MENU

激ロック | ラウドロック ポータルサイト

INTERVIEW

VICTORIUS×和田誠-CAPTAIN-WADA

2018.07.10UPDATE

2018年07月号掲載

VICTORIUS×和田誠-CAPTAIN-WADA

ジャーマン・メタルの新鋭、VICTORIUSのニュー・アルバム『Dinosaur Warfare - Legend Of The Power Saurus』が日本盤として発売されることが決まった! 今作は恐竜とエイリアンの聖戦を描いた初のコンセプト・アルバムで、コミックとアニメの融合による独自のオリジナリティを打ち出したサウンドは実に刺激的。今回は、ジャーマン・メタルと言えば"キャプテン和田"こと音楽評論家の和田 誠氏を迎え、ジャーマン・メタルの現状を含めてVICTORIUSの魅力についてたっぷりと語ってもらった。

音楽評論家:和田誠-CAPTAIN-WADA
インタビュアー:荒金 良介

-和田さん=ジャーマン・メタルという印象が強いですけど、改めて音楽との出会いから訊いてもいいでしょうか?

60年代から音楽が好きでした。THE BEATLESはリアルタイムですからね。うちのいとこがロカビリー好きで、Elvis Presley、Neil Sedaka、Paul Ankaをよく聴いてたんですよ。うちの姉貴もそれに影響を受けて、そのへんを聴いてましたね。親父もレコードを集めるのが趣味で、家に78回転のSPレコードがたくさんあって、それを大きな蓄音機でいつもかけていたので、小さいころから音楽に触れてました。食事のときにもテレビを観ずにラジオを流してて、60年代は"9500万人のポピュラーリクエスト"、"東芝ヒットパレード"という番組があり、そこで洋楽がガンガンかかるわけですよ。それを聴いて、あぁ、いいもんだなと。

-それで洋楽にどんどんのめり込んで?

そうですね。それでTHE VENTURESが出てきて、ギターを弾いたり、ドラムを叩いたりしたけど、才能がないものですから、困ったなと。で、楽器を諦めて、音楽を紹介する側に回ろうと思ったんですよ。それから日本のグループ・サウンズやアンダーグラウンド・フォークにもハマりました。で、大学に行ったときに大病を患って、半年ほど入院したんですよ。それで地元の大学を中退して、姉貴が東京にいたから、そこに転がり込んでね。これは知らない人が多いかもしれないけど、僕はお芝居もやってて、役者修業もやってたんですよ(笑)。

-芝居とロックにどっぷり浸かって?

そうそう。当時ロック喫茶が流行ってて、池袋に"ジョーイ"、新宿に"ミカド"、渋谷に"プリンス"があって、そこにコーヒーを飲みに行って、DJにリクエストすると"なぜこんな曲知ってるの?"と言われて。そこで仲良くなって、その人のお師匠が八木 誠(音楽評論家/DJ)さんでね。それからいろんな人と知り合って、ニッポン放送でスタッフを募集しているから"お前やってみない?"と言われて、"オールナイトニッポン"のチームに入り、そこでレコード会社の人とたくさん知り合ったんですよ。

-ちなみに和田さんが初めて書いたライナーノーツと言うと?

JOURNEYの2ndアルバム『Look Into The Future』に収録の1stシングル「She Makes Me (Feel Alright)」ですね。1976年です。そこから始まったんですよ。

-和田さんといえばTV番組"PURE ROCK"(※1987年から1989年まで放送されていたハード・ロック/ヘヴィ・メタル専門の音楽番組)、ラジオ番組"HEAVY METAL BOMBER"(※1994年までTOKYO FMにて放送)など数多くのメタル番組をこれまで手掛けられてますよね。

"HEAVY METAL BOMBER"はJFNネットで30数局をすべて網羅してて、ラジオのゴールデンタイムと言われる22時~24時という貴重な時間だったから、画期的だったんですよ。日本全国のメタル・ファンに届くのみならず――ここがポイントで、その時間帯のリスナーは音楽好きなんだけど、メタルの"メ"の字も知らない人も多いわけ。そういう人が80~90パーセントぐらいなんですよ。

-あっ、そうなんですね!

