのバンドがいて、そのどれもが俺たちにとって重要なバンドなんだ。メタルだけじゃなくてハード・ロックやグランジ、オルタナやエレクトロなんかのバンドもたくさんいたからさ。更にSOILWORK、MNEMIC、THREAT SIGNALのようにへヴィなものも聴いていたよ。その一方で、割りと聴きやすいSEVENDUST、NICKELBACK、30 SECONDS TO MARS、ちょっとエクスペリメンタルなPORCUPINE TREE、TOOL、KARNIVOOL、OPETHも好きだった。常にロックやメタルの音楽が身の周りにあったし、俺たちみんな、いろんな音楽を楽しむのが大好きなんだよね。音楽は世界に通用するアートで、曲がかっこいいと思えばそれを楽しめばいい、そういうシンプルなものだから。それがPINK FLOYDみたいな古いものやSKRILLEXみたいな新しいものでも同じことだよ。

-メンバー皆さんが、NODRAMAの前に別のバンドで活動していたそうですが、それぞれどのようなバンドを経験してきたのですか?

Nikola(Dr)とIker(Gt)が居たKONTERは、怒りに満ちたスクリーム満載のニューメタルで、SEPULTURAみたいというか、NAPALM DEATHにもっとデス・メタルとかメタルコアの要素が入ったみたいなバンドだったな。とにかく女の子を誘ってライヴに行けるようなバンドじゃなかったよ(笑)。僕がやっていたROOM13は実験的なロック・バンドで、Xabier(Ba)がいたANDEN CEROはここではメイン・ストリームになってるパンク・ロック・バンドだった。Koldo(Gt)がいたIRAINAは実験的なメタル・バンドで、激しいギターとリズム・チェンジと前衛的なキーボード・アレンジの入った奇妙なバンドだったよ。彼の頭の中と同じだね。

-WHITESNAKEやCYNICといったビッグ・アーティストと共演していますが、彼らとの共演はいかがでしたか?

信じられない出来事だったよ。特にWHITESNAKEはね。会場が満員で、その中のたくさんのお客さんが俺たちのことを気に入ってくれたんだ。David Coverdaleとその仲間と共演できるなんて、俺たちの世代ならどんなメタルやロック・バンドも夢みたいな話なんじゃないかな。CYNICと共演できたのも凄くラッキーだった。彼らはバンドとしてもクールだし、人としても魅力的で楽しくて学ぶことも多い、為になる経験だったよ。

-05年の結成からアルバムのリリースまでにかなりの時間を要していますが、ここまでは苦難の道のりだった、ということでしょうか?

確かに結成は随分前だね(笑)。でも俺たちは当時、特に焦ってなくてさ。みんなそれぞれに他の仕事があったっていうのもあるけど、純粋にバンド活動を楽しんでいたんだ。なかなか人生全てをバンドに投じる勇気もなくてね。別に遊んでいたわけじゃなくて、常に高いモチベーションをもって活動していたよ。でもやっぱり実際は今の方が前よりももっと真剣にやってるかな(笑)。バンドのことをより真剣に考えるようになったきっかけは、俺たちが『I Mind』っていうデモを作ってからなんだ。このデモの曲をみんなが気に入ってくれて、ライヴにも人がたくさん来てくれるようになった。それで『The Patient』のデモ作りに着手したんだ。完成してからそのデモをEttoreに送って、そこから話が進んだ。それ以降も俺たちがレコーディングしたスタジオの予約が連続して取れなかったこともあって、レコーディング自体もあまり迅速には進まなかったのも時間が掛かった原因のひとつだね。