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INTERVIEW

DOIMOI

2012.07.19UPDATE

2012年07月号掲載

DOIMOI

Member:杉山明弘 (Gt)

Interviewer:KAORU

-激ロックマガジン初登場、そして2号連続インタビュー掲載ということでよろしくお願いします!まずはDOIMOI結成の経緯についてお聞きします。03年に結成されたそうですが、メンバーとはどのように知り合ったのですか?

ドラマーの林礼一をのぞく僕と、二村泰史(Vo&Gt)、篠田尚志(Ba)の3人は、全員同じ大学のバンド・サークル出身です。当時から僕は変拍子メタルみたいなものをやっていて、ヴォーカルの二村は↑THE HIGH-LOWS↓のようなバンドをやっていましたね。
僕が当時やっていたバンドのドラマーだった先輩から、"杉山君が二村君に売れそうな曲を歌わせるバンドを組んだらほんとに売れるんじゃない?"とそそのかされたのが、結成のきっかけでした。結果、売れ線の"う"の字も無い音楽性に至った現状ですけども(笑)。
ベースの篠田君は元々ギタリストなのですが、好む音楽が僕と近かったのですぐに誘いました。林君だけ同じサークルの出身ではないですが、大学のバンド・サークルって、イベントがあるごとに他大学からのゲスト・バンドを招いたり、出向いていく慣習があって。それで結成の随分前から面識がありましたね。お互い何度か行き来があって、3回目くらいに見たときに彼がRED HOT CHILI PEPPERSのコピー・バンドで叩いていたんですが、それを見て凄く巧い人だなーと。

-DOIMOIが結成された当初、"こんな音楽をやりたい"というような構想はありましたか?

当時は僕がエモ/インディ・ロックにおそろしく傾倒していたので、完全にそういう音楽をやるつもりでした。Q AND NOT Uとか、MINUS THE BEARみたいな感じのものにチャレンジしてはみたものの上手くいかず、やがてJAWBOXのような男気系に引っ張られ、曲ができていくにつれて"この質感の中に、もともと持っていたメタルへの愛を落とし込めるんじゃないか"と考えはじめて、段々オリジナルなものを標榜とするように音楽性が変わっていきました。

-結成当初は3ピースで、06年に4人編成になるまでは杉山さんがドラムを叩いていたそうですが、ドラムからギターに転向することに苦労はなかったですか?また、何故ドラマーを入れようという話になったのでしょうか?

むしろ本職はギターでしたので、結成のくだりで出てきた先輩が、最初はドラマーとして参加してくれていました。凄く面白い人だったんですが、バンド活動へのモチベーションの違いなどでほどなく脱退し、ずっと代わりのドラマーを探していたところで、31KNOTSというバンドの来日公演を見ました。
曲によってフロントの2人がギターとベースを柔軟に持ち替えて、アンサンブルも隙間だらけ、でも、それを逆手にとって、体当たりな表現をしている様子に感化されて、"これなら自分がドラムでもいけるかも"と思い立って、3人編成用の曲を作り出したところから、今に続く活動が始まっているという感じです。
ただ僕が、ギターに比べてドラムは圧倒的に下手なので、いつまで経ってもライヴの出来不出来が激しいことをいよいよマズイと思い始めて、当時サークルの後輩だった2代目ドラマーに入ってもらいました。彼も学業の忙しさで途中で抜けて、今の礼一君は3代目ですね。

-"現代型エモーティブ・ナード・メタルバンド"というDOIMOIの音楽を表す言葉はご自身で名付けたのですか?

最初にナードと呼んだのは、友達のバンドか、地元のレーベル/レコード・ショップ"Stiff Slack"の新川さんか誰かだったと思います。今回のリリースにあたって何かコンパクトに納まるキャッチ・コピーが必要だろうという話になって。最終的にこの言葉の並びにしたのは僕です。

-音楽マニアという意味でのナードなのでしょうか?

まあ、あらゆる意味でですね。割と初期から、敢えて意図したわけではないのに"イモいルックスながら..."とか、"冴えなそうな理系風の4人組で..."とか言われることが多かったので。変な話ですが、自分達としても納得してます(笑)。音楽的にも、"いわゆるカッコいい感じでキメてやろう"という意思は積極的にゼロですし、そもそもバンド名の響きからしてドンくさい感じなので、バンドの立ち位置を端的に言い表すちょうどいい言葉かなと思っています。

-08年に"出身地をカリフォルニア出身州サンフランシスコとした"意図はなんでしょう?HPやTwitterでも英語の直訳のような片言の日本語を使っていますよね。歌詞はばっちり日本語なのに面白いですね!

ライヴのMCで、来日公演中の外タレ風の喋り方をやり始めたのと連動しています。活動を始めた頃から、ライヴでMCをすべきタイミングで、ヴォーカル二村が全然喋りたがらないので、僕が場をつなぐ役をやっていたんですが、メンバー中いちばんナードなのが僕なので、喋り口調もどちらかといえばはっきりせず、これはいかんなあと自分で思っていました。
片言風MCは大学のサークル時代に、全然別のバンドでやってみたことがあって、身内の集まりということもあるんでしょうが、その時はばっちりウケました。DOIMOIとして08年に地元名古屋で開かれた"鶴舞ロックフェスティバル"という野外イベントに出させてもらった際、"このホーム感があればあれを試せる"と思って、久し振りに片言風をやってみたところ、思いのほか上手くいき、もう戻れなくなって現在に至るという感じです。その後、普通に日本人のバンドだと思って初めてライヴを見た人に不思議がられることも多かったので、ホームページの口調もそれに合わせました。はじめは知らない人のブログで"中国系アメリカ人のバンド"などと本当に書かれたりしたこともありましたね(笑)。
出身都市はどこでもよかったんですが、ちょうどそのMCをやりはじめた頃、サンフランシスコ出身のY&Tというベテラン・ハードロック・バンドのライヴを見たので、勝手にちなませてもらいました。