"METALLICA、MÖTLEY CRÜE、SKID ROW......何それ?"って感じだから。結局、BLIND GUARDIANやANGRAも聴くのも初めてだから、全部一緒なわけですよ。自分がこの曲いいな! と思ったら入ってきてくれるわけ。だから、「Carry On」(ANGRA)1曲だけで、ANGRAのCDが12万枚も売れる時代だったんですよ。

-すごい時代ですね。

当時はROBBY VALENTINE、ROYAL HUNT、FAIR WARNINGとかも番組で曲をかけると、デビュー盤なのに3~4万枚とか平気で売れちゃったんだから、本当にすごい!

-オランダ発のELEGYの『Labyrinth Of Dreams』も番組の中で激推しされてましたよね? 当時、輸入盤で買いました。

ありがとうございます。「I'm No Fool」ね、懐かしい(笑)。そういう意味で"HEAVY METAL BOMBER"は貴重な番組でしたね。マキシマム ザ ホルモンのダイスケはんも地元の四国で番組を聴いてくれてて、そこでBLIND GUARDIANとかジャーマン・メタルを好きになってくれたみたいだから。ありがたいですね。

-"HEAVY METAL BOMBER"は好きな曲を好きなようにかけられる番組だったのですか?

いや、ほんとそうですね。イケイケでしたから(笑)。その当時のエピソードを話すとキリがないですよ。朝までどころか、何ヶ月もかかっちゃいますね。選曲に関して言うと、八木 誠さんがチャートに詳しくて、その影響が大きいと思うんだけど、時折、チャートに関係ない曲をかけるんですよ。チャートに入ってないけど、グッとくる曲をかけるわけ。BOOTS WALKERの「Geraldine」、SANDY COASTの「恋はまぼろし」とかね。あと、ロック喫茶でかけてたSIR LORD BALTIMOREね。

-かっこいいですよね! 和田さん著の"どうしようもなくヘヴィメタル―怒、怒、どうなってんの!?"の中でもSIR LORD BALTIMOREに言及されてますよね(笑)。

そうそう。トリオであれだけ激しいプレイをできるバンドがアメリカにいたのが衝撃的で。そこから探求が始まって、知られてなくてもいいバンドを探すことが習慣になったんですよ。QUARTZ、MAGNUM、SEBASTIAN HARDIEとか全部外盤で買ってね。JUDAS PRIESTの『Sad Wings Of Destiny』も外盤で買って"これはヤバい!"と。そういう癖がついてるから、誰も知らないバンドをロック喫茶やラジオでかけるという。

-なるほど。

いつもマイナーなバンドを探してはラジオでガッツンガッツン流してね。だから、HELLOWEENの『Walls Of Jericho』の「How Many Tears」を死ぬほどかけました。BON JOVIが『Slippery When Wet』を出したころだから、1986年ですね。そこでSCORPIONS、ACCEPTに限らず、新しいドイツの波が来るぞ、HELLOWEENだ! って。そしたらレコード会社の人が"Noise Records"(※ドイツのレコード・レーベル)と契約して、ドイツのバンドを出そうと思っていたらしくて、"和田さん、(曲を)かけるの早いよ!"って言われてね(笑)。

-和田さんの中ではジャーマン・メタルと言えば、やはりHELLOWEENですか?

SCORPIONS、ACCEPTはメジャーだったし、別格ですからね。Udo Dirkschneider(ACCEPT/Vo)のリムジンに乗せてもらったときはビビりましたからね。で、HELLOWEENはそういうポジションに上りつめるかもしれないと。ご存じかもしれないけど、80年代はNeal Kayが手掛けた『Metal For Muthas』というコンピがあり、そこからSAMSON、IRON MAIDEN、PRAYING MANTISが出てきて。全米でもああいうコンピをインディーのレーベルが出して、バンドを育てることがスタイルになって。それにドイツのレーベルが影響受けて、そこからヒットを生み出すという。それでHELLOWEENを生んだドイツだけじゃなく、北欧、南欧、ヨーロッパ全土、東欧とか、そこからHELLOWEENに影響を受けたフォロワーがどんどん出てきて。それをラジオと連動させて、日本でバンドを紹介していきましたね。