FOO FIGHTERSの歴史は音楽史上最もシーンに多大なる影響を与えたバンド、NIRVANAの“終わり”から“始まった”。
94年、当時Dave Grohlがドラマーとして在籍していたNIRVANAのヴォーカル/ギター、Kurt Cobainは突然自らの命を絶つ。バンドは解散し、残されたメンバーはまさに世界に置き去りにされた。世界は元NIRVANAに注目する。しかし、その“注目”は何を期待しているのか。成功か、それとも失敗し、無様な姿をさらす偉大なバンド“NIRVANA”の“残された”元メンバーを嘲笑したがっているのか・・・。Dave Grohlは戸惑い、恐れながらも最初の一歩を踏み出す。その瞬間から今までがFOO FIGHTERSの歴史だ。
95年、Dave Grohlはすべてのインタビュー、すべてのプロモーションを頑なに拒絶し、ライヴ活動だけをしながらそのキャリアをスタートさせる。デビュー作『Foo Fighters』(全米最高位23位)に収められているのは、おっかなびっくりではあるが、音楽しかない男が最初の一歩を踏み出したその瞬間が収められている。この作品はほぼDave Grohl一人で制作されている。
97年、その2枚目の作品『The Colour And The Shape』(全米最高位10位)をリリース。ここからFOO FIGHTERSとしての出世曲といえる「Monkey Wrench」が生まれる(因みに日本では05年に“キリン極生”のCM曲に起用され話題となった)。NIRVANA時代からの盟友Pat Smearの脱退を乗り越え、バンドはハードなツアー・スケジュールをこなしていった。こうして、FOO FIGHTERSはバンドになっていった。
99年、FOO FIGHTERSのあり方を決定付ける傑作『There Is Nothing Left To Lose』(全米最高位10位)を発表。前作のツアー終了後に脱退したFranz Stahlに代わり、このアルバムのツアーからギターにChris Shiflettが加入し、現在のラインナップが完成する。
02年、3枚目のアルバム『One By One』を発表。これがこの時点でバンド最大のヒット作となる。わずかの制作期間で一気に制作されたこの作品は、ライヴ感に溢れたサウンド・プロダクションが特徴で、パンクやヘヴィ・ロック隆盛だった当時のシーンにダイレクトに受け入れられた。長期にわたるハードなツアーだけが育むことができるバンドの精神的な結束とタイトな演奏、縦横無尽なコンビネーションが、FOO FIGHTERS剥き身の凄さとなって、この作品を最高のロック・アルバムに仕立て上げた。それを実質的に裏付けるかのごとく、03年、本作品はグラミー賞最優秀ロックアルバム賞を受賞し、400万枚のセールスを記録した。
05年、3年のブランクを経て『In Your Honor』をリリース。 アコースティックとエレクトリックの2枚のアルバムからなる大作『In Your Honor』は全米最高位2位を記録。2つの違う物語が1つの大きな物語を紡ぎだすこの作品の制作で、FOO FIGHTERSは現在のロック・シーンにおける唯一無二の存在であることを証明。日本ではこの年にFUJI ROCK FESTIVALのヘッドライナーを努め、その伝説的なパフォーマンスは今なおファンの間で語り継がれている。
06年、その延長線上にあるともいえる彼らにとっての初のコンセプト・アルバムとなる全編アコースティック作品『Skin And Bones』を発表。聴く者の耳を瞬時に捉え、そして胸を強烈に揺るがす美しいメロディー=フー・ファイ・サウンドがむき出しとなった作品である。この年彼らは初の武道館公演を果たし、同時に厚生年金会館ではアコースティック・ライヴを行っている。
07年9月、そういった一連のアコースティック作品の製作過程からバンドが受けたインスピレーションが、ロックのダイナミズムと見事に結実した傑作『Echoes, Silence, Patience & Grace』を発表。この作品で彼らは翌年08年にグラミー賞“最優秀ロック・アルバム”“最優秀ハード・ロック・パフォーマンス”部門を受賞し、彼らの来日コンサートとしては最大規模となる幕張メッセ公演で1万人の観客を魅了した他、イギリスにおいてはウェンブリー・スタジアム2デイズ、16万枚のチケットを即日完売させるという偉業を成し遂げた。
09年11月、幾度となくその発売が噂され、待ちわびられた、最強のロック・ベスト・アルバム『Greatest Hits』が遂に発売された。
そして11年、約3年のブランクを経て、7作目となるニュー・アルバム『Wasting Light』をリリース!