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INTERVIEW

GOROD

2012.09.03UPDATE

2012年09月号掲載

GOROD

Member:Mathieu Pascal (Gt) Julien "Nutz" Deyres (Vo)

Interviewer:米沢 彰

-プログレッシヴ・メタルはひたすらテクニックを追求した難解なサウンドとなりがちですが、あなた方はテクニックを追及しながらも、Track.6「5000 At The Funeral」のイントロなど時にエモーショナルに展開し、より楽曲の構成に深みを持たせているように感じました。作曲のプロセスではどういったことを意識して楽曲を組み立てているのでしょうか?

M:そうだね。俺は音楽はリスナーにとってエモーション(感情)を伝えるべきものだと思っているからね。エモーショナルでないとリスナーの心は掴めないと思うんだ。メタル、特にデス・メタルでは、表現する感情が憎しみや怒りだけに偏りがちだけどデス・メタルでもいろいろな感情を伝えるべきだと思っているんだ。例えば喜びや情熱、前向きな感情もね。悲しみや攻撃性だけでは面白くないよね。もちろんメインはそういう感情になるわけだけど。

-ツイン・リード・ギターのエモーショナルなメロディが印象的ですが、ギタリスト2人のどちらが主にギターのメロディ・ラインを書いているのでしょうか?

M:うん、さっき言ったようにメインで書いてるのは俺なんだけど、Nicolasも素晴らしいギター・ソロを書いたりするよ。俺は全部自分が書きたいっていうわけじゃなくて(笑)、良いアイディアがあればそれを採用したいし、みんなと相談しながら作っているんだ。

-今作の制作にはゲスト・プレイヤーとして、OBSCURAのChristian Muenzner、THE FACELESSのMichael "Machine" Keeneが参加したとのことですが、どのような経緯でゲスト参加が決まったのでしょうか?

M:特に彼らを説得するのに特別なことはしなかったんだけどね。ただ丁寧にお願いしただけだ(笑)。Christianとはフェスで良く会ったりしていて、彼は本当に良いヤツだし、彼がやってる音楽も大好きなんだよね。OBSCURAのメンバーが以前俺たちをツアーに連れて行ってくれたりしていてつながりがあったから、ゲストで出てもらうのもスムーズだったよ。俺たちがやったことは、彼に好きなことをやってもらうスペースをあげたっていう、それだけのことだったんだ。彼が絶対に素晴らしい仕事をしてくれるって分かってたからね。ジャジーなスピード・ソロが曲にぴったり合っていて、俺たちの想像以上出来映えだったんだ。THE FACELESSは去年一緒にツアーして1ヶ月一緒に過ごしたんだけど、本当に素晴らしいツアーだった。俺たちにとってはじめてのちゃんとしたヨーロッパ・ツアーで、一緒にツアーしたのが本当に有意義だった。彼らは演奏も卓越してるけど人間的にもナイスな奴らなんだ。Mikeは本当に才能豊かなギタリストで作曲家なんだよね。それに俺たちと受けた音楽的な影響も似ているんだ。エモーショナルで美しいギター・ソロを「The Axe Of God」で弾いてくれているよ。

-また、あなた方にとってOBSCURA、THE FACELESSの2つのバンドはどのような存在なのでしょうか。

M:どちらもミュージシャン、バンドとして素晴らしくて、且つ人間としても良い奴らっていう共通点があるね。彼らとツアーできたことは楽しかったし、誇りに思ってるよ。実はTHE FACELESSの音源はツアーする前はちゃんと聴いたことなかったんだ。だから俺自身、彼らを知って凄く驚いたよ。CDの音源で聴くと、ちょっと冷たいイメージがあるんだけど、ライヴで聴くともっと音楽に人間性が感じられて本当に圧倒された。それに演奏も本当に完璧だったからね。OBSCURAについては、ちょっと違っていて、彼らの音楽は既に良く知っていたんだよね。真のプロって感じだし、ショーは常に非の打ち所がないバンドだよ。

J:俺はOBSCURAもTHE FACELESSも今の世代で超最高レベルのテク・デス・バンドだと思う。タイトな演奏、それからメロディとブルータリティが合わさった感じがMONSTROSITYの『Millennium』を髣髴とさせるよね。このアルバムは、このジャンルのマイルストーンだから。

-今回のプロデューサーは同じフランスのFrederic Elmobo Motteという方ですが、彼はどのようなプロデューサーなのでしょうか?

M:Elmoboは俺たちの古い友人なんだ。彼もボルドーに住んでいて、彼の手がけた作品も良く知っていてね。この作品で俺は初めてプロダクションの責任者を担当しなかったんだ。彼を選んだ理由は、誰か知っている人が良かったっていうのがあるね。知り合いの家の部屋でドラムを録音して、それ以外は俺のスタジオ、Elmoboのコンクリート・スタジオ、ロックスクール・バービー・スタジオを使って録ったんだ。レコーディングやミキシングをし始めたのが11年の10月で終わったのが12月だったね。みんな別の仕事があるから、もちろん実質2~3週間しか時間は取れてないんだけど。その段階でOBSCURAとのツアーが決まったもんだから、慌てて進めたんだよね。彼は耳が凄く良くて、それに素晴らしいアドバイスをたくさんくれた。それに何よりも非常に協力的だったんだ。