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INTERVIEW

Neverlost

2013.08.16UPDATE

2013年08月号掲載

Neverlost

Member:Yu (Vo)

Interviewer:ムラオカ

-確かに資金的な面でもコネクション的な面でも自分たちの力だけで県外にツアーに行くことはなかなか難しいですよね。

そうですね。選択肢として考えてなかったですし、すぐにできるとも思ってなかったですね。

-やはり関東や関西などに住んでるバンドよりハードルは高いと思いますか?

そうですね。行かないと繋がりも持てないですし、離れてるんで行く機会もないですし。

-レーベルがそういう繋がりのきっかけにもなったわけですね。沖縄は独特な環境やシーンだと思うのですが、そういった環境が活動や方向に影響を与えたところはありますか?

僕が個人的に1番影響が大きかったのが、米軍基地の中の子と交流することが多くて。音楽的に最先端な洋楽を情報収集して聴いていたり、ファッションの面でも音楽的な面でも海外の子から刺激を受けました。ロックだけじゃなく、ヒップホップも聴くようになりましたし。常に自分の回りには音楽がありましたね。

-音楽的な面で言うと例えばROACHなどは沖縄の郷土の色をサウンドに取り入れてますが、Neverlostはどちらかというと沖縄というより、基地など海外からの影響の方が強く感じます。

沖縄っぽさを出さないように意識してるわけではないんですけど、曲には出ていないですね。沖縄の人として誇りは持ってるんですけど、曲に今出したいと思ってないからなのかな?でも今後は少し考えてて、三味線とかブレイクダウンで入れたら面白いかなって考えてます(笑)。

-そうなんですね。それは楽しみにしています。話は変わりますが、今年3月に1st EP『Neverlost』をリリースしましたが、初のフル・アルバムでしたが自分たちに今振り返ってみてどんな作品ですか?

勢いがハンパないですね。最初曲にまとまってなくて、それをみんなで曲にしました(笑)。

-(笑)断片的にできたパートをまとめる作業が大変だったということですか?

自分たちがライヴをしてても、聴いてる側のことを考えたことがなくて。ちゃんとした音って考えた時に、演奏する側と聴く側の両方のことを考えたり、自分たちがどれだけの演奏なのかとか考えたことがなくて。でもスタートしたいって気持ちがあったんで、みんなでなんとか形にしていきました。

-それまでにライヴでやっていた曲もアルバムに入っていますが、アレンジを大幅に変えたりしたのでしょうか?

しましたね、結構分かりやすくしました。バラバラだったり、ブレイクダウンいっぱいだったりしますけど、そういうのをシンプルにしていって。それが凄く勉強になったんです。前は好きなだけ好きなフレーズを弾いて、好きなブレイクダウンを入れてって感じでしたが。

-足し算でどんどん詰め込んでいたものを、冷静な耳で作品を判断する時に、“この構成だとまとまりがないかなと引き算をしていくことを覚えたという感じでしょうか?

本当にそうですね。音作りの面も、構成の面も。

-その頃から沖縄県外での活動も増えてきましたが、ずっと沖縄で活動してきたNeverlostとしてどんなことを感じましたか?

やっぱり東京に来ると、僕らができないようなことをやってるバンドがいっぱいいて。ガチガチなメタルコア、ハードコア、デスコアだったり。そういうのを見て“本場だな”って思いました。REMEMBERING SENSATIONとかASHLEY SCARED THE SKYとかFEAR FROM THE HATEとか、ライヴを観に行ってビビリましたね。僕らまだペーペーだなって(笑)。僕らが作った曲は凄いメタルコアだって思ってたのが、“あ、まだちょっとポップだな”って。実はコテコテな音楽が好きだったので、もっとコテコテな表現をした方がいいかなってそういう葛藤がありました。

-でも新作『BELIVE』はどちらかというと逆方向にすすんでますよね。

そうですね。というのも最近いろんなジャンルをどんどん聴くようになってて。PARAMOREとかRADIOHEADとか。メタルコア、スクリーモだけじゃなくロックと言われるもの、あとエレクトロ、ヒップホップも、そういうもの全部に興味を持ち出して。僕らいずれ最終的にはメタルコア・バンド、スクリーモ・バンドではなくロック・バンドになりたいなって、そういう思いが今回大きかったです。

-今作はシンセも多く導入されてますが、シンセのアレンジはどなたが担当されているのですか?

一緒にやってくれたエンジニアさんです。今回初めて一緒にやったんですけど、限られた時間の中でしたけど、まず仲良くなることから始めて、お互いのことを話して理解し合ってから制作を始めました。