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INTERVIEW

小野正利

2017.12.13UPDATE

2017年12月号掲載

小野正利

Interviewer:荒金 良介

1992年のデビュー年に『You're the Only...』でミリオン・ヒットを記録した小野正利。2009年に加入したヘヴィ・メタル・バンド GALNERYUSでも活躍する彼が、今年デビュー25周年を迎えた。今回は女性曲、男性曲とそれぞれ8曲ずつ計16曲取り上げ、豪華2枚組となる『VS‐VERSUS‐』なるアルバムを完成させた。誰もが知る洋楽ナンバーを見事に歌い上げ、小野正利の魅力をこれでもかと詰め込んだ内容になっている。なお、ボーナス・トラックに新曲「Never say good-bye」、アニメ"HUNTER×HUNTER"主題歌「departure!(VS Edition)」、そして「You're the Only...(25th Anniversary Version)」の3曲収録という大盤振る舞いだ。これまでの歩みを含めて、小野にじっくりと話を訊いた。

-今年デビュー25周年という大きな節目を迎えますね。

あっという間でしたね。振り返ると、僕はデビュー以前から人生の岐路に立ったときに、手招きしてくれる人が現れていたんですよ。デビュー後もこの先どうしようと思ったときに、こっちだよと言ってくれる人がいたんですよね。だから、人との縁や出会いに支えられてきたなと。本当にひとりではここまで続けられなかったと思います。

-周りの人に恵まれて、ここまできたと。

ほんとそうですね。言う必要はないかもしれないけど、まぁ、間違った出会いもありましたが(笑)。

-ものすごくつらかったなぁと思う時期はありましたか?

歌うことをやめて、他の仕事を探そうと思ったことは一度もないですね。受け手側がどう思うかわからないけど、僕の場合はデビューして、いきなり「You're the Only...」という曲がヒットしましたからね。まだ地力がないころにドーンと売れたものだから。1992年当時、このままいくわけはないと思ってました。それからいろんな出会いがあって、ここまできましたね。その中でGALNERYUSとの出会いもあったし、周りの人のおかげだなとつくづく思いますね。でもこないだね、家で肉団子を食べたんですけど、俺が食べたものだけ中から小石が出てきたんですよ。

-ええっ!

歯の詰め物が取れたのかと思ったら、小石だったんですよ。でも人との出会いには恵まれてきたので良かったなと(笑)。

-それで人生のバランスが取れているのかもしれません。

そうなんですよね(笑)。全部はうまくいかないからね。あと、僕は10年以上前から専門学校に講師として、教えに行っているんですよ。学校側から"小野先生の方からオーディションに対する心構えを教えてあげてください"と言われたんですけど、僕、オーディションとか一度も受けたことがなくて。そう伝えたら、職員の方に笑われちゃいました。

-そうなんですか。

デビュー前は六本木の飲み屋で皿洗いのアルバイトをしてて、そこの社長から"バンドをやっているらしいな、ちょっと歌ってみろ!"と言われて。たまに歌ってたんですよ。そしたらあるときに音楽事務所の社長が来て、"ウチでやらない?"と誘われたんですよ。

-それが1992年のデビューに繋がったんですか?

そうなんですよ。1991年の夏過ぎだったかな。それも運が良かったのかなと。デビューした1992年に「You're the Only...」を出して、そのど新人の曲が当時の月9(TVドラマ"君のためにできること")の主題歌に決まったわけですからね。裏で何をしたのかなって(笑)。そういう引きの強さはあったのかもしれないですね。ただ、運というものがあるなら、一生で使うぶんは決まっているだろうから、肉団子に小石が入ってたり、ラーメン頼んだら髪の毛が入ってたりね。そういうことはたまにあります(笑)。

-ははは(笑)。改めて小野さんの音楽遍歴についても訊きたいんですが、意識して音楽を聴き始めたのはいつごろになるんですか?

初めて親にねだって買ってもらったレコードはフィンガー5ですね。それが小学校6年のころかな。中学生になると、チャゲアス(CHAGE and ASKA)を聴いたりとか、友達からアコースティック・ギターを教えてもらって、長渕剛さんも弾いたりしてました。当時ヤマハの"ポピュラーソングコンテスト"、通称"ポプコン"があって、グランプリ曲をイチ早くみんなで弾いたりしてましたね。人前で歌って、"小野いいじゃん!"と言われたのが中学2年のときですね。

-何を歌ったんですか?

それこそ"ポプコン"の優秀曲賞に選ばれた、雅夢の「愛はかげろう」です。それを歌ったときに、"いいじゃん!"と言われて、その勘違いが今も続いてる感じです。誰でも人に認められたいという気持ちがあると思うけど、僕の世代は運動が得意な人がクラスの人気者だったんですよ。

-あぁ、なるほど。

でも運動は苦手だったので、何か別のところでアピールしたいなと。だけど、当時は人前で歌うこともなかなか勇気がいりましたからね。高校でもバンドを組んで、当時THE ALFEEが「メリーアン」でブレイクしたんですよ。じゃあ、THE ALFEEをコピーしようかって。それから大学の音楽サークルに入って、先輩から"お前は声が高いから、LED ZEPPELINを聴いて覚えてこい!"と言われたんですけど、それまで積極的に洋楽を聴いたことがなくて。