MENU

激ロック | ラウドロック ポータルサイト

INTERVIEW

DIAURA

2017.06.20UPDATE

2017年06月号掲載

DIAURA

Member:yo-ka(Vo) 佳衣(Gt) 翔也(Ba) 達也(Dr)

Interviewer:杉江 由紀

-DIAURAは、愚民の方々にとってのノアの方舟になろうということなのですね。

yo-ka:今思ってみても、バンドを始めたばかりのころはいろいろな劣等感とか、"見返してやりたい"という思いとか、そういうネガティヴな気持ちが原動力になっていたところが相当あったんですよ。今でもそれはなくなっていないですけど、もはや俺たちはそれだけで動いているわけではないんです。これだけの時間バンドをやってきて、それなりの作品数も残してきて、そんなDIAURAについてきてくれている人たちがたくさんいる。その事実に対する大きな責任は、やっぱりあるのかなと。そことちゃんと真正面から向き合っていきたいので、「Noah」はこうした決意の歌になりました。

-対する「シャングリラ」は、まったく別方向のベクトルを持った大胆なアプローチの楽曲となっている印象です。こちらは佳衣さんの作曲によるものですが、もともとどのような狙いを持って作ったものだったのでしょうか?

佳衣:当初はこういうかたちで両A面シングルのうちの1曲になるとはまったく予想できていなかったんですけど、方向性としては自分たち自身もそうですし、聴いている側の人たちにもノリのいい曲ならではの楽しさを伝えられるような曲を作りたかったんです。それと、この曲は前回のミニ・アルバム『MY RESISTANCE』がすごくいい作品になったという手応えを感じているなかで作ったものでもあったので、あの作品を通して得られたことも生かしていきたいな、という気持ちもありました。

-ダンサブルな要素を含んでいる楽曲だけに、ここでリズム隊の果たしている役割はかなり大きそうです。

達也:四つ打ちみたいな要素だけでなく、アッパーな雰囲気のリズムとか、この曲はいろいろなものが混ざってますね。変拍子に聞こえるようなフレーズや、ギターとベースがユニゾンしているところに対して絡んだり、あるいはわざと外しているところなんかも出てきたりするので、叩くのはちょっと大変でした(苦笑)。手数自体も多くて、珍しく自分の持っている機材をフル稼働させて叩きました。だから、ドラマーとしては大変なんですけど、叩いていてすごく楽しめる曲でもあります。

-この曲でのベースは、跳ね具合が小気味よいですね。

翔也:自分自身がこの曲を最初に聴いたときに、その跳ねた感じが面白いなということを直感的に感じたんですよ。そのファースト・インプレッションを信じました。僕も、この曲は楽しくレコーディングできましたね。こういうテイストの曲は自分にとっても新鮮だったし、新しいオモチャを手に入れたみたいで面白いです。イジり甲斐があります(笑)。

-なお、「シャングリラ」の歌メロと歌詞はyo-kaさんがつけていらっしゃいますが、こちらに関してはどのようなプロセスを踏んでいかれたのでしょうか。

yo-ka:まずは曲を聴いたときに、その音に乗せてどんなメッセージを伝えたいかということが浮かんできて、それと同時に歌メロも頭の中に流れてきたので、両方を当てはめていく同時進行型でしたね。モチーフになっているのは、今度結婚することになった友達のことなんです。そいつはここまで苦労して生きてきていて、この"愛されるはずだった あなたの温もりでさえ"という歌詞の中の"あなた"とかね、俺しか知らないことですが。もともと、この曲でそのことを書こうとは別に思っていなかったんですけど、なぜか曲に"そうさせられて"しまったんです。これは完全に、曲に仕向けられたパターンでした。でも、たしかに俺としては、彼にはずっと幸せになってもらいたかったし、この詞の中でも主人公はいろいろな試練や壁にぶち当たってしまうんですけど、そんななかでも何が大切かと言えば、それは今その瞬間に寄り添っている人なんですよね。「シャングリラ」は、それを守って愛し抜いていくという歌なんです。だから、曲調こそ違っても、詞の面で言うと「Noah」と「シャングリラ」って根底では繋がっているんですよ。

-大切なものに対する愛と誓いが、ここには確かに在るということなのですね。

yo-ka:「シャングリラ」は身近な友達のことをモチーフにしていますけど、「Noah」は俺らは俺らで愚民たちをどこまでも守っていくという歌ですし。「シャングリラ」もここからライヴで歌っていくときには、きっとそのライヴ空間が愚民たちにとってのシャングリラになってくれれば、と思いながら歌うことになるでしょうね。

-ライヴといえば、そもそも今回のシングル『Noah/シャングリラ』は9月3日に豊洲PITにて行われる単独公演"Dictatorial Garden Toyosu -unbreakable decision-"を見据えて発表するものである、というお話も先ほどありましたよね。その意味深い一夜を迎えるにあたり、自分たち自身に対して"もっとアーティストとしてこうなっていてほしい"ということがあれば教えてください。

yo-ka:俺自身がカッコいいと思える俺でいてくれ、っていうことに尽きますね。年々、自分の中でも何をもってカッコいいとするかっていう部分の基準値は上がり続けているだけに、それをクリアするだけのカッコいい俺、カッコいい俺たちでいてくれれば、何も問題はないです。むしろ、ライヴ・バンドとしてはそこしかないですね。