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INTERVIEW

Misanthropist

2017.05.12UPDATE

Misanthropist

Interviewer:杉江 由紀

自らの内にある理想を追求すべく、もともとCodeRebirthのギタリスト/コンポーザーであった克哉がソロ・プロジェクト"Misanthropist"(読み:ミサンスロピスト)を立ち上げたのは、今から1年半ほど前のこと。最新音源となる『Misanthropy』(読み:ミサンスロピー)では、NOCTURNAL BLOODLUSTを含む4人のゲスト・ヴォーカリストを迎え入れながら、彼は現時点において吐き出したかったことや表現したかったことを、すべて余すところなく集大成的なかたちで作品に投影することができたそうだ。新バンドの始動に向けても動いている最中ではあるというが、このたびはMisanthropistとしての発信を総括する意味も含めて、『Misanthropy』について克哉が語ってくれた。

-2014年にCodeRebirthが解散して以降、しばらくしたあとに克哉さんはソロ・プロジェクト"Misanthropist"を立ち上げ、ここまで発信してこられています。まずは改めて、克哉さんがソロ活動を始められた理由を教えてください。

もともとは、別にソロをやりたくて始めたわけではなかったんですよ(笑)。3年前の春にCodeRebirthが解散したあと、本当なら翌年の2015年には次の新しいバンドで活動を始めるつもりでいたものの、なかなか納得のいくメンバーが見つかりきらなかったり、見つかってもあまりうまく事が進まなかったりという状況が重なってしまったなかで、だんだんと"このままバンドという形態にこだわり続けていたら、いつまで経っても何も始めることができないな"という気持ちになっていったんです。

-動けない、音楽を創りだすことができない、ということに対しての不安や焦燥が克哉さんをソロ活動へと向かわせたわけですね。

たしかに、常に何かをしていないとまったく落ち着かないところはありますね。 あとは、僕の場合CodeRebirthの最後に出したベスト・アルバム『CATHARSIS』(2014年リリース)から作曲とギターを弾くこと以外に加えエンジニアリングもやっていましたし、バンドが解散してからもエンジニアとしての活動はいろいろとやっていたので、自分ひとりで動くとなったときにも音楽をすべて自分だけで完結させて完成させることができるな、と思っていたところはありました。

-克哉さんがサウンドのエンジニアリングをされるようになったのは、そもそも何がきっかけだったのでしょうか。

高校生くらいのころに、漠然と音には聴いていて気持ちいい音とそうではない音があることに気づいたのがまず始まりでした。友達とイントロ当てクイズを遊びでやる際には音質でアルバムを判断して、そこから曲を割り出せるくらいには音源の音質にも注目して音楽を聴いていた人間でした(笑)。そこから、僕が敬愛して止まないKILLSWITCH ENGAGEのギタリスト Adam DutkiewiczがKsE以外の場でも多岐にわたるプロデュース業とかサウンド・エンジニアリングをやっているのを知って、それらがほぼすべて僕の大好きな音源ばかりで、"それって詳しくはどんなことをやっているんだろう?"と興味を持って、いろいろ調べたりもしたんですよ。そして、日本だとЯyoさん(ex-ギルガメッシュ)がエンジニアリングをされているということをAdamのこととほぼ同時に知りました。僕は中学生のころからギルガメッシュの大ファンで、今に至るまでもずっと聴いているんですが、ある日『NOW』(2009年リリース)というアルバムに関するインタビューで、Яyoさんの"今回は自分で全部ミックスをやりました"との発言を見て、『NOW』のサウンド・プロダクションもとても好きでしたし、より一層エンジニアリングに憧れと興味を持つに至ったんです。それからはもう、バイト代はたいて単純に欲しい音源以外にも海外のエンジニアやプロデューサー別に音源を毎日買い漁り、自分なりにレーティングしてまとめて特徴をインプットしての日々でした。そうしたきっかけや行動たちが、エンジニアリング含め "絶対に俺もマルチな音楽制作者になってやる" という強き思いを生み出し、現在の自分をまさにそういう人間に仕立て上げたのだと思っています。

-ちなみに、エンジニアリングを始めるにあたって何か特別な勉強などはされたのでしょうか。

独学と言えばすべて独学です。ですがCodeRebirthでのレコーディングではЯyoさんにお世話になったことがあったので、そのときにはЯyoさんが作業されている横でずっと見ながらいろいろと学ばせてもらったりしましたし、CodeRebirthの『CATHARSIS』の制作の際に、セッション・ファイルをいただいてそれを僕自身がリミックスした経験もあるので、それらはかなり大きかったと思います。

-なお、バンド経験のある克哉さんがソロとして音楽を作っていくとなったときに最も意識されたのはどのようなことでしたか。

楽曲を作るうえでとにかく一切の制限を設けないこと、です。他人のことを考えずに自分の理想をすべて具現化することです。だからそこに基づいた人選もする。他人に委ねる要素を極限まで撤廃し、すべては自身のイメージからスタートさせて一切ブレさせずに最終形態までもっていく。当たり前の話ではあるんですけど、バンドのときはあくまでも集団の中のひとりという意識でいるんですよ。対して、ソロに関しては自分だけしかいないわけだから、作曲、作詞、アレンジ、音づくり、レコーディング、エンジニアリングとすべてを手掛けなくてはいけないですからね。何をやるにも、時間と手間がかかる側面はあります。ですがそのぶん、自分の望んだ形を120パーセントのクオリティで世に出せるので、めちゃくちゃ楽しいし達成感はハンパないです。

-そんななか、先立って発表された最新音源『Misanthropy』は、Misanthropistとしての集大成的なものが多々詰まった作品へと仕上がったようですね。タイトルがプロジェクト名との相関関係を濃厚に窺わせるものになっていることからも、そのことはよく伝わってきます。

Misanthropistというのは、直訳すると厭世家とか人間嫌いという意味になるんですよ。実際、僕はCodeRebirthが解散して以降メンバー探しとか、新バンド立ち上げに向けての動きをしていくなかで、先ほど言った当時の現状やバンドという形式へのこだわりから発信ができないストレスに加えて、そこで絶対的に信じていた人に裏切られたりしました。そういったことで全部僕の人生にデメリットが降り掛かってきて結局何もかもがうまくいかないし、周囲の躍進に対する羨望の念や、それと比較した際の自分の無力さや醜さ、自分はどうするべきかと常に自問自答を繰り返すうちに日々生きてる意味もわからなくなるくらいには精神的に疲弊して、どうしても卑屈になってしまったところがあるんです。例えばですが、いろいろな方に楽曲なりサウンドなりを褒めていただくたびに本当につらくて。"とてもありがたいですが、世間的に見れば僕はまだ何も成し遂げていない、何の影響力もないただの不特定多数のひとりです。そんな奴が作る音楽=大した物じゃないってことをそうやって現状が示してるのでお世辞は結構です" とか心の中でこっそりと思いながら(苦笑)。そうすると何もかもに嫌気がさして、ポジティヴな力を奪ってくる。たぶん完全に"こじらせてしまった"んでしょうね(苦笑)。だから、そんな僕がひとりでがむしゃらに何かを表現していくにあたってのプロジェクト名はMisanthropistがいいなと思ったんですよね。この言葉は、当時の自分そのものであるような気がしたんです。

-つまり、作品としての『Misanthropy』もまた克哉さん自身のパーソナリティを深く投影したものになると。

そうです。昔から何か物事がうまくいかなくなった場合、僕は最終的に"これは自分が悪いんだ"となってしまうところがあるんですよね。自分にもっと力があれば、とか。例えば何かを他者と一緒にする際に相手に至らなさがあって悪い結果を招いたとしたら、"それをカバーしきれなかったお前が悪い!"ともうひとりの自分が言ってくるわけです(笑)。そうなると、他人を通り越して自分に対しても強い不信感が出てきてしまうんですよ(苦笑)。もちろん、自分がやろうしていることや、作っている音楽に対して絶対的な自信があるんですけど。逆に、そうだからこそ全てに葛藤を感じてしまうんだと思うんです。"なぜ、わかってもらえないんだろう"とか"どうして、認められないんだろう"というふうに。もちろんそれらの理由の自己把握は済ませてきてますけどね。『Misanthropy』は、まさにそうした負のスパイラルにハマっているなかで作った曲や詞が詰まっているものだと言えます。そこはあえて、変にオブラートに包んで表現するよりも、ありのまま音楽に対して投影しちゃいました。あとは超神経質に緻密にサウンドを構築している点なんかは、気にしいな僕をわかりやすく表しているのかも(笑)。作り終えた当初は、パーソナリティがありのまま投影されすぎている本作の作風に若干の懸念もありました。しかし吹っ切れたうえでひとつの大きなきっかけが、日頃から仲良くさせていただいてるNOCTURNAL BLOODLUSTのCazquiさんの作った「Malice against」(2016年リリースのミニ・アルバム『ZēTēS』収録曲)を改めて聴いたときに感じたことにあります。その楽曲の構築美はもちろん、そこに加わった剥き出しのパーソナリティやパッションが僕の心を鷲掴みにしたことや、過去に僕自身が惚れてきた音楽たちはいつもそういう剥き出しのモノばかりだったことを改めて思い出し、話を戻しますと自分の『Misanthropy』のそういった作風にも納得するに至りました。