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激ロック | ラウドロック ポータルサイト

INTERVIEW

2side1BRAIN

2010.11.22UPDATE

2010年11月号掲載

2side1BRAIN

メンバー:俊太郎(Vo) / U-tang(Gt)

インタビュアー:ムラオカ

-アルバム完成おめでとうございます。

2人:ありがとうございます!

-6月に4曲入りの『Pray for you』をリリースしましたが評判はいかがでしたか?

俊太郎:沖縄では凄く反応が良くて、タワーレコード那覇店のチャートでも10日間で上半期の4位に入りました。1位じゃないのが少し残念なんですけど(笑)。ただ『Pray for you』は自主でやってて内地のディストリビューションっていうものを探さないまま沖縄だけでリリースしたんですね。今になってやっとSTM ONLINEさんとか礎さんなどのオンライン・ショップでは買える状況にはなったんですけど、沖縄限定というような状態になってしまったのは少し残念でしたね。

-今回のフル・アルバム『WAKE UP MY EMERALD』のリリースですね。今の気持ちを教えてください。

U-tang:今、自分達にあるものを全部出し切れたかなと。自分で聴いてもちょっとにやけてきますね。みんなが聴いてどう思うかが楽しみです。次の作品の創作意欲にも繋がってる一枚なので自分達の可能性も見えたと思います。

俊太郎:激ロックのインタビューを受けていることが凄く嬉しいですね(笑)。

-ありがとうございます(笑)。

俊太郎:それが本当に録り終わったんだなっていう実感にも繋がってる感じがしますね。
今回はディストリビューションもしっかり見つけてやっているので全国の人に届けられるのが本当に嬉しいです。

-制作において最も苦労した点を教えてください。

俊太郎:沖縄にいるとどうしても日本のシーンに認知されないじゃないですか。日本のロック・キッズたちの胸に刺さるような楽曲を書きたいと思いましたし、アジアのファンにも刺さる作品を作ろうってことをちょっと意識し過ぎるところもあって、凄くいろいろ考えてしまったんですけど、最終的には開き直って素直にやれたんですが、その時間が大変でした。

-意識し過ぎたということですが詳しく教えてください。

俊太郎:意識し過ぎたというのは、どうにかアジアのシーン、アメリカやヨーロッパのシーンを繋げたいっていう気持ちが凄く強かったんです。日本の中でもそれを感じさせるような作品を絶対作らなきゃいけないという変な意識を強く持ってしまっていましたね。

U-tang:普段練習しなすぎて、レコーディングに苦労しましたね(笑)。

俊太郎:あと新メンバーが入ったじゃない。ちょうど俺たちもギターが抜けてHIGH and MIGHTY COLORが解散してそこのギターであるMEGが加入してのレコーディングになったから、その点、楽器隊は苦労したんじゃないかな?

U-tang:でもかなり有能な子なんで、レコーディングするためのノウハウを知ってるから、大変だった分、おかげでスムーズにいった部分もあるし、録るまでの過程も非常にスムーズだったんでMEGの加入で新しい可能性が見えてきましたね。

俊太郎:メンバーが代わると新しく作り直さなければいけない部分もあったりするけど、それはそれでいい相互作用を出せた気はするね。

U-tang:うんうん。

-今メンバーさんは5人ですよね?

俊太郎:そうですね。

-ちょっと前に6人編成の時ってありませんでしたか?

俊太郎:はいはい、ありました!
ヘルプで入ってくれてた時期があってちょっとステージに慣れようってことで、少しの間だけ、トリプル・ギター編成っていうIRON MAIDENのような(笑)これがまた米軍基地の米兵に大うけでしたね(笑)。

U-tang:自分達でやってても凄い音圧だなって。

俊太郎:ずっとこれでも良いんじゃないかなってちょっと思いました(笑)。

-プロデュースは自分達で?

俊太郎:そうですね、自分達でやりました。ZESTONE RECORDSさんとか凄い頑張っていますけど、沖縄の中でレーベルを立てていきたいっていう気持ちがあるんですよ。ちゃんと自分達でプロデュースしてしっかり良い物を作りたいっていう気持ちがあってセルフ・プロデュースにこだわりました。

-この経験を生かして若手のバンドをプロデュースしていこうと?

俊太郎:そうですね。若手たちを育てたいのでそれは視野に入れています。

-話は変わりますが、「Wake Up My Emerald」や「Warmth」「Make Your World」などアルバムの中核を成しているのは初期FUNERAL FOR A FRIENDやFINCHなどの初期スクリーモ・サウンドを強く感じさせる曲ですね。

俊太郎:今の音楽シーンってスクリーモっていうジャンルが凄くピックアップされてきている時代にあると思うんですね。俺らはアメリカの文化を享けている沖縄という都市で生まれたバンドなので、スクリーモって言われているジャンルから影響を受けているというよりも、どちらかというと軍の子供達がやっているバンドと対バンをしたりして自然にこういう形になっていったんですね。意識してスクリーモというジャンルの音楽を聴いたことがなかったですね。もともとやっていたスタイルはメロディックなヴォーカルにそこに絶叫が入るっていうニューメタルに近いスタイルだったと思います。それからアメリカのティーンエイジャーたちとか沖縄に住んでいるアメリカ人バンドと一緒にやっていくうちにこういう音楽もかっこいいなあ、面白いなあと自然に消化していった気がするんですよ。自分達では意識したことはないんですけど、確かに聴いた人の多くがスクリーモ・サウンドだって言われています。
ちょっと話は逸れますが、インタビューの中で話しておきたいことなんですけど、戦後65年経ってますが、65年前って俺らが生まれる前の話じゃないですか。俺らの小さい頃ってテレビの6チャンネルをつけるとアメリカの放送が映ったんですよ。MTVみたいのもやってたし、ラジオをかけてもアメリカの放送があってハードロックとかそういうものが流れているし、そういう環境の中で俺たちは育ってきてこの65年の間、沖縄の文化とアメリカの文化と日本の文化が凄くミックスされてるんですよ。俺たちにとってヘヴィなサウンドとかディストーション・サウンドとかっていうのは凄く当たり前のものとしてあるんですよ、ガキの頃から流れていましたから。アジアの中からロックンロールへの返答がいつか出来るんじゃないかって、そういう気持ちを俺らは持っていてそれもやりたいなって思うことなんです。話は脱線したかもしれないですけど(笑)。