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INTERVIEW

AT THE DRIVE IN

2017.04.20UPDATE

2017年04月号掲載

AT THE DRIVE IN

Member:Tony Hajjar(Dr)

Interviewer:鈴木 よしゆき

-資料によると"2015年10月に、僕たちはどんなことが起ころうとアルバムを作るということを決めた"とありますが、この時点ですでにKeeleyは加入していたのでしょうか?

いや、去年の3月にLAでショーがあったんだけど、そのリハーサルの3日前にKeeleyに連絡したんだ。僕からKeeleyに電話して事情を説明して、そのときに彼は"わかった。ちょっと家族に確認させて"って言っていて。当時、彼はひどい骨折が治ったばかりだった。3年前にバイクに乗ってたときに、車と衝突事故を起こして、約10メートルくらい吹っ飛んだんだ。あと少しで左足を切断するところだった。しばらく会ってなかったけど、僕はKeeleyとすごく仲が良かったから、奥さんからのその連絡は、人生でも最も怖い電話だったよ。何度も手術を繰り返して、しばらく精神的にもすごく厳しいところにいたんだ。僕が電話したとき彼は、最後の手術を終えて、ちょうどギブスを外す目処が立ったときだった。その時点で足のほとんどは鉄だったから、僕からの話は彼にとっては考えないといけないことだった。"医者とも話して、奥さんとも話して、連絡するよ"って言われて、数時間後に電話がかかってきて"やるよ。いつ行けばいい?"って聞かれて、僕が"3日後だよ"と言って、すごく長いトラックリストを送ったんだ。そしたら彼はすぐに練習に取り掛かった。Keeleyが証明したポジティヴさが本当に素晴らしくてさ。だって足を失いかけて、何度も手術を繰り返して、それでも前向きにリハーサルに来たんだよ。それが本当に素晴らしかった。僕たちは今自分たちの頂点にいて、すごくハッピーなんだ。もちろんアップ・ダウンもあるけど、それもコントロールできるようになった。長年休止していて、それでもこうやって集まってやりたいことをやれてて、みんなが観に来てくれる。そんな状況をすごく恵まれているって自分たちでも実感してるんだ。それに甘んじることはこれからもないよ。

-新メンバーのKeeleyは、具体的には現在のAT THE DRIVE INにおいて、どんな貢献を果たしてくれているのでしょうか?

ミュージシャンに加えて、彼はデザインやグラフィックがすごく得意で、Cedricと一緒にいろいろとデザインに携わってるんだ。レコード周りのアートワークや、ステージのデザイン、そしてグッズまで。でも最も重要なのが、さっきも少し言ったけど、こんなスパルタな状況なのに、彼はバンドにすごくポジティヴな雰囲気をもたらしてくれて、それが僕たちにとってすごく大きい。ネガティヴな野郎が集まってるこのバンドをポジティヴにしてくれるんだよね。作曲家、ギター・プレイヤー、コーラスっていう役割を超えて、彼にはそういう才能があるんだ。僕たちがそれぞれいろんなパーソナリティを持っているなか、彼はオール・イン・ワンな感じがして、それがうまくチームにマッチしてるんだよね。彼みたいなポジションに立たされてズカズカと入ってくる人も中にはいると思うんだけど、彼はどこに踏み込むべきか、どこで一歩引くべきかもよくわかってる。その感覚が僕たちにすごく精通してるんだよね。お互いを尊敬していることを表していると思う。

-アルバムは、昨年"SUMMER SONIC"で日本に来る前に、韓国で制作が進められたそうですね。韓国に行くというのは誰のアイディアで、どういう理由で決まったのでしょうか。

どちらかというと、ツアー行程に関係してたんだ。ツアーの最後の方に、韓国でのフェスの話があって、みんな行ったことがなかったから行ってみたかったんだ。そのあとに、日本で最終の2本のライヴが決まって。韓国でのフェスと日本でのフェスの間に5日間あったんだけど、みんな帰るのがもったいなかったから。だから9日ほど早く韓国入りして、誰もいない小さなスタジオを借りることにしたんだ。たしかあのあと、ふたりのテック(現場スタッフ)も一緒に来たと思う。

-10時から19時までしか使えないというスタジオで、数日間の滞在のうちに、アルバムのどの程度までを完成させられたのでしょう? その後のロサンゼルスに戻ってからのレコーディングは、どんなふうに進んだのですか? 録音時の様子を教えてください。

スタジオは10時から19時までだったから、毎朝9時半にロビーに集合して、みんなでコーヒーを買って、スタジオに入って、10時から19時まで通しで作業したんだ。止まるのは、ランチを食べるときだけで、1年間書き溜めたデモをすべて聴き直して、とにかくそれに取り組んだ。未知なるところから曲が生まれて、2~3回生まれ変わった曲もあったよ。間に1日だけ韓国のフェスに出演して、休みなくまたスタジオに4日間ぶっ通しで入ったんだ。その期間でアルバムの80パーセントはできてたと思う。その後、日本に行ってサマソニで2本ライヴをして、ツアーを終えたんだ。すごく素晴らしい気持ちだった。"韓国でアルバムを制作してたんだ"なんて言ったらロマンチックに聞こえるかもしれないけど、本当のところ、行程が理由でそうなった。でも、結果その経験が僕たちにすごく栄養を与えた。最も大きかったのは、僕たちがいた美しいソウルのすぐ上が北朝鮮で、その環境がアルバムのフィーリングにすごく影響したってことだね。サマソニの2公演のあと、僕たちは1ヶ月休みをとって、休み明けすぐにプリプロを始めた。そこで僕たちはいろんな曲を捨てたんだ! プリプロをやるべきときにみんなで作曲を始めて、またいろんな素材が増えてね。あと、その曲の新鮮さを保つために、プリプロをやらないこともあるんだ。レコーディングの最後にその曲をとっておいて、グルーヴが出てきたときにそれをレコーディングする。今回のレコーディングもそうだった。終わりに近づいたころに"あの曲があるよね!"って言って、ある曲を引っ張り出してきて1回だけ練習して、そのまま本RECに入ったんだ。それがアルバムの収録曲の最後から2曲目にある「Ghost Tape No.9」(Track.10)だよ。それから、僕が2015年にエレクトロニックのトラックとしてデモを書いた曲があって、Omarがそれにすごいいい感じのギターを入れたんだけど、ずっとそのままにしておいたんだ。いつか使おうって思ってた。そしたらレコーディングが終わる2日前にようやくその曲も引っ張り出してきて、6時間それに費やしたらロック・ソングに生まれ変わって、アルバムの最後の曲の「Hostage Stamps」(Track.11)が完成した。そうやって僕たちは曲を完成させるんだ。Rich Costey(プロデューサー)から、"そんなふうにバンドがその場で曲を完成させるプロセスは見たことないよ"って言われたよ。みんな数時間で自分のパートも完成するんだよね、Cedricも含めて。最近はどのバンドも辛抱強さがないからか、推し曲を頭に持ってくるようにするんだけど、僕たちはそうしなかった。レコード1枚としてちゃんと考えた。だからもし「Ghost Tape No.9」と「Hostage Stamps」を聴かなかったら、その人は怠け者で、レコードを本当に聴きたい人ではない。僕たちのこの意見はいろんな人に反対されたんだけど、僕たちもそれに応戦した。「Hostage Stamps」は大好きだし、アルバムの最後の曲に相応しいと思ってる。こういう考えの僕たちは孤立してるかもしれないけど、あまり音楽を気にしていない最近の主流には乗りたくないんだ。