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INTERVIEW

FOXPILL CULT

2015.01.07UPDATE

2015年01月号掲載

FOXPILL CULT

Member:西邑卓哲 (Vo/Gt/映像/Per) プエル (Noise Pianica/Per) モチヅキマサル (Percussion Leader)

Interviewer:小林 詩央里

-それぞれの曲の存在感が際立った濃密な15曲が集まった作品だと感じました。制作にはどのくらいの期間を要しましたか?

西邑:戯曲的な構成を思いついたり物語の原因となる出来事が起きたのは3年前ですが、そのときは作品として思想としての回答も産めず、音楽的にも再現が難しく実現しませんでした。その間に前作を出したり"廻天百眼"の本公演の音楽監督としてアルバムを数枚出したりする中で、徐々にライヴでの再現方法含め構築していきました。それらの約3年の経験と核となる数曲と背景の綿密な構築を元手にして、去年の7月から9月までの2ヵ月間であえて即興性を重視して一気に作り上げました。

-作詞作曲に加え、アートワークも西邑さんが手がけているそうですね。歌詞カードを開くと、歌詞の文字に様々な色が使われていたり絵柄から文字が飛び出していたりと斬新で、細部にまで行き渡るこだわりを感じました。この点について詳しく教えてください。

西邑:特に今作はカルト宗教を題材に1本のストーリーがあって、戯曲的な要素も強いというのもありますが、ジャケットもそうですし、自分にとっては歌詞カードも文字のフォントや大小、色まで含めてひとつの作品という認識が強くあります。今はmp3で聴くことが主流の世の中かもしれませんが、自分は歌ってる歌詞と歌詞カードの歌詞に一部違いがあることに意味を持たせていたり歌詞が滲んでいたりするところまで、全ての錯覚を含めた体験こそが表現だと考えています。あいうえおの脳味噌もまた揺れているというか、文字が印刷されなかった余白こそが芸術を産みだすと思います。

-Track.1「鎖国した一寸法師」には元PLASTICZOOMSのShinpei Morishigeさんが参加されていますが、彼が参加した経緯を教えてください。

西邑:彼は尊敬する大好きなミュージシャンであると同時に親友というか家族のような存在で、FOXPILL CULTがまだ生まれて間もないころ、俺がまだケツの穴を茹でたような音楽を死んだ魚のような目でやってるころからの仲なんです。でも友達ゆえに共演に関してはすごく慎重に考えていたのですが、今作が完成に近付いたときに"これは自分にとって記念碑的な作品になる"と思い、一緒に作品を残してくれないかと彼に1曲目の物語が始まったときの音を依頼しました。

-Morishigeさん以外にもTAIZOさん(ex-FEEL)や女優のこもだまりさんなど、多様な面々がゲスト参加されています。それぞれのかたにゲストで参加いただいてみていかがでしたか?

西邑:ふたり共、僕にとっては数少ない本当にお世話になった同志のような人たちなのですごく自然でもあるし、それ以上に尊敬しているが故に気軽に触れられない存在でもあるので不思議な感じです。TAIZOさんはギタリストとして、こもださんは演技方面のことや演劇におけるアングラのことについてたくさん学ばせて頂いている師匠的な存在で、作品に強烈な色彩の深みと立体感が加わったと感じています。

-Track.4「ファウストと異邦人」はミュージック・ビデオにもなっている曲ですね。音源からも感じた宗教的なイメージを増幅させる作品ですが、どのようなところからインスピレーションを受けているのでしょうか?

西邑:カルト宗教や変なビジネスにハマってる友人やバンドマンを必死に説得してるときの僕の脳みそとその人の脳みそを立体にしたものです。"猿の脳みそに電気ショックを与え続けたら見た夢"のようなものを紙に書いてから映像に書き出しました。

-Track.6「秋霖ヒソム▲神隠し」のように、ときどき挟まれるとびきりポップでキャッチーなメロディによって、バンドがアンダーグラウンドに傾倒しすぎずいいバランスを保っていると感じました。そのあたりは狙っている部分なのでしょうか?

西邑:はい、あくまでポップであろうと思っています。ノイズだけでポップになれるならそれもすごいのですが、その境地には我々はまだありません。それでポップスってなると極一部を除いてすごく軽薄でコピー機のような要素もあると思うのですが、その軽薄さを逆に利用したりポップスに対する皮肉や洗脳の一種的な意味であえて使い倒すこともあるし、アンダーグラウンドという本来何をやっても自由なんじゃないかという場所ですら、今やその枠で形骸化し始めたり縄張り争いや権威主義がのさばる状況に対しての"自由にやったるぞ!!"っていうカウンターとしての意味も強くあります。でもそんな意義や思想なんてものより単純に素直にいいメロディが生まれたときに自然にポップになってる瞬間もありますし、自然な気持ちは重視しているので、我々にとっては束縛ではなく自由を産むためのポップという感じです。