1995年、アイオワ州デモインにてこの巨大な怪物は産声をあげる。外見に惑わされることなく、音楽に目(耳)を向けさせるため、全員赤のジャンプ・スーツにハンドメイドのグロテスクなマスクを身につける、というスタイルを創り出したのもこの頃。その後自主制作として『Made, Kill, Feed, Repeat』を発表。混沌としたヘヴィネスにまみれたこの作品が偶然Los Robinsonの耳に届き、彼が設立したレコード・レーベル"I AM RECORDING"の第1弾アーティストとして契約を交わす。Losのプロデュースのもとレコーディングが開始され、1999年7月にデビュー・アルバム『Slipknot』を発表。あらゆるジャンルを飲み込み昇華させた究極のヘヴィ・サウンドは瞬く間に話題となり、本国アメリカでは2000年に100万枚を超えるセールスを記録している。新人ながら同年のOZZFESTに参戦、その後もレーベル・メイトのCOAL CHAMBER、AMENらと全米をサーキット、他の出演者を完全に食ってしまうほどの評判を得た。同年12月には早くもホーム・ビデオ『Welcome To Our Neighborhood』(後にDVD 化もされている)を発表、ビルボード・ビデオ・チャートで1位を獲得する。2000年2月には初来日公演を敢行、全公演即日完売となり、チケットを買えなかったキッズたちとスタッフたちが一触即発の暴動寸前の騒ぎとなった、と いう伝説をも残っている。

2001年2月にはグラミー賞"ベスト・メタル・パフォーマンス"部門にノミネートされ、その同時期にデビュー・アルバム同様Los Robinsonをプロデュースに迎え次作のレコーディングを開始。レコーディング終了直後の5月中旬からヨーロッパのフェスティバル・ツアーをスタート、6月からはOZZFEST に参加して全米をサーキット、8月にはSUMMER SONIC 01 出演のため2度目の来日を果たす。そして、来日直後に発表されたのがセカンド・アルバム『Iowa』。世界規模での盛り上がりを見せていたSLIPKNOTのこの作品は、アメリカ初登場3位、イギリス1位、カナダ1位、日本でもオリコン総合チャート初登場4位を記録するという快挙を成し遂げる。OZZFEST後もSYSTEM OF A DOWN、RAMMSTEINらと共に"The Pledge Of Allegiance Tour"で全米をサーキット。翌年2002年3月には3度目の来日公演も行い、怒涛のツアー攻勢で世界を飲み込んでいった。また、2002年2月には2年連続でグラミー賞にノミネートされる。

『Iowa』に伴うツアーを終了させた後、ロンドンで行われたライヴを収録した映像作品『Disasterpieces』(2002 年)を発表するが、しばらくSLIPKNOTは活動を停止。その間それぞれのサイド・プロジェクトを始動させるなどそれぞれ別の道を歩んでいく。そのため"SLIPKNOTはもう解散か……"との噂もまことしやかに流れたのだが、その噂を吹き飛ばすかのように2003年中旬、メンバーは一同LA に渡り、Rick Rubinのプロデュースのもとレコーディングを開始。SLIPKNOTがシーンに帰ってきた、という最大の衝撃を持って放たれたサード・アルバム、『VOL.3:(The Subliminal Verses)』を2004年5月に発表。日本でオリコン総合チャート初登場2位を記録したのを始め、世界各国で大ヒットを記録。現在全世界で300万枚を超えるセールスを記録している。

バンドはアルバム発売直前の3月30日からFEAR FACTORY とCHIMAIRA を従えて約2年振りとなるヘッドライナー・ツアーをスタートさせ、その後もヨーロッパ・ツアー、そして2004 年のOZZFEST でのセカンド・ステージのトリを務めるなど、過去に類を見ないほどの規模でワールド・ツアーを行う。日本へも2004年10月の単独公演、そして05年のSUMMER SONICへの出演と2度の来日を果たす。新たにひよつのバンドとして団結した彼らの、『VOL. 3』に伴う約20ヶ月にも及ぶワールド・ツアーの模様とその興奮をそのまま封じ込めたバンド初となるライヴ・アルバム『9.0 Live』を2005 年11月に、そして2006 年12月にはそのレコーディングからワールド・ツアーまでの映像を芸術的とも言える手法で映像化したドキュメンタリーDVD『Voliminal: Inside The Nine』を発表している。

ワールド・ツアー終了後、バンドは再び休止期間に入りそれぞれのプロジェクトで活躍していたが、2007年末から地元デモインのスタジオに入り、Dave Fortmanをプロデューサーに迎える。08年8月に全員のポテンシャルを全て融合させた最新作『All Hope Is Gone』を発表。全米ビルボード・チャート初登場1位をはじめとして世界各国で凄まじいチャート・アクションを引き起こし、更なる強靭な混沌さで全世界を飲み込んでいった(日本は総合チャート2位)。アルバム発売前から新生SLIPKNOTのお披露目的全米パッケージ・ツアーを行い、Rockstar Energy Mayhem Festivalに参戦した以降も、LOUDPARK出演&ヘッドライナー・ツアー(サポートはMACHINE HEAD)のため来日公演を開催し、ヨーロッパ・ツアー、そして2009 年に入ると大規模な全米ヘッドライン・ツアーからヨーロッパ・フェスティバル・ツアーへと怒涛のツアー攻勢を仕掛けた。

この最新作に伴うツアーが終了すると、再び休止期間に入るのだが、2010年5月、突然の悲劇がバンドを襲う。設立メンバーの一人でありバンドの中心人物でもあった#2のPaul Grayが急逝してしまったのだ。一人の家族を失った彼らがどうなるのか、誰もが心配していたが、バンドはまず10 年9 月に追悼の意味も込めた映像作品『(Sic)nesses』を発表。2011年に入ると、昔からのバンドの友人をサポート・ベースに迎えてRock in Rioを含むヨーロッパや南米でのフェスティヴァルに出演し、全世界を狂乱させた。2012年6月30日からはMAYHEM TOUR のヘッドラインとして全米ツアー、また8 月18、19日には彼らが主催する初のフェスティヴァル"KNOT FEST"の開催をつい最近発表したばかりだ。