INTERVIEW
DROPKICK MURPHYS
2017.01.05UPDATE
2017年01月号掲載
Member:Al Barr(Vo) Tim Brennan(Gt)
Interviewer:大野 俊也
-実際のレコーディングはどのような感じで行われましたか? 集中できましたか?
Al:うん、集中はできたし、ある意味ではやりやすかった。
Tim:よりスムースなプロセスだったね。
Al:俺たちはこれまでで一番リラックスしていたよ。それによってクリエイティヴィティがより解放されたのは間違いない。さっきも言ったような、家に帰ったり渋滞だったり――
Tim:または郵便受けに入ってた光熱費の請求書にイラっとさせられたり......。
Al:そうそう、そういう邪魔が入らなかったおかげで、言うなれば瞑想のような状態に入ることができたよ。
Tim:会話も"おい、今日俺の息子が俺に向かって何て言ったと思う!?"なんて内容じゃなくて、コーヒーを飲みながら落ち着いて会話できたりさ。
Al:携帯の電波もほとんど入らなかったんだ。スタジオから特定の方向に歩くと、携帯の電波もメキシコの圏内になるから国外料金になるし(笑)。建物のうち2部屋だけ電波サインが2本立つ部屋があって、そこならギリギリ会話できるレベルだったから、携帯は部屋に置いていくようになったよ。
-エル・パソ現地で何かエピソードはありましたか?
Tim:(Alの方を見て)あの2時間の洪水かな(笑)。
Al:そうそう、スタジオはペカンナッツの農園の中にあって、ペカンの木に囲まれているんだけど、ある日そこの農園が洪水のように水を(農園に)流し始めたんだ。
Tim:どうしようかと思ったよ、ある日スタジオに行ってみたら周りが水だらけでさ!
Al:雨もずっと降っていないのに、いきなり巨大な湖みたいなのが出現したんだ(笑)。スタジオの後ろのエリアは埃っぽいバスケット・コートになっていて、他のみんなが中で楽器をレコーディングしている間に外でヴォーカルの録音ができるように、そこにブースを作ってあったんだけど、それも水没してた。"これ大丈夫なのか!?"ってパニックになってたんだけど、スタジオの人たちいわくそれが普通で、ときどき水やりのためにそうするらしい。小さなダムみたいなのがあって、そこに運河の水量を調整するドアみたいなものが付いていて、それを開いて農園のうねの間に水を一気に流すんだよ。最初にスタジオに着いたときには、そのうねの部分が乾ききっていたから、てっきり今は使われていないんだと思っていた。
Tim:テキサスの砂漠の中だから、36時間後くらいにはまたカラカラに乾ききっていたけどね。
-このアルバムはKen Casey(Ba)によって設立されたチャリティ団体、Claddagh Fundに触発されたとのことですが。
Tim:俺たちはチャリティのための演奏などをよく依頼されていて、そこで俺たちのファンはそういう活動にとても協力的だということに気がついたんだ。それで自分たちの人気も出てきて、勢いがついていたところで、それを善意に活かせないかと考えるようになった。それで退役軍人や薬物・アルコール中毒のリハビリ、家庭内暴力などに関する支援のためにCladdagh Fundを設立したんだ。
Al:というのも、そういうチャリティ活動への需要は社会に絶えずあることに気づいたし、俺たちは初期からそういう活動に関わる機会が多くて、ファンたちもとても協力的だったんだ。だからこのCladdagh Fundは距離感が近くて、地に足のついた普通の人間という、俺たちのバンドとしての出発点から変わらずにいるためのひとつの方法なんだ。俺たちのそういう部分は変わっていないけれど、バンドの人気は俺たちを以前とは違う社会的立場に押し上げている。でもそれはファンのみんなが成し遂げたことだよ。例えばさっきも言ったボストン・マラソンの爆破事件のときには"For Boston"としてTシャツを販売したら、1週間もしないうちに40万ドルも集まって、ファンのおかげでそれを寄付することができた。演奏するために世界中を回るなんて夢のような人生で、とても頭が上がらないし本当に幸運だけど、同時にそれをすべて忘れて全部自分たちで成し遂げたような気分になって、自分たちのことだけを考えるようになってしまうことはとても簡単だ。俺たちはそうなってしまうことに抵抗があるから、Claddagh Fundはこういう姿勢を続けるためのチャリティ手段なんだよ。
-ボストン・マラソン爆破事件については、「4-15-13」(Track.10)という歌にしていますよね? ここに込められたメッセージは?
Tim:あれは事件後の余波だったり、その中で生活を乗りきろうとする様々な人々について歌っているんだけど、ああいう事件はひとつ幸運なことがあって、ボストンや9.11のときのニューヨークという都市を、それまでにない形で団結させることができるんだ。そういうひどい事件のあとに人々が互いに示す愛などについての曲だよ。
Al:特にあの事件からはそれほど時間が経っていないから......普通ああいう大きな社会的事件について触れるときは、だいぶ時間が経ってから曲にするものだからさ。曲を作るうえで、関わった人たちを尊重したものになるように気をつけなきゃいけなかった。悲惨な事件を自分たちのカネ儲けのネタにしたくはなかったんだ。そのメッセージが伝わるようなものになったと思うし、できあがりには満足しているよ。
-「Paying My Way」(Track.6)では中毒を克服して人生に価値を見いだすことがテーマのようですが、これもCladdagh Fundの活動を通して生まれた歌ですか?
Al:うん。特にニューイングランドというかアメリカ全体で、オピオイド(※モルヒネ、ヘロインなどケシを原料とする合成麻薬で、医療用鎮痛剤としても頻繁に使われる)中毒のまん延が重大な問題になっていて。ニューイングランドはアメリカ全体の中ではとても小さい地域なのに、中毒患者の数は膨大になっているんだ。例えば俺の出身地のニューハンプシャー州は人口150万人にも満たないのに、人口あたりのオーバードーズ(過剰摂取)による死亡者数は全米1位だ。州内に住む誰もが、少なくともひとりは周りにオーバードーズで死んだ人がいるか、あるいはオーバードーズで死んだ身内がいる人を知っていることになる。そういう問題が、アルバムにも反映されていると思うよ。無視することのできない問題なんだ。いくつもの葬儀に行ったし、俺たち全員の家族にも何らかの形で影響を与えたことがあるからさ。それについて声を上げなければいけないし、これほど強力で中毒性の高い薬をむやみにばらまく大手製薬会社に対抗しないといけない。3日や4日服用しただけで中毒になるような劇薬なのに、まともな診察もなく簡単に処方されていて、医者はそれらの薬を推奨することで製薬会社からカネを受け取っている。そして処方箋が切れると診察もなく、"数日過ぎれば(離脱症状が)治まるから、それまで休養が必要"ということすら教えないから、患者は中毒症状が出て動揺する。そこで誰か身近な人が、"前に処方されたのが残っているから"って言って手持ちの薬を譲って中毒症状が悪化して、それもなくなると今度は他のどこかで手に入らないかと探しているうちに、街で誰かが声を掛けて"あんたが飲んでたのはオキシコドンって薬で、1錠100ドルする。ここにヘロインもあるけど、こっちは1袋15~20ドルだ"なんて言ってヘロインを売りつけられる。そういうヘロインの中には、病院で手術時の麻酔に使われるヘロインの100倍も強いフェンタニルが混ぜてあることもあって、それが血液に吸収されるとすぐ死に至るんだ。