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INTERVIEW

CRASH

2012.06.13UPDATE

2012年06月号掲載

CRASH

Member:Ahn Heung Chan (Vo&Ba)

Interviewer:ムラオカ

-結成から現在に至るまでのメンバーの変遷を教えてください。

1992年に3ピースで結成して、94年に1stアルバムをリリースした。それからギター1人では限界があるから、ライヴのためのセッション・プレイヤーとしてJae-Yong Haを入れたんだよね。彼はそれからずっとフル・タイム・メンバーだったんだけど、2010年に『The Paragon Of Animals』をレコーディング後に脱退した。 Doo-Byung Yoonは95年か96年くらいに2ndアルバムをレコーディングし終わってから脱退したんだ。彼の後任としてSung-Soo Leeが加入して、3rdアルバムの『The experimental state of fear』をレコーディングしたんだけど2年ほどで脱退した。そしてギターのYoung-Sang OhとキーボードのYu-Sung Kimを迎えて5ピースのバンドとして再生したんだけど、これがエレクトリックでインダストリアルなテイストと取り込んだ時だね。このメンバーでレコーディングした2000年に4thアルバムの『Terminal Dream Flow』をリリースした。

それから2年後、俺たちはルーツに帰ることにしたからYoung-Sang OhとYu-Sung Kim(彼はセッション・パフォーマーとして今も参加しているけど)は脱退してもらったんだ。それから韓国でも最高レベルのギタリスト、Sang-Mook Limが加入した。彼のスタイルはジョージ・リンチやジェイク・E・リーのLAメタルやブルースなんかに影響を受けたものだからスラッシュとは少し違ったんだけど、それが俺たちの音楽に多様性をもたらしたんだ。そして完成したのが5thアルバム『The massive crush』だ。彼は2009年までCRASHに居て『The Paragon Of Animals』のプリプロまでやったんだけど、ジャズやクラシックの勉強をすることになって脱退した。そこで再加入したギタリストがDo-Byung Yoonだ。

2009年にDo-Byung Yoonが戻ってきたことで俺たちは『The Paragon Of Animals』のプリプロを再開し、レコーディングを2010年に終わらせた。そしてこのアルバムの発売後、Jae-Yong Haが個人的な理由でバンドを脱退した。

そして今、セッション・ギタリストとして地元のMETHODというバンドのメンバー、Jae-Ha Kimが参加してくれている。彼はプロのプレイヤーとしても人格も素晴らしいんだ。彼とは2010年から一緒にやってるんだ。この状態がどれだけ続くか分からないんだけど、彼のバンドとのバランス次第だと思うな。

基本的に俺とドラムのYong-Wook Jungだけが最初からずっとCRASHのメンバーだったってことになる。今後もこの2人は残り続けると思うよ。

-また脱退や加入がありましたら、その理由なども教えてください。

他のバンドと同じように、主に状況的に活動が無理になったり、脱退の時点での音楽のテイストが合わなくなったりってことだね。でも今まで喧嘩や口論になったことはないんだ。常にお互いを尊重しているからね。

-バンド名の由来を教えてください。

実は、どうやってこの名前に決まったかハッキリ覚えていないんだ。俺たちは若かったし、何かカッコいい名前をつけようぜって言ってたことくらいしか覚えてなくてさ。英語でも韓国語でも発音しやすい単語っていうのはあった。それで思いついた単語の1つがCRASHだったと思う。

-今までにリリースしている作品とその作品の特徴、プロデューサーがどなたかなど、トピックを数点お願いします。

1994年『Endless Supply Of Pain』
プロデューサー:Colin Richardson
これは1stアルバムで、とにかくヘヴィで速くて荒削りなものを作りたかった。Colinは今でもメタル・シーンの大物だから一緒に仕事ができたのは幸運だったよ。俺たちにとって物凄く勉強になったし、彼との仕事は 凄く楽しかった。思い出そうとしてみると特に何を覚えてるってわけでもないんだけど、とにかく楽しかったっていう感覚は覚えてるんだよね。それに仕上がった作品もとても良いものになった。このアルバムは韓国のポップ・ミュージックの傑作として扱われていて、投票で「史上最も価値のあるアルバム100」に選ばれたこともあるんだ。

1995年『To Be or Not to Be』
プロデューサー:CRASH
これは2ndアルバムだ。このアルバムではColinが都合が付かなくてプロデュースをしてもらうことができなかったんだけど、その代わりにJud Packerっていうミキシング・エンジニアを紹介してくれたんだ。彼はいくつかのヒット曲も手掛けたことがあるエンジニアで、その1つは韓国の有名映画『ビート』で使われた曲なんだ。
1997年『The Experimental State of Fear』
プロデューサー:Colin Richardson
ここでまたColinと仕事をすることになる。今回は彼のいるイギリスでレコーディングしたんだ。ロンドン近郊だったと思う。リンカーンの近くだったかな。この時初めて時間を掛けて贅沢な環境でのレコーディングを経験したよ。俺たちは“ロック・スター”だなって感じたよね。このアルバムは前2作よりもダークでインダストリアルな要素も加えだした時期だね。アルバムの制作は楽しかったけど、ファンには評判が悪くて伝統的なスラッシュ・メタルのシーンから外されちゃったんだよね。

2000年『Terminal Dream Flow』
プロデューサー:Colin Richardson
この作品がColinにプロデュースしてもらう最後の作品になった。彼は後にSLIPKNOTとかMACHINE HEADのプロデュースを手掛けることになるんだ。CRASHはキーボーディストも加わって5ピースになった。エレクトロやヒップホップ、インダストリアルなんかを取り込んだこのアルバムは、今でこそ斬新なアルバムだったと評価してもらえることもあるけど、当時は多くのスラッシュ・メタル・ファンを失ってしまった苦い思い出の作品だよ。

2003年『The Massive Crush』
プロデューサー:CRASH
これは俺たちが最初に外部の人間の手を借りることなくセルフ・プロデュースしたアルバムだね。それまでに培った知識をフルに活用したよ。音楽的にはスラッシュ・メタルのルーツに戻る感じなんだけど、多少前作であったような多様性もあった。だからこのアルバムは内容的にも、ちょうど前作と『The Paragon Of Animals』を繋ぐ作品になっているよ。作曲面やプロダクション面においてもね。