MENU

激ロック | ラウドロック ポータルサイト

INTERVIEW

HYDROVIBE

2010.03.10UPDATE

2010年03月号掲載

HYDROVIBE

Member:Heather St. Marie (Vo) Mat Dauzat (Gt&Vo)

Interviewer:MAY-E

-ギタリストのMat Dauzatは、Kelly Osbourneのワールド・ツアーに参加していた経歴を持つそうですね。Osbourne Familyと親交が深いようですが、あなた方から見てOsbourne Familyはどんな存在ですか?

Heather St. Marie(以下H):私達がL.A.に移ってきてすぐに、Sharon OsbourneとKelly Osbourne がKellyのバンドのリード・ギタリストにMatを選んでくれたのよ。Osbourne Familyは彼を世話してくれて、私もすぐにOsbourneの結びつきの強い輪の中に入れてくれたの。

Mat Dauzat(以下M):Osbourne Familyは俺を家族のように扱ってくれたんだ。Kellyと仕事をするのはすごく楽しかったし、ワールド・ツアーやテレビショウで演奏した事も素晴らしい経験だった。Sharonは最高にクールなロックママだよ。彼女は本当にバンドのみんなのことを気にかけてくれて、俺は彼女からミュージック・ビジネスについて色々と学んだ。彼女はデキるビジネス・ウーマンなのさ。Ozzyもすごく楽しい人だね。俺は、Ozzyから昔のBLACK SABBATHやソロの時代の本当に貴重な話を教えてもらったんだ!Ozzyからはいつも良いアドバイスや知識をもらっているよ。俺は常に“一番から学べ”ということをモットーにしているんだけど、プリンス・オブ・ダークネスであるOzzy以外に最適な人なんているかい?

-そのKelly Osbourneとのツアー中も、Heatherと共にHYDROVIBEの曲作りを進めていたそうですね。当初はメンバーが2人だけだったそうですが、当時HYDROVIBEに抱いていたヴィジョンはどのようなものだったのでしょうか?

H:MatがKellyのツアーに出かけている間に作曲に専念できたことで、作曲のスキルというものにすごく焦点を当てることが出来たわ。私達は、何でもクールに聴かせたいというバンドではないのよ。だから、素晴らしい曲を作ることに神経を集中させたの。私達は、離れている間に曲作りのステップアップをして、HYDROVIBEの音というものを特徴づけたの。とても難しい事だったけれど、バンドに相応しいミュージシャンを見つけた時に、私達は、目標を高く掲げていたんだわ!!!ということがわかったのよ(笑)

-曲作りは、現在もMatとHeatherを中心に作られているのですか?曲作りのプロセスを教えてください。

H:HYDROVIBEのモットーは、曲が一番大切だということ。私達は、曲は自然に進化していくことが大切だと思っているの。絶対に強引にはしない。私達はたくさんの方法で作曲をしようと試みているわ。Matがデモを私に送ってきて・・・いくつかのコーラスやメロディの1部分だけの時もあれば、ラフにレイアウトされた状態の1曲まるごと送ってきたりもするし。逆に、私がMatにヴォーカルのアイデアを持っていって、そこに音楽を落とし込む場合もあるの。例えば「Liberate」とかね。他にも、バンドで集まって曲を書いて録音したりして、私が歌詞を書く場合もあるわ。1時間足らずですぐに出来た曲もいくつかあるけれど、大抵の曲は完成するまでに数ヶ月かかるのよ。

-「Killer Inside」は映画SAWⅢに起用されていますね。メンバーが揃ったばかりの当時のあなた方とって、大ヒット映画に起用されたことは大きなターニング・ポイントになったと思うのですが。

Mat:SAWの映画関係者から直接連絡をもらったんだ。SAWでAmandaを演じている女優のShawnee Smithを共通の友人であるRobert Trujuillo(当時Ozzy Osbourneのベース・プレイヤーで、現在はMETALLICAのベース・プレイヤー)から紹介されたんだよ。Shawneeが俺たちをSAW II and SAW IIIのディレクターであるDarren Bousmanに紹介してくれて、2人がハリウッドでの俺たちのショウを見てくれたんだ。その時、彼らはSAW IIIを撮影している最中で、彼が俺たちに劇中でShawneeが演じているAmandaへの特別な曲を書いてくれないか、と尋ねてきたんだ。SAW III でのAmandaが演技しているシーンで「Killer Inside」からインスパイアされた場面があるよ。そして、俺達はShawneeにその曲のゲスト・ヴォーカルをお願いして、その後PVにもゲストとして登場してもらったんだよ。

-07年に5曲入りのデビューEPを一枚リリースしただけで2年間のアメリカ・ツアーに出たそうですね。ツアー中のエピソードを教えてください。

H:2年もロード・ツアーをやっていたら、本を書けるくらいの話があるんじゃないかって想像できるでしょ?(笑)中でも忘れられない思い出は、ジョージアでのショーでステージに機材を運んでいる時に、ものすごく重いギター・アンプがMatの足に落下したことね。Matの足の骨が粉々になったのよ。すぐに救急病院に行かなければならないし、その夜のショーは当然キャンセルになると思ったけど、驚いたことに彼は病院から戻ってきて、激しい痛みに耐えながら思いっきり笑顔を見せて“ロック・ショーをやろうぜ!”って言ったのよ。その後の3ヶ月も骨折した足のままツアーを続けたの。クレイジーよね!大変なことも色々あったけれど、バンドの結束力はますます深まったし、みんなステップアップ出来たわ